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池田晶子に関するluccioraのブックマーク (4)

  • 人生のほんとう/池田晶子著 備忘録2 - lucciora’s diary 蛍日記

    ひきつづき・・・ 『人生のほんとう』/池田晶子より 第5章「魂」より p144 私は輪廻転生の思想というのは 人間が自己の何であるかを考えていった場合に 必ず現れてくる根強い一つの型だと思っています。 自分の何であるか、この魂はなぜこうなのかということ、 その歴史を垂直方向に求めてゆくと 必ずこの表象が現れてくる。 表象というのは、必ずしも空想ではありません。 なぜ自分は自分なのかということを水平方向に、 親から生まれた、さらにそれを遡って家系とか祖先とか、 この世の時間軸を遡る方向ではなく、 今現在においてこの魂の何であるかを問うと、 現在というのはその意味で無時間ですから、 自分をどこまでも垂直に掘ることになる。 そうすると必ず超時間的な次元というものに出てしまう。 突き抜けちゃうんですね。 この自分は何なのかと問うていった場合に、さっき話したように、 あらゆるものが、流転する魂として

    人生のほんとう/池田晶子著 備忘録2 - lucciora’s diary 蛍日記
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  • 人生のほんとう/池田晶子著 備忘録 3 - lucciora’s diary 蛍日記

    引き続き・・・人生のほんとう/池田晶子著 より p150 ヘラクレイトスの断片を、もう一つ紹介しておきます。 この人は魂についての言葉をずいぶん残していて、それは非常にうまいなと思います。 ピュタゴラスよりも、私は面白く感じます。 「生きているあいだも死んだ後も、目覚めている時も眠っている時も、 また若かろうと老いていようと、同じひとつのものがわれわれのうちに宿っている。 なぜならこのものが転じて彼のものとなり、 逆に彼のものが転じてそれとなるからである。」 これなんか「胡蝶の夢」と同じような論理性をもっていますね。 「自分」のひっくり返り方です。魂にとっては生きても死んでも同じだよ、と。 ★★★ 彼岸と此岸。 こちら側から、向こう側へ。 向こう側から、こちら側へ。 流れている。 いつかその流れから、ふっと抜けでることはあるのだろうか… ★★★ ・・・この哲学では神はまず「流れる」実体とし

    人生のほんとう/池田晶子著 備忘録 3 - lucciora’s diary 蛍日記
    lucciora
    lucciora 2016/09/04
    [][備忘録][中沢新一][ヘラクレイトス]
  • 人生のほんとう/池田晶子著 備忘録4 - lucciora’s diary 蛍日記

    ひきつづき…『人生のほんとう』より 語りのレベル p172 私はさきほど、「善く生きる」といいましたが、同時に「どうでもいい」と言っています。 これは矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、矛盾していません。 あるいは矛盾しているといってもいいです。実際、矛盾しているんだから。笑 池田の言うことはどうも矛盾しているのではないか。 いつも何か違うことを言っているように聞こえるかもしれません、ひょっとしたら。 けれども、物語を語ることは、どのレベルでものを言うかということです。 つまり存在イコール自己、この「イコール」さえ理解できていれば、 私の言うことが矛盾していないことが分かります。 何を言ってもいいんだ、どのレベルで語っているかの違いに過ぎないんだということが わかるはずです。 ちょっと説明的に言うと、人間はいろいろなレベルを一人の個人が持っています。 つまり個人の某としての存在、あ

    人生のほんとう/池田晶子著 備忘録4 - lucciora’s diary 蛍日記
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