・重複(ちょうふく、じゅうふく) ・殺陣(たて、さつじん) ・閾値(しきいち、いきち) あと一つは?
人の名前に使われてる「祐」や「佑」の字が前から苦手だ。 まずこの二文字の字面が似てるので、どっちがどっちかが分からなくなる。ディスプレイの小さな文字で見ているとぱっと見一緒に見えて困る。 あと読み方の幅が広すぎる。一文字だと、「ゆう」なのか「ひろし」なのか「たすく」なのかが分からない。初見殺しで困る。二文字の名前に使うときにも、「ひろ」になったり「すけ」になったりして訳がわからない。例えば桑田佳祐ってみんな知ってるから「けいすけ」と呼べるだけで、何も知らなかったら「よしひろ」って読んじゃうかもしれない。けいすけとよしひろじゃ全然違う。 もちろん読み方が変わる漢字なんて無数にあるはずなのだけれど、自分にとってはこの「祐」と「佑」にずば抜けて苦手意識がある。おそらく、例えば弘佑(ひろすけ)さんがいたとして、読み方によっては「ひろひろ」になっちゃう可能性があるこの感覚。これが苦手意識に強固に繋が
20代までほぼPCしかいじってなくて、漢字が全く書けない人生だった。 とくに支障は感じていなかったのだが、一念発起して漢字検定にトライ。 当然、書けないと合格しないので必死にやった。 2年ほどかけて1級に合格したのだが、あの2年は今思うとでかかった。 さっき「譲渡」の「譲」の字がかけなくて困っていたのだが、 手クセがついているので、左のごんべんがわかったらすぐに思い出した。 もし2年やっていなかったら仕事に支障があっただろうし、一生漢字に対して コンプレックスのある人生だったかもしれない。 そうするといろいろ選択肢が狭まっていたかもしれない。 たった2年と思われるかもしれないが、自分にとっては転職するより 結婚するより重要な2年間だった気がする。 この感覚がわかってくれる人がいるだろうか。 追記:「どこがやばいの?」に対する返答 うまくいえないけど、あの2年間がなかったら、たぶん今この瞬間
仕方がないんだけどさ、馬鹿じゃねーのかと思ってしまう。 元号は四書五経などの古典とかから採るわけで、既存の熟語をだせばいいわけじゃない。 平成は『史記』と『書経』から採っている。昭和も『書経』だ確か。 これってある程度常識じゃないの? 平和とか安直に言うんじゃねー。 ただ、平和は字面からも出典を捻りだせそうなんだよな。筋は悪くない。実際。たまたまだけど。 これから元号が変わるから、元号に興味持ったり、元号の是非や、元号の制定に関心を高めるためのニュースであるはずなのに、街頭インタビューをするのはおかしいと思うわけだ。筋がおかしい。 好きな食べ物とか漫画だとか自分の頭の中だけで答えられるものじゃない。本とか先例から考えなきゃならないものに街頭アンケートするなよって思う。 元号なんて東アジアでももう日本でしか採用してない謎レア古い制度なんだから、適当な認識で好きな言葉みたいな感覚でアンケートと
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く