オタクが社会に害を齎すことすらあれど、社会の役に立ったことなんて一度もあるんだろうか。少なくとも、フェミニズムはここ100年で女性の権利を大きく平等に傾けたという功績があるだろう。
前提を共有する努力を怠った。いくら私の中で自明だからといって説明しないとそりゃ誤解されるのは当然だ。 反論で「フェミニズム」は負けてないし勝ってるっていう意見が多かった。これについては完全に同意。 私の中ではツイフェミとフェミニズムは別物なんだよね。 格ゲーでいうと「フェミニズム」は使用キャラで、「ツイフェミ」はプレイヤー。 ツイフェミは「フェミニズム」という強キャラを使って自分な嫌いな表現をたたいてる連中のことを指す。 具体的に言うと今回の国連たわわ問題の准教授さんや、突撃オタクの車いす対策!問題の伊是名さん。ローザ・パークス気取りで行動したけどただの迷惑客になってしまったのは、根本的に差別というものについて理解が足りないからだろうね。 あと、彼女たちがやっていたことを擁護している人たちもツイフェミさんと認識してる。 この人たちは、明確に自分がルール違反をしたのに「フェミニズム」を印籠と
オタクの言う〝言論の自由〟だの〝表現の自由〟だのがどういうものか、嫌というほど思い知らされた。結局のところ「俺達の高揚と陶酔に水を差すな」という程度のものでしかない。
レイは好きが分からない。アスカは好きが欲しい。シンジは好きが怖い。そんな思春期の男女が集まれば地獄になるのは明らかだ。 TVシリーズ/旧劇エヴァでは地獄絵図で物語は終了した。 約25年後シン・エヴァンゲリオンの最大のハイライトは地獄にケリヲつけた。終盤にシンジはアスカに向かって「君が好きだった」と告白する。 私が観に行った劇場ではここですすり泣く声が聞こえた。マネして私も泣いてみた。ポップコーンが鼻に詰まってむせただけだった。 約25年の歳月で見えてくる「アスカ好きだったよ」の本当の意味について1分でお話しする。 そもそもTVシリーズ/旧劇 で「好きという感情をどう処理するか」が重要なテーマだった。そのやっかいな感情のせいでシンジは悩み、ゲンドウはユイを好きすぎて人類補完を望んだのだから。 しかしそのテーマの答えは遠く天界へ棚上げされた。 そもそも旧シリーズではどのように棚上げされたか。
数日前からフェミニズムと表現規制の人達がチラホラ騒いでる話題です。 1 お願いする側の身分が違う @rtoiuyuiotyuijj 3月15日 フェミニストに「何にエロを感じるのは人それぞれだし、どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と噛み付いていた人々がす 「ウマ娘のエロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主を不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めたの笑う 「何がエロか」考えられるんですね https://twitter.com/rtoiuyuiotyuijj/status/1371593400936374301 「ウマ娘公式のふわっとしたお願いには細部を問い詰めたりせずふわっと従うんだな!(フェミニスト・規制派の声には細かく噛み付き返すのに!)」 とプリプリ怒りながら笑ってはる。 いや、そりゃそうでしょ。 なんか皮肉のつもりっぽい口調だけど何がどう皮肉に
めちゃくちゃ今更だが、宇崎のアレで献血行かなくなった キモオタ絵に耐性はあったが「流石にこれは炎上するやろなあ」と思う側の人間だったので、ネットだと「これぐらい普通だ」みたいな声がデカくてすげえ気持ち悪かった 「いやあの絵は性的に描かれたものじゃん、そりゃ批判はされるだろ」という自分の認識について「じゃあ巨乳はエロってことですか差別ぅ」みたいなスタンスのやつが一番イラっときた 個人的には性的消費自体はどうでもいい ただ事実を意図的に誤認する人間が嫌いだったのと、「着衣だからエロじゃない」の理屈を通されてこれ以上のものが通るようになったら嫌だなと思ったこと、嫌悪感の理由だった 更に、表現の自由を主張する人々が表現に関しては慣習や公共良俗を無視した「もの凄くリベラル」な主張をするにも関わらず、少子化を理由に女性の生き方の自由を否定する人間が多かったのも腹立たしかった 炎上を追いかけてていると、
今回のポリコレ銀英伝で燃えたこの社会学者の人もそうなんだけど、肩書きつきのアカウントで呟いて自分のフィールドが燃え出してから「個人の感想なんですけど」と事態を矮小化して被害者しぐさに入るのやめろ。社員証ぶら下げて居酒屋で暴れたら会… https://t.co/9Z5LO8q8Zl
