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  • 坂本龍一の「ダウンタウン理論」は正しかったのか|Toru Sano

    坂本龍一の訃報を伝える記事が各紙誌に掲載されるなか、インターネット上で目にしたいくつかの記事が、坂本氏とダウンタウンとの関わりについて書いていた。 かつてのフジテレビの人気番組「ダウンタウンのごっつええ感じ」における「アホアホマン」や「野生の王国」といったコントでの共演、ラップユニット〈GEISHA GIRLS〉のプロデュースなどである。 それらの記事を読んで、筆者は、坂本氏が小説家の天童荒太との対談集『少年とアフリカ』(文藝春秋、2001年)で語っていたことを思い起こし、ツイッターに以下のツイートを投稿した。 ダウンタウンとのコントでの共演や音楽プロデュースについて書いている追悼記事をいくつか見かけたが、天童荒太との対談集『少年とアフリカ』を読むと、坂本龍一はある時期以降、ダウンタウンに(より正確には、ダウンタウンが受容される時代の空気に)はっきり批判的になっている。 — 佐野亨 Tor

      坂本龍一の「ダウンタウン理論」は正しかったのか|Toru Sano
    • 献血ポスター問題について - Commentarius Saevus

      ここ3週間近く議論が続いている『宇崎ちゃんは遊びたい!』献血ポスターについて、このようなtogetterまとめが投稿されました。 togetter.com これは吉峯耕平弁護士が私と行った議論をまとめたセルフまとめです。セルフまとめで相手の議論について「saebou先生の反倫理的な「すごく高い倫理」」などという中立性に欠けるタイトルをつけるのはどうかと思いますが、あまりにも偏ったまとめであること、またこの話が始まって以来、全く私がしている話を見ずにデマに近い内容を流してくるツイッターアカウントや嫌がらせをしてくるツイッターアカウントが後を絶たないため、自分の意見をまとめてここに書いておこうと思います。 1. どうして私が献血にこだわっているのか 2.理念をどう広告に出すか 3. 作品の倫理的側面について議論するのは法律でも、規制でもない 4. 広告は他の芸術と違う 5. オタク文化だけ攻撃

        献血ポスター問題について - Commentarius Saevus
      • 宮台真司とは何者か?|中森明夫

        2022年11月29日、宮台真司氏が暴漢に襲われた。彼が教授を務める東京都立大学のキャンパス内で何者かに背後から頭を殴られ、刃物で首や背中や腕などを斬られて、救急搬送された。犯人の男は逃走し、警察が行方を追っている。そのニュースは大きな衝撃をもたらした。 宮台氏は、30年来の私の友人である。愕然とした。身が震え、その夜は眠れなかった。 宮台氏は重傷だが、命は助かった。数時間もの大手術を受け、何十針も縫ったという。心配でたまらない。どんな痛い、辛い、恐ろしい思いをしているだろう……。 12月3日、お昼のこと。突如、宮台さんからメールが届いた。えっ! 目を疑った。襲われてまだ4日だ。全治1か月の重傷で入院しているはずなのに……。 実は、今回の事件の前に宮台さんにメールを送っていた。2023年2月に私の新著が出る。寺山修司が今も生きていて、80歳代半ばで、アイドルグループをプロデュースする。その

          宮台真司とは何者か?|中森明夫
        • 「ほうじ茶の喉ごしのような、すうーっとした印象」“右傾化”した椎名林檎の素朴すぎる語彙の正体 | 文春オンライン

          サブカルチャー。この言葉を聞いて思い浮かべるものは、恐らく人によって様々だろう。ひとつの社会における主流文化に対して、その社会の一部の人々によって共有される副次的な文化……というような意味合いが、この言葉の一般的な使われ方ではある。 ただ、戦後日本社会においては、サブカルチャーという言葉はある独特のニュアンスのなかで用いられてきたと私は考える。一言で言ってしまえば、それは文化の脱歴史化・非政治化とでも言うべき、「脱臭化」のニュアンスである。 私=コメカと相方であるパンスとで構成される批評ユニット「TVOD」による初の著作『ポスト・サブカル 焼け跡派』は、時代を象徴する様々なミュージシャン・アーテイストに言及し、戦後日本のサブカルチャーを取り巻く文化的な精神史を描くことを試みた本だ。そしてその精神史の探求は、先述したような「脱臭化」の作法を活用し消費社会的状況を謳歌した日本が、いつの間にか「

