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書籍に関するmomizikeikoのブックマーク (3)

  • 個人は国家に抗うことができるのか ~「『モナ・リザ』スプレー事件」を追う(荒井裕樹)

    の障害者運動史を研究しはじめて約20年になる。振り返ってみれば、この間、ずっと「国家や社会に抗うマイノリティ」を追いかけてきた。 ただし、私が追い続けてきたのは「巨大権力に立ち向かった果敢な英雄」というわけではない。正確に表現するのが難しいのだが、強いて言えば「自分自身の痛みと向き合い続けていたら、いつの間にか国家や社会に歯向かわざるを得なくなった人生を、結果として歩んでしまった人物」ということになるだろうか。 特にこの4~5年は、約半世紀前に起きた事件のことを考え続けていた。昨年は文字通り「寝ても覚めても」といった状態だった。その事件は、私に根源的な問いを突きつけてくる。個人は国家に抗うことができるのか。なぜ個人が国家と対峙せざるを得ない状況が生まれるのか。個人が国家に歯向かうことにどんな意味があるのか。こうした問いについて、取り憑かれたように考え続けていた。 『モナ・リザ展』初日に

    個人は国家に抗うことができるのか ~「『モナ・リザ』スプレー事件」を追う(荒井裕樹)
    momizikeiko
    momizikeiko 2022/04/21
    『凜として灯る』
  • 行政マンとして「図書館員」が忘れていること…予算減の危機的状況を前に何ができるか(飯田 一史) @moneygendai

    『行政マンとして図書館員が忘れていること』(樹村房)というが刊行された。図書館は行政サービスの一環であり、公共図書館で働く人は行政の一翼を担っている――言われてみればそうなのだが、しかし、筆者はそういう視点で図書館を捉えたことがなかった。 茨城県鹿嶋市、長野県塩尻市で図書館長を務め、現在は古書店を経営する編著者の内野安彦氏は、図書館側が「行政マン」だという認識を欠いていることこそが、公共図書館が年々予算を減らされていく要因になっていると語る。どういうことなのか。内野氏に訊いた。 図書館員は今使っている「利用者」の声は拾うが、「市民」全体のことは考えていない ――「図書館員は行政マンである」という認識はなぜ乏しいのでしょうか。図書館員自身に限らず、利用者や政治家にもその認識は薄いですよね。 内野 なぜそのことを訴えるようになったのかについて、少し私自身の話をします。私は昭和54年に鹿嶋市役

    行政マンとして「図書館員」が忘れていること…予算減の危機的状況を前に何ができるか(飯田 一史) @moneygendai
  • 本屋が思わず懇願「学校の生徒さんの持参する課題図書リストが絶版だらけ。せめて買えるものにして」

    屋のお仕事。 @kuroi_since1991 書店勤務でコミック担当。そうですオタクです。他にもジャンル掛け持ちで担当しています。主にオススメのや新刊案内、パブ情報、拡材(特典情報)、書店の仕事についてつぶやいています。を売るのが生甲斐です。 屋のお仕事。 @kuroi_since1991 ありとあらゆる学校の先生方にお願いなんですが、課題でいくつかを指定して読ませるなら、絶版になってないものを指定してあげて下さい…。 毎年、同じ文面のプリント持参される学校の生徒さんが来店されますが、絶版だらけのリストじゃ可哀想ですよ。 2020-04-27 01:35:10

    本屋が思わず懇願「学校の生徒さんの持参する課題図書リストが絶版だらけ。せめて買えるものにして」
    momizikeiko
    momizikeiko 2020/04/29
    やっぱり図書館の休館は社会的に影響が大きいのだな。
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