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社会と歴史に関するna23のブックマーク (2)

  • 日本最大級の遊郭の建物が今も150軒以上残る「飛田新地」に行ってきました - GIGAZINE

    大阪市西成区の「飛田新地(とびたしんち)」には日最大級の遊郭が残っており、「鯛よし百番と飛田新地」によると「難波新地乙部遊郭が1910年に全焼したのを受けて、1916年に飛田遊郭が生まれました。1912年に完成した旧通天閣を中心とした新世界は、第1次大戦後の好景気で大いににぎわいます。新世界からほど近い飛田遊郭も昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ねます。戦災でほとんどの店は消失しましたが、再び赤線としてよみがえり、1958年の売春防止法以後は料亭に転じたことで、現在もなお、伝統的雰囲気を色濃く残す街並みとその営みが保たれていますとのことで、非常に貴重な建物が多く残っており、実際にこの地域の最も古い建物であり、料亭でもある「鯛よし百番」は国の登録有形文化財にも認定されるほど。 なので、どのような建物が残っている町なのかを実際に見に行ってきました。 「飛田新地」と呼ばれるエリアは大阪

    日本最大級の遊郭の建物が今も150軒以上残る「飛田新地」に行ってきました - GIGAZINE
    na23
    na23 2012/05/22
    なんじゃこりゃ、こんな別世界があるのか。
  • 農地改革メモ: 極東ブログ

    ぼんやりと戦後史のことを考えていることが多くなってきているのだがその一環で農地改革のこともときおり考える。農地改革については二つの思いが錯綜する。一つは学校で学んだ、なんというか農奴解放みたいなお話。もう一つは私の母方が庄屋の系統だったので近親者からの体験的な話だ。その二つが入り交じる。もっともそうした錯綜感は農地改革に限らない。私は基的に戦後民主主義の申し子みたいな人なのでGHQによって日は解放されたと原点としては考えるのだが、五十年近く戦後の後の日人として生きてみると違和感は多い。 農地改革について当然一時期の政策としては成功としか言えないだろう。だが、大局的には失敗だったのではないかという思いがあり、そのあたりをきちんと社会学的にまとめた書籍などないものかと探すのだが、知らない。ないわけもないだろうに。簡単に読めるウィキペディアの同項を読むと(参照)私が中学校時代に学んだことと

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