            「ほうじ茶の喉ごしのような、すうーっとした印象」“右傾化”した椎名林檎の素朴すぎる語彙の正体 | 文春オンライン
          • 「キモチワルイ」 シン・エヴァンゲリオン感想・考察|小山(狂)

            一応断っておきますが、ネタバレ全開です。 「庵野の回復ストーリー」としてのシンエヴァシン・エヴァンゲリオンとは一言で表すとどういう話だったのか。 「シン・エヴァンゲリオン」とは、ニアサードインパクト(エヴァQ)を起こしてうつ病になったシンジ(庵野)が、周りの人々に支えられて回復し、ゲンドウ率いるネルフ(旧エヴァ)と対決するお話である。 つまり、極めて個人的な庵野秀明自身の「回復の物語」が紡がれている。旧エヴァにあったような普遍的なテーマはどこにもない。ひたすらに、庵野秀明個人がみんなに支えられてうつ病から回復し、エヴァの完結編を創ってエヴァの呪縛から逃れられるようになった。それだけの話が延々と展開されている。 極言すれば、本作には「エヴァンゲリオン」のキャラクターはほとんど登場しないとも言える。エヴァのキャラクターの口を借りて、庵野秀明が自分の話をつらつらと語っている。そういう作品だ。 エ

              「キモチワルイ」 シン・エヴァンゲリオン感想・考察|小山(狂)
            • 24/4/20 ダンジョン飯の感想 なぜファリンを蘇生したのは黒魔術なのか? - LWのサイゼリヤ

              ダンジョン飯 ダンジョン飯 1巻 (HARTA COMIX) 作者:九井 諒子 KADOKAWA Amazon 注:アニメ版ではなく漫画版の感想です 漫画最終巻までのネタバレを含みます ダンジョン飯 ああダンジョン飯 被食者を蘇生するから黒魔術 充足と渇望のダイナミクス 禊としてのカニバリズム 対立と和解のダイナミクス 完結していたので全巻読んだ。かなり面白かった! 個人的にはミスルン隊長が一番好き(アニメ未登場)。華奢な割に突出した異常な強さを持つエロい男、推せる。 Web漫画にありがちな一話完結っぽいタイトルに反してハードなファンタジーとしてのストーリーがしっかりしている。一話冒頭でいきなりパーティーが全滅するところから始まり、「最深部でドラゴンに食われた妹・ファリンを取り戻す」という明確なゴールに向かって迷宮を下っていく。ファリンの蘇生と救出は四巻で早くも達成してしまったかと思いきや

                24/4/20 ダンジョン飯の感想 なぜファリンを蘇生したのは黒魔術なのか? - LWのサイゼリヤ
              • 「異世界おじさん」でたかふみはなぜUR団地に住んでるのか?【こだわりの公団住宅描写】 : さざなみ壊変

                たかふみとおじさんがUR団地に住んでいる理由 めちゃくちゃ旧公団住宅な古くて白い団地。 「異世界おじさん」のおじさんとたかふみが住んでいるのはこんな感じの古い低層団地である。 こういった団地はかつて日本住宅公団が中所得者向けに建てた集合住宅を、民営化してできた独立行政法人都市再生機構(UR)が引き継いだものだ。 「うわあ、めっちゃURだなあ!」と思いながら「異世界おじさん」を見ていたけど、2人がこんな団地に住んでいるのには理由がある。 UR団地は部屋を借りやすい おじさんが目覚める前のたかふみは元々友達とルームシェアして住んでいた。その友達が部屋から出ていったのでおじさんを加えて一緒に住んでいるという設定になる。 URの団地は金さえあれば誰でも貸してくれる(反社会的勢力を除く)のでルームシェアにはもってこいだ。 賃貸住宅というものは結婚した夫婦であれば簡単に借りられる部屋でも男2人のルーム

                  「異世界おじさん」でたかふみはなぜUR団地に住んでるのか?【こだわりの公団住宅描写】 : さざなみ壊変
                • 審査のゆがみ:全日本吹奏楽コンクールを例に

                  芸術競技において審査過程の公平性を確保することは重要な課題である.本論文では,審査結果に意図せざる形で偏りが存在しているか否か,存在するとしたらどの程度影響を与えているのか,という問いに対して全日本吹奏楽コンクールを事例として分析を行った.分析の結果,演奏順が後ろであればあるほど有利であるという “overall order bias” と,一つ前の演奏団体のパフォーマンスから影響を受ける “sequential order bias” が存在することが示された.

