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歌に関するluccioraのブックマーク (3)

  • 「連音」する「連字」ーー「外は良寛」より - lucciora’s diary 蛍日記

    「外は良寛」松岡正剛著より/備忘録3 良寛の詩歌には「つつ」という言葉がたびたび出てきます。 霞立つ長き春日を子供らと 手まりつきつつ今日も暮らしつ 手毬をつきつつ今日も暮らしているというのは、単に手毬をついて今日も暮らしているということとちがいます。 手毬をつくことが「つつ」で強調されている。手毬をついていることが暮らしに大きくかぶさっているわけです。しかもそこにはかなり積極的なずれもある。 ずれて反復するものがある。 紀の国の高ぬのおくの古寺に 杉のしづくを聞きあかしつつ (高ぬは高野山のこと) 山かげの草の庵はいとさむし 柴をたきつつ夜をあかしつ 雪の夜に寝ざめてきけば雁かねも 天つみ空をなづみつつ行く 浮雲のいづくを宿とさだめねば 風のまにまに日を送りつつ 良寛の最期に接した貞心尼の歌にも「つつ」が出ます。 「これぞこのほとけの道にあそびつつ つくや尽きせぬみのりなるらむ」 という

    「連音」する「連字」ーー「外は良寛」より - lucciora’s diary 蛍日記
  • ひふみよいむな…一二三四五六七… - lucciora’s diary 蛍日記

    備忘録のように書き写してきた「外は良寛」松岡正剛さん。 「ひふみよいむな」はどのへんから出てきたのか、おもしろい話がいっぱいありました。 もう少しで読み終わりそうです。 ーーーーー 良寛の書のなかでもとりわけすばらしいものとして、たった 3字の「一二三」と「いろは」をあげる書人は少なくありません。 もともと良寛には、しばしば「一、二、三、四・・・」という具体的な数字が出てきます。(漢詩にも、歌にも) 貞心尼と良寛が最初に歌を交わしたときも、良寛はこの 「一、二、三、四、五、六、七」を強調しています。 当時、長岡福島町の閻魔堂に一人で住んでいた貞心尼は 高徳の聞こえある良寛に会いたくて、ある日(三十歳ごろ)に意を決して歌を送ります。 良寛さんは手毬が好きだと聞いたので「これぞこのほとけの道に遊びつつ つくや尽きせぬみのりなるらむ」と書いた歌でした。 これに答えて七十歳に近い良寛が詠んだ歌が次

    ひふみよいむな…一二三四五六七… - lucciora’s diary 蛍日記
  • 恋と信仰 - lucciora’s diary 蛍日記

    良寛と貞心尼の歌のやりとりを美しいと思う。 恋なのか、信仰心なのか。 ただ、ひたすら、どこまでもついていきたいと思う「絶対」な存在。 親鸞の法然への信もまた。 なかなか出逢えるものでもないけれど、 人生の導師とは、そんな気持ちを喚起する存在なのだろう。 アッシジに行ったとき、聖フランチェスコ教会を訪ねた。 そして聖フランチェスコの埋葬されている墓を見た。 キャンドルが灯され、とてもあたたかく、明るく感じる空間だった。 未だに多くの人がやってきて祈りを捧げていた。 そのあと、聖キアラ教会を訪ねた。 聖キアラの着ていた白い服が展示されていた。 キアラの服が思ったより大きかったのと、 絵に描かれたフランチェスコには小柄な印象を持っていたので、 キアラの方がフランチェスコよりも大柄だったのかな・・ などと当時の2人の姿について勝手な空想をふくらませていた。 教会やアッシジの佇まいは、かつて彼らが生

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