あの記事は正直よくわからんかったけど、両立するということ自体は私も声を大にして言いたい。 ただ、いわゆる「フェミ」の動きには反対。 「男は女を性的に消費するな」じゃなくて「女にも性的消費をさせろ」って思う。 日本はその点なかなかいい国で、男性アイドルや腐女子文化もあれば、エロ漫画を描いたり読んだりする女性も多い。女性による性的コンテンツ消費はかなり盛んな方だ。あと、オタク文化の話じゃないけど女性向けAVやアダルトグッズがどんどん増えてきているのも大賛成。あえて言うなら、女性による/女性のためのそういうコンテンツがもっともっと増えるといいなって思う。 もちろん、実在の人物に対し同意なく手を出すことは犯罪だ。「女だから」「男なのに」といったハラスメントも許さない。女性のさらなる社会進出を望んでいて、たとえば政治家や企業トップに女性が少ないことへの抗議意思がある。 同時に、オタクコンテンツを男性
こんにちは! 批判の粘着性に定評のあるネット論客の青識亜論です(さわやか) さて。 米国の銅像破壊ムーブメントを論じる記事を書いていたのだが、現代ビジネス上に興味深い記事が投稿されたので、急遽中断し、今日はそちらについて論じることとしたい。 筆者は慶応大学大学院の博士課程で社会学を専攻されている中村香住氏だ。 中村氏は「女性アイドル、メイドカフェ、女性声優や女性2次元アイドルコンテンツのオタク」であり、かつ大学院でジェンダー研究を行っているいわゆる「フェミニスト」である。 昨今、インターネット上では、女性のアクターやキャラクターが登場する「オタク向け」作品と、いわゆる「フェミニズム」が自明的に対立するものとして扱われがちであり、中村氏自身も「葛藤」に苦しんでいるのだという。 中村氏が当該記事で定義する「オタク」とは次のようなものだ。 今回のツイートで私が用いた「オタク」の中身は、実際には「
もちろん、そんな女性同士の連帯自体も、消費の対象としてのフィクションであることは否定しきれない。とくに生身の女性が演者であるコンテンツの場合、その女性同士の仲睦まじい様子には時に欺瞞も混ざっているかもしれない。「百合営業」という、女性演者同士が仲の良い様子、お互いに好きである様子を見せることによって、ファンを獲得しようとする営業手法があるのではないかということも、「オタク」の間では共通認識となっている。 もちろん、演者同士が絡んでいる様子を「オタク」に見せているという認識は演者側にもあるだろうし、そのことを前提として女性演者同士の関係性が構築されたり、変化していったりすることもあるだろう。 しかし、だからといって彼女たちの関係性自体が完全に虚偽であるということにはならない。言い方を変えれば、私たち「オタク」は、あくまでもファンから見える場での彼女たちの表象を通してしか、彼女たちの関係性を推
自分の周囲にはリベラルな人が多く、自分もまたそうである。周囲からもリベラル側の価値観を持った人間と認識されている(恐らく) 当然、フェミニズムには共感的であり、現在の日本にある数々の女性差別に憤りを覚えている。 ただ、時々、きつくなる事が有る。 ツイッターでフェミニストの女性をフォローしている。知り合いも居るし、有名なフェミニストだからと言う理由でフォローしている人も居る。 TLには「時々」くらいの頻度で女性差別に関する話題や、発言が現れる。 それを見て自分は憤り、早く世の中から女性差別が無くなって欲しいと思う。本心からそう思う。 ただ、時々、きつくなる。 そこではいずれも男性が責められている。特定の個人に絞られている事もあれば、性差別的な男性や犯罪者に絞られている事、特定の性癖の持ち主や愛好者に絞られている事、または男性全体が責められている事が有る。 段々と、参ってくる。「参ってくる」と
srpglove.hatenablog.com amamako.hateblo.jp オタクが軟弱化して辛めの批評を書かなくなったから、最近のオタクコンテンツはひたすらヒロインが可愛いだけの薄っぺらい作品ばっかりになってるんだろうが。定型文と画像で褒め合うクソみたいな学級会文化をやめろ。辛口批評を書きまくって仲間のオタクと本気の喧嘩をしろ。90年代に戻れ。 — 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年5月5日 はじめに まず出発点のつぶやきが、取り上げるに値しない。 最近のオタクコンテンツはぬるいとかいうけど、鬼滅も進撃も呪術もチェンソーもかぐや様もキングダムもパラレルパラダイスもヒストリエもヴィンランド・サガもその他たくさんめちゃくちゃおもろい現役連載作品が漫画だけでもあるやろこのメンヘラ500円Note売りの浅ましい炎上狙いが!としか思わん また、それに付随した話も「批