                  • デザイン盗作・「ルックバック」の藤本タツキは天才ではない。あるいは少年ジャンプの才能枯渇問題 - フロイドの狂気日記

                    ルックバック - 藤本タツキ | 少年ジャンプ+ 内容は楽しく読めたんだけど、これに対しての大絶賛コメと天才大合唱が不気味すぎる。それにプロ漫画家(超一線級のSクラスではない)までがTwitterで心を動かされたとか言っている。だいたいそういう人らのヒロイックな自虐と謙遜は見るに耐えない。そもそもなんだけど、この作品以外に素晴らしい最近の作品がないのかって話で、世の中を見渡せば天才と呼べる人と作品はいくらでもある。にもかかわらずピンポイントで心に刺さってるのは、その人らが観察力と意識のない平凡なそれだからでしょう。観察してないから、バズった読み切りに心動かされる。他にもたくさん天才的な作品はあるのに、だ。これ読んで筆折るってんなら毎日筆折らないといけない。まともに色んな作品を読んでいるのであれば、だけれど。 作る人はどれだけ天才が世の中に溢れていても創作活動をするわけで、作中の京本がそんな

                      デザイン盗作・「ルックバック」の藤本タツキは天才ではない。あるいは少年ジャンプの才能枯渇問題 - フロイドの狂気日記
                    • 「男」に「男」は救えるか? - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

                      ここのところ、はてなの匿名ダイアリーで、(シスヘテロの)男性と男性の関係についての、男性の書き手による記事が次々と公開されて、ブックマークを集めている。 これまでネット上では「弱者男性」を名乗る人たちが、(経済力のある)女性は(経済力のない)「弱者男性」と結婚して扶養することにより救うべきだという主張をすることがあった*1。それに対して女性から、男性は女性に救いを求めるのではなく、男性に救いを求めるべきだという指摘が寄せられることはよくある。 今回、次々と公開される記事は、男性と男性が人間的に(または情緒的に)繋がることによって、男性が救われることについての困難が言語化されている。 男同士が遊ぶことに楽しさがないわけじゃない。 ただ安心して弱さを見せ合い、ベッタリともたれ合うことはできない。 いわばスポーツや対戦ゲームみたいなもんで、調子のいい時、面白いとき、人生が恵まれている時にお互いの

                        「男」に「男」は救えるか? - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
                      • アオサギの話しかしない『君たちはどう生きるか』考察&感想&レビュー - 沼の見える街

                        アオサギという鳥が好きだ。日本中で見ることのできる、とても身近な野鳥でありながら、大きな体をもち、翼を広げれば全長は1.5メートルにもなる。あまり人や外敵を恐れぬ泰然とした佇まいにも目を奪われる。目元から冠羽へとつながる濃紺の模様や、長い首を彩る斑点、くすんだ青灰色の色合い…。いわゆる「サギ」として連想する真っ白な羽のシラサギ(実はこれは種の名前ではなく、ダイサギ・チュウサギ・コサギらをまとめた通称なのだが)とは一線を画する、野性的な美をアオサギはその身にまとっている。 そのルックスに恥じず、アオサギの暮らしはワイルドだ。魚や虫や甲殻類だけでなく、時には同じ鳥類や小型哺乳類まで捕食する。「張り詰めた弓」のようにジッと動かないかと思えば、突如として矢のような瞬発がひらめく。長い首を素早くのばし、鋭いくちばしで獲物を捉えるのだ。堂々たる巨体の優雅さと、刃物のような攻撃性を兼ね備えたアオサギを眺

                          アオサギの話しかしない『君たちはどう生きるか』考察&感想&レビュー - 沼の見える街
                        • タイトルすら読めない人の「声」は今のネットに存在するか - シロクマの屑籠

