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サッカーと増田に関するpbncのブックマーク (5)

  • 高校サッカー選手権が高校野球ほど盛り上がらない理由

    1.冬の開催であるこれが結構な諸悪の根源。まず寒い。今年は温暖なほうだが、1桁気温の中で観戦し続けるのは結構気力と体力を使う。他にもいろんな弊害を招いているが後述する。 2.分散開催であり、あっという間に終わってしまう冬休み期間中に決勝まで進めるための策ではあるが、大会開催日数が7日しかない(今年は12/28,29,31,1/2,1/4,1/7,1/9)。そのため「積み上げ感」がない。 また野球のように同じ会場で毎日4試合も出来るわけではないため、会場をバラバラにせざるを得ない。その結果、会場に聖地感が薄い。 夏の甲子園を甲子園、京セラドーム、ほっともっと神戸、花園公園、皇子山、わかさスタジアムで分散開催していたらどうなっていたか。今のような会場のプレミア感はないはずだ。 3.その後のキャリアに繋がらない1.の弊害の1つ。決勝戦が終わるころにはJリーグの各クラブの編成はだいたい終わってしま

    高校サッカー選手権が高校野球ほど盛り上がらない理由
    pbnc
    pbnc 2023/01/06
    高校野球が異常。それにつきる。
  • 日本共産党は日本サッカーの存在に反対しています

    例の中野区議の件は、共産党の特徴の一つである「日サッカー憎し」が1つ具現化されただけに過ぎない。 サッカーファン、特にJリーグファンの間では「共産党はアンチサッカー」というのが既に定説となっている。サッカー場建設案件にことごとく反対しているからだ。 事例を挙げる。 京都亀岡スタジアム(サンガスタジアム BY KYOCERA)「アユモドキ」という生物を取り上げて、アユモドキが絶滅してしまう!という理屈で反対運動を実施。スタジアム建設後にアユモドキの生息数は過去最高になった。絶滅どころか真逆。 金沢市の新サッカー場(建設中)2021年3月の市議会で「そんな金どこにあるのか」という理由で反対意見を提示 北九州ミクニスタジアム(建設済)2014年に市議会議員がスタジアム建設中止をビラで訴える 葛飾区サッカースタジアム構想2021年の葛飾区議選で共産党候補が構想取り下げを公約に立候補。見事落選し、

    日本共産党は日本サッカーの存在に反対しています
  • 森保監督を罵っていた人たち

    なんかゴメンなさいすれば全てOK!て雰囲気になってるけど ボロ負け予想をしておいて、 ①予想通りボロ負け⇒それ見たことか!俺が正しかった!と悦に入ることができる ②予想外れて勝利⇒ゴメンなさい!と言えばそれでOK。失うものはない てなるから、事前には監督を罵っておくのが一番リスクの低い視聴者戦略になるんだね。 最初から監督を支持する、信じるインセンティブがない状態 サッカーに限らず、「そんな計画はうまく行かないんじゃないか!」って失敗にベットすれば仕事した気になる人っているよね。彼らも成功したときに失うものは特にないから、反対したほうが得なんだよね。 負けにベットした人は、買っても嬉しさが半減するくらいの報いは受けてほしい

    森保監督を罵っていた人たち
    pbnc
    pbnc 2022/11/25
    まぁいずれにせよ1試合終わっただけだし…。
  • 頼むから試合結果を話さないでくれ

    ワールドカップ期間中、世間話で何の前触れもなく試合結果をペラペラと話し始める人間、何なの? 俺は、全試合録画して、仕事が片付いたら少しずつ観ようと思ってる。 電車ならイヤフォンで音楽を聞いたり、席を変えたりすればいい。 でも、移動中の車とか打合せの席とかで、同席した人間同士が話し始めると逃げ場がない。 ネットニュースも、電車内の速報も、もちろんテレビやラジオも避けるようにして生きている俺の努力が一瞬で無に帰する。 「すみません。録画していて後で見るので、結果は言わないでいただけますか?」とか言える間柄ならいい。 当然、社会人だから、そんなことを言えない人たちとも付き合わなきゃいけない。 かといって、試合を見ながら仕事をしようものなら全く進まないし。 俺はどうすればいいんだ?

    頼むから試合結果を話さないでくれ
    pbnc
    pbnc 2018/06/17
    そりゃ無理な話だろう。俺も学生時代、バイトの時日本シリーズの情報遮断して帰宅したら珍しく親父から留守電かかってて聞いたら大した話もないのにさらっと試合結果言ってた時は殺意湧いたけどなww
  • Jリーガーだった。

    Jリーガーだった。 つい先日、取引先の人に「前の会社ではどんな業務をしていたの?」と聞かれた。「プロ契約でサッカー選手をしていました。」と聞かれたら驚かれた。僕はJリーガーだった。でも、かつて所属していたクラブのサポーターですら、僕の名前を聞いてもピンと来ない人も多いだろう。その程度の選手だった。経歴を詳しく書いても、僕のことが分かるのは僕の知り合いくらいだろう。なので書いてみる。 山に囲まれたド田舎に生まれた。7歳で幼馴染とスポーツ少年団に入った。たまたま県選抜に選ばれて、地元の広報に載ったりしてちょっとした人気者だった。小学校6年生の時、県外のプロサッカーチームのジュニアユース入団試験を受けた。もし合格していたら、両親は仕事を辞めて、家族で引っ越す予定だった。ジュニアユースに入っても、そこからトップチームまで昇格してプロになれるのは一握りなのに、仕事を辞める覚悟で応援してくれた。でも僕

    pbnc
    pbnc 2017/01/17
    僭越ながらこれからも頑張ってください。私も頑張ります!
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