宇崎ちゃんポスターについて、萌コンテンツ好きなオタク女の立場での気持ちの話と、考察にもならない仮定の話と妄言。 まずこの記事も、そもそもお気持ちの表明でしかなく、萌オタクを代表する気もなければ胸のでかい女を代表する気もないことを前提として伝えておきます。また、あの絵を見て傷ついた同じような体型を持つ女性の気持ちを否定する気はないし。そもそも気持ちは自由だし。ただこういう考えの人間もいることを誰かに伝えたかったのと自分のやり場のない気持ちを整理をしたかったので書いてみました。 まず、立場としては萌コンテンツが好きなオタクで、そして、下着屋店舗を駆けずり回ってサイズを探してもなかなか自分のサイズのブラがないタイプのデカ乳女である。レイプなどの大ごとはなかったものの、痴漢やキャットコール、追いかけやつきまとい、セクハラなどの性的被害は一通り経験してきた側の人間だ。 今回の騒動の初見としては、あー
本件についての議論の要点は,『宇崎ちゃんは遊びたい!』という作品を初見時にどう読解するか,という点にあると思っている。ある人が「ある程度この種の作品を見慣れている人たち(主にオタクと呼ばれるような)なら,仮に『宇崎ちゃん』という作品を全く知らなくても,この3巻の表紙を見たら,まあ大体『高木さん』とか『長瀞さん』とかの,あの系統の作品なんだなという想像がつく」と書いていて,それに完全に同意する。そう,文脈がわかる人には,乳袋表現はあくまでヒロインをかわいく見せる一つのテクニックでしかなく,そこが作品全体の主要ではないことに容易に察しがつくのである。(※) しかし,そうした文脈を読む力が一切ない人がこの絵を見たとして,これだけの解釈ができるかどうか考えてみると,まあ無理かろうなと思う。どう見ても絵の中央にやけに強調した胸が鎮座し,注射針が怖い男性を見下して煽っているかのようなセリフまで付いてい
実際に「乳袋」ができるブランドはあるか 日赤とのコラボキャンペーンで、新宿の献血センターなどに貼られていた「宇崎ちゃんは遊びたい!」のポスター。これに描かれていた、作品のヒロイン宇崎花の造形が「環境型セクハラではないか」「乳袋が性的に誇張されており卑猥である」などとTwitterで騒がれている。 こうしたアニメやマンガ(以下、二次元)のキャラの造形は今までも何度も問題になっているが、今回注目されたのは「乳袋」と言われる表現である。 「乳袋」とは、マンガで巨乳キャラクターを描く際に、巨乳の全裸女性のボディラインどおりに服が存在するかのように描く表現手法である。服を着ているのにもかかわらず、胸の形、特に胸の谷間や下乳のラインが、ビキニでも着ているかのようにハッキリと見えるのが特徴である。 問題になった宇崎ちゃんのポスターの絵も乳袋であると言える。当然、現実の服では、そのような状態はありえないか
「フェミニストって、討論会に誘っても絶対来ないんだよな」 今から5年前、わたしのまんこアート逮捕時に弁護団の一員となり、その後も無罪を勝ちとる事に貢献して下さった山口貴士弁護士が、無駄に感じ悪くこう言っていました(わたしの裁判は有罪部分のみ、現在も最高裁で係争中です)。 フェミニストは男女格差をなくそうと活動する人です。当然、反対論者との討論会には積極的に参加するものと思っていたわたしは驚きました。本当に社会を変えたいなら敵対者や無理解な人達にこそ我々フェミニストの主張を理解してもらわないと進展しないでしょう。社会の半数は男性で構成されているのを考えれば分かる事です。 しかし残念ながら、確かに山口先生の言う通り、フェミニストを名乗る学者や知識人達が、特に表現規制に反対する人達との討論会には頑なに拒否して参加しないパターンを、その後もよく見かけました。 ですから、青識亜論(せいしきあろん)さ
馬の眼🐴 @ishtarist 宇崎ちゃんポスターについて、オタクとフェミ相互理解のための補助線 #BLOGOS blogos.com/outline/413806/ この記事、ほんまにすごいほぼ完璧な整理。 これ、ほんと世界観の違いなんだよなぁ。で、実はオタクって、むしろ本来のリベラルに近いんだよ。 でもこちら側の偏見が、彼らを遠ざけてる。 2019-10-31 19:21:15 馬の眼🐴 @ishtarist そして、これと同レベルの両陣営に配慮した総括が、ポスター批判側から出せるかどうかじゃないかな? まあ、もし出せるとしたら、ラディカルフェミニズムをなんらかの形で放棄したときだろうね。 2019-10-31 20:41:22 馬の眼🐴 @ishtarist ラディフェミ(≒社会構築主義)は「表現の自由」よりも「内心の自由」をターゲットにしているのはその通り。個々人の「主観性」
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