                          note.com 先日、狂人を名乗っている小山さんが、「論破王」ひろゆきさんとtwitterで「議論」になった一部始終をnoteにまとめてらっしゃった。その内容は、ひろゆきさん自身に焦点を当てるよりも、ひろゆきさんのファン層に焦点を当てた内容だった。 小山さんは驚きをもって語る。「日本語は読めないけれど論破したい」という欲望が存在する、と。ひろゆきさんのファンからの声には、論争内容を理解したコメントがぜんぜんなくて、まったく論争内容を理解していないコメントが無限に飛んでくる、と。 自分はインターネットに20年以上どっぷり浸かり、不毛なネット論争を何十何百と繰り返してきたわけなのですが、ここまでファン層の知的レベルが低いのは確実にひろゆきさんが初めてだと思います。というか、おそらくは「論争」という知的(?)遊戯を嗜まない層にまでひろゆきさんの影響力は波及している。論争の当事者になることで、そ

                            タイトルすら読めない人の「声」は今のネットに存在するか - シロクマの屑籠
                          • 【ネタバレ】『エヴァ』は本当に終わったのか 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』徹底考察

                            ※本稿には、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の結末を含む内容への言及があります。 2007年からシリーズの公開が始まった、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』。その4作目にして、シリーズ最終作となったのが、タイトルを一新した『シン・エヴァンゲリオン劇場版』だ。TVアニメ版『新世紀エヴァンゲリオン』、旧劇場版を経て、再び出発した本シリーズが14年の長期に渡って公開され、前作から8年と数カ月を経て最終作が公開されたというのは、異例づくめといえる出来事だ。このような新シリーズのスケジュールは、庵野秀明監督はじめ作り手側にとっても予想していなかったはずだが、それでも成立してしまうというのは、『エヴァ』全体の熱狂的な人気があってこそだ。製作が長引き延期を重ねながらも、シリーズの興行成績は落ちるどころか、右肩上がりになっていった。 さらに、公開前に発表された「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」という、最終作と

                              【ネタバレ】『エヴァ』は本当に終わったのか 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』徹底考察
                            • 岡本太郎しか勝たん - gfnweb

                              近年の若者には「推し」がいたりする.「推し」という語が少なくとも原義的には 自身-対象 ではなく 自身-対象-対象を勧められる第三者 という図式を有している点は2020年代の各個人と社会との関係の在り方を写すようで面白いが,まあその話自体に立ち入るのは置いておくとして,20代も終了目前で別に若くもない筆者にもその意味の「推し」の1人くらいはいる.岡本太郎だ.岡本太郎については既に多くの人が熱弁しているけれど,このベラボーな巨人について自らの言葉で書き留めておかねばならぬという欲を私も抑えがたい.だから「後から見返したら恥ずかしいだろう」などという卑しい懸念を唾棄して書くのである. 岡本太郎自体はほとんどの方がご存知だろう.「芸術は爆発だ!」などのやや奇抜な言動で知られ,“奔放なエキセントリックおじさん” のイメージが広く共有されているかもしれない.だが,そうしたイメージは全く一面的である上

                              • 既存の「わかりやすい」人類史を現代の知識・研究でとらえなおす、『ブルシット・ジョブ』著者の遺作となった大作ノンフィクション──『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』 - 基本読書

                                万物の黎明 人類史を根本からくつがえす (翻訳) 作者:デヴィッド・グレーバー,デヴィッド・ウェングロウ光文社Amazonこの『万物の黎明』は、世の中にはやってもやらなくてもいいようなクソどうでもいい仕事で溢れているのではないかと論を展開した『ブルシット・ジョブ』で知られるデヴィッド・グレーバーの最新作にして、遺作となった大作ノンフィクションである(単著ではなく、考古学の専門家デヴィッド・ウェングロウとの共著)。今回テーマになっているのは、サブタイトルに入っているように、「人類史」だ。 多くの(特に売れている)人類史本には、環境要因に注目したジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』や「虚構」をテーマにしたユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』のように「わかりやすい切り口」が存在するものだが、本書(『万物の黎明』)の特徴の一つは、数多語られてきた「わかりやすい切り口」の「ビッグ・ヒストリ

                                  既存の「わかりやすい」人類史を現代の知識・研究でとらえなおす、『ブルシット・ジョブ』著者の遺作となった大作ノンフィクション──『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』 - 基本読書
                                • 憲兵までゆるふわ化してしまった『この世界の片隅に』 - 読む・考える・書く

