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「公害企業主呪殺祈祷僧団」について - Togetter はてなブックマークを朝から見てたらこのまとめが目に入った。『終末期の密教』持ってる。つーか、こないだほんのちょっとだけ本の整理をしたときに、「仏教関係」のひとまとめにするときに手にとった。……が、まったくの未読だった。おれが仏教関係の本を読むようになったきっかけは松岡正剛の『空海の夢』というあたりだったが、空海ブームからなぜか興味が鈴木大拙から禅の方に流れていって、吉本隆明の親鸞ものなぞ読んで、ご無沙汰になっていた。というか、仏教興味も離れて久しい。せっかくなので、ちょっと開いてみた。ちなみに、稲垣足穂・梅原正紀編著とあるが、なんか稲垣足穂は梅原さんからインタビューを一本受けているだけっぽい。梅原さんは、そのお父さんが横浜伝説の娼婦wikipedia:メリケンお浜と「性の決闘」をしたということくらいしか知らない。というか、今しがたそ
本書「浄土真宗はなぜ日本でいちばん多いのか」(参照)の表題の問いについて関心がある人なら、それは「おわりに」の数ページが扱っているだけなので、さっとそこだけ立ち読みすれば終わる。ただ、さっと読んでわかる回答は書かれていない。筆者の用意した回答としては「庶民の宗教だから」というのが筆頭に来るが、それが明瞭に支持された解説に拠らずややわかりづらい印象を受ける。しかし、そこは本書の欠点ではない。 むしろ本書全体を読めば、明瞭な答えに導かれる。つまり、浄土真宗は妻帯から家系による寺の相続が可能になったこと(本来寺はそういうものではない)と、妻帯に伴う縁組みで閨閥が形成できることだ。 浄土真宗を宗教としてみるとわかりづらいが、諸侯や商店の特異とも見ればよいとも言えるだろう。浄土真宗藩や浄土真宗店とでもいうようなものである。さらに江戸時代に幕府から特別に保護されたことの要因も大きい。 ただし、それらの
君、それ考えすぎだよ。 (学生) 2011-01-26 13:16:10 「未成熟な大人と称する何者かが 君、それ考えすぎだよ という 腹の底から心の底から 考えに考えつくすことによってしか 決して成熟はおこらない」 過去の真人たちを見ていると、皆、神秘家であると同時に哲人でもある。(妙好人やラーマクリシュナは信愛の道だから良し) どうしても、自分の頭で真剣に考えることが必要なのではないかと想います。そして指針としては、 ケン・ウィルバー:著 進化の構造 or アートマン・プロジェクト 鈴木大拙:著 日本的霊性 この二冊で十分かと。 娯楽なら兎も角、宗教や思想の分野に地に足ついていない、底の浅いゴミのような本があれだけあるということは、人々が真剣に切羽詰まったモノをまだ求めていないという何よりの証拠でしょう。 日本でも、鈴木大拙やケン・ウィルバーの本が平積みされている光景を見てみたいもので
今日は下半身のお話です。博多の古本屋でみつけた昭和36年の本です。 インドではリンガ(シヴァ神の男根)をよく見かける。京都の生八橋と同じくらいのノリでおみやげ物の定番にもなっているのですが、日本ではあまり見ることがない。でも、お寺巡りをするようになると、出会ったりする。あるにはあるんですよね。陰陽石とか、けっこうある。そんなことが、ずっとゆる〜い感じで気になっていました。 そんな折、なんともドンズバな本に出会ってしまったので読んでみたら、勉強になった。古事談にある、清少納言の性器にまつわるエピソード(リンク先参照)や、道鏡の巨根伝説なども初めて知るものでしたが、そのほかにも「なんかこれリグ・ヴェーダと似てるなぁ」と思うようなこととか、今ではあまり語られない真言宗立川流のこととか。 特に最後の引用で紹介する「名僧、最澄の悟り」は必読のエピソード。面白い本でした。 <45ページ 大地母神とくぼ
誤解された仏教 スポンサード リンク ・誤解された仏教 本来の仏教は霊魂の存在をはっきり否定している。 「肉体はなくなっても、霊魂は残る。祭りを怠ると、その先祖が祟る。ーーーーーーーなどというのは、まったく仏教とは何の関わりもない話である。事実、長いあいだインドの仏教では、死者儀礼とは何の関わりももたなかった。」 「死者の祟りなどというのは、原始民族の宗教(?)心理である。わけても、日本人は死者の怨霊を恐怖した民族である。そうした鎮魂(御霊鎮め)には神主さんより坊さんの法力のほうが秀れている、ということで仏教が取り入れられた。これを「御霊信仰」という。」 霊魂がないのだから祟るわけがない。あの世もない。本来の仏教では死んだら終りなのである。生まれ変わりということもない。そもそも輪廻というのは解脱すべきものであって、転生は永劫の生き死にを繰り返す苦しいイメージなのだ。 これは仏教=無神論・無
2007.05.06 『密教の可能性 チベット・オウム・神秘体験・超能力・霊と業』正木晃 カテゴリ:カテゴリ未分類 学問的なのか、私的なのか、よくわからない点が、魅力でもあり、軽く見られる因にもなっているような作品のように思った。特に自閉症という言葉の使い方の不正確さや、次のような筆の走りには、著者への信用をなくすようなところがあった。 「だいたい、近代日本の知識人は、複雑な現実を複雑なままに受け入れるだけの度量に欠けていて、私にいわせれば、ちょっとしたことで引きつけを起こしかねないような、小児病患者の傾向がある。密教に対する評価が低いのも、原因はここにある」(280ページ) 近代の仏教研究の難点をいおうとしている趣旨は前後の文脈からもわかるのだが、少なくとも「ちょっとしたことで引きつけを起こしかねないような、小児病患者の傾向」というたとえは不要であろう。 ただチベット仏教に関しては、文献
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