                                  『この世界の片隅に』で太極旗シーン以上に問題なのが、憲兵が出てくるエピソードだ。この話は以前にも一度取り上げているので内容が一部重複するが、改めて問題点を整理してみることにする。なお、このエピソードに関しては原作マンガとアニメ版に大きな違いはない。 『この世界の片隅に』で「憲兵」はどのように描かれたか このエピソードでは、呉の軍港に浮かぶ軍艦をスケッチしていたすずを間諜(スパイ)容疑者として捕まえた憲兵が、すずを連れて北條家に怒鳴り込んでくる。[1] 家族たちは玄関先で怒鳴り散らす憲兵の説教を神妙に聞いていたのだが、憲兵がいなくなると、次のシーンでは、よりによってすずなどをスパイ扱いした憲兵をバカにして爆笑する。[2] 現実にはあり得ない憲兵描写 しかし、こんなことは当時の現実としてはあり得ない。 まず、憲兵がスパイ容疑者を捕まえたら憲兵隊詰め所に連行して尋問するはずで、容疑者の自宅に引っ

                                    憲兵までゆるふわ化してしまった『この世界の片隅に』 - 読む・考える・書く
                                  • この10年でゲームシナリオ業界に起こった5つの変化──それは『チェンクロ』『グラブル』『FGO』から始まった

                                    ゲームをプレイしていると、キャラクター同士が様々な会話を行うイベントシーンを目にすることがある。そういったゲーム内で表示されるテキストを作る「ゲームシナリオライター」という職業をご存じの方は多いだろう。 ゲームとシナリオは密接に関係しており、当然ながらその歴史はゲーム業界とほぼ同じぐらいの長さがある。だが、実のところ日本のゲーム業界において、ゲームシナリオライターとは長い間「肩書き」のひとつとして認識されていた一方、決して一般的な「職業」ではなかった。 ところがそんなゲームシナリオ業界が2010年代に入って激変し、環境も大きく改善している。その立役者と言えるのが、ある3つのゲームだ。 ひとつ目は『チェインクロニクル』。 同作はシナリオを重視したネイティブアプリがヒットすることをゲーム業界に示し、さらに多くのゲームに影響を与えることとなるシナリオ構造の原型を作った。 (画像はチェインクロニク

                                      この10年でゲームシナリオ業界に起こった5つの変化──それは『チェンクロ』『グラブル』『FGO』から始まった
                                    • これから「ルックバック」についておしゃべりしようと思っている人に注意してほしいこと - 装置

                                      ※以下加筆部分 この記事は、2021年8月2日に行われた作品の「修正」および同年9月発売の単行本『ルックバック』よりも前に書かれたものであり、一番最初に公開されたバージョンに即しています。最初のバージョンは今ではアクセスが難しくなってしまいましたが、公開当時の反応の一例を残しておくことにも一定の意味があろうと思いますので、そのまま残してあります。 ※加筆ここまで 2021年7月19日に『ジャンプ+』で公開された藤本タツキの中編「ルックバック」は、公開直後から大変な反響を引き起こしている。良し悪しという意味での評価は別にして、この作品は読者に何か語らせずにはおかないというか、裏読みのようなものへの欲望を喚起せずにはいない構造がある。"Don't Look Back in Anger"をはじめとした、作品の至るところに散りばめられた「元ネタ」の数々、「バック」=過去=背中=……といったモチーフ

                                        これから「ルックバック」についておしゃべりしようと思っている人に注意してほしいこと - 装置
                                      • 【翻訳】パレスチナ人の命も守れ:ユダヤ人の学者ジュディス・バトラーがイスラエルの「ジェノサイド」を非難|カフェ・フスタート

                                        本稿はデモクラシー・ナウによるジュディス・バトラーのインタビュー(Palestinian Lives Matter Too: Jewish Scholar Judith Butler Condemns Israel’s “Genocide” in Gaza)の日本語訳です。 バトラーはクィア理論の大成者として有名ですが、ユダヤ人としてイスラエルの占領や暴力を一貫して非難してきました。このインタビューでバトラーの表情は終始険しく、ジェノサイドという言葉を繰り返し口にします。また、バトラーはイスラエルによる暴力は75年前から組織的かつ継続的に行われてきたと指摘し、パレスチナ人がその死を悼むに値しない人間以下の存在として扱われる状況に警鐘をならしています。イスラエルを植民地主義国家・アパルトヘイト国家として明確に非難している点も重要です(これまでのイスラエルの所業をみれば明白のことなのですが、な

                                          【翻訳】パレスチナ人の命も守れ:ユダヤ人の学者ジュディス・バトラーがイスラエルの「ジェノサイド」を非難|カフェ・フスタート
                                        • ジョーカー誕生の物語としてめちゃめちゃ好き! 解釈一致! 「ジョーカー」が超超超良かったので勢いで感想を書きました

                                          ※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています バーチャルYouTuber、マシーナリーとも子による不定期コラム第17回(連載一覧)。今回は、「次は『デモンエクスマキナ』の感想を書きたい」と言っていたとも子から、深夜に「『ジョーカー』めちゃめちゃ良かったからともコラムで書いていいですか???」とメッセージが飛んできたので、急きょ予定を変更して、映画「ジョーカー」についてお送りします。なお、ネタバレありなので未見の方はご注意を! あと「新しいテーマ曲ができたから聞いて!」だそうです ※バットマンは出ません ライター:マシーナリーとも子 徳で動くバーチャルYouTuber(サイボーグ)。「アイドルマスター シンデレラガールズ」の池袋晶葉ちゃんのファンやプロデューサーを増やして投票してもらうために2018年4月に活動開始。前世はプラモ雑誌の編集をしていたとも言われているが定かではない。

                                            ジョーカー誕生の物語としてめちゃめちゃ好き! 解釈一致! 「ジョーカー」が超超超良かったので勢いで感想を書きました
                                          • 「今ここ」に無理に適応しなくていいということを知るために人文知やサブカルはある - あままこのブログ

                                            note.com plagmaticjam.hatenablog.com 人がどういう風に学問や思想を学んできたかということを読むのは好きなので、1000円払って白饅頭氏の記事を読み、その後plagmaticjam氏の記事を読みました。 白饅頭氏の記事の要約 まず、白饅頭氏の記事を要約すると次のような内容になります。 最近、経営者やそれなりの役職に就いている人と話すことが多いのだが、彼らは異口同音に「昔は自分もリベラル派に親しみがあったが、今はそうではない」と言う 有名な哲学者である東浩紀氏も同じように言う 社会的責任を持つと、リベラル派の言説というのは、現実から遊離した物に感じるのだ 「自分で金を稼ぎ、社員を食わせ、顧客に価値を感じてもらう」という、俗世シャバの泥臭い営みのしんどさと尊さを知った東浩紀さんが、公金をジャブジャブつぎ込まれ、なおかつ子ども(の親)からの高い学費を受け取りなが

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                                            • ナナイ・ミゲルからシャア・アズナブルへの質問と確認と安堵と絶望 <映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』でのすれちがい宇宙>

                                              いきなりだが、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』の話をしよう。 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア [Blu-ray]posted with カエレバAmazon.co.jpで詳細を見る 劇中、ネオ・ジオン総帥となったシャア・アズナブルと、その部下にして恋人ナナイ・ミゲルが、シャアの私邸?で会話するシーンにこんなやりとりがある。 ナナイ「クェス、よろしいんですね?」 シャア「あれ以上の強化は、必要ないと思うが?」 ナナイ「はい。あの子はサイコフレームを使わなくとも、ファンネルをコントロールできるニュータイプです」 シャア「そうだろうな」 このすれ違い! このすれ違い会話がいつ見てもたまらない。 ナナイの質問は明らかに複数の意味を込めている。 だから、シャアの回答でも間違いではない。 間違いではないが、コミュニケーションとしては完全にすれ違っている。 はたしてナナイは何を確認したかったのか?

                                              • 藤本タツキは『ルックバック』を“描かずにはいられなかった”のではないか?──「受け手に湧き上がる衝動によって駆動する物語」としての『ルックバック』を考える

                                                2021年7月19日の0時に「少年ジャンプ+」にて公開されるやいなや大反響を呼び、次々と熱のこもった批評、感想がネット上に次々アップされ、すでにひとつの「現象」と化しつつある、『チェンソーマン』の作者、藤本タツキ待望の最新作『ルックバック』。 (画像はルックバック – 藤本タツキ | 少年ジャンプ+より) 連日のように力のこもった充実した新作が公開され、ネット上でバズることがもはや当たり前の出来事のようになりつつある、「ジャンプ+」の中でも『ルックバック』の反響は群を抜いている。本稿執筆時点で閲覧数は500万を突破しており、はてなブックマーク数は3000を超えるほどだ。 週刊少年ジャンプ誌上において始まりから第一部の完結まで絶えず異彩を放ち続けた『チェンソーマン』の作者の最新作ということでも公開前から期待を集めていた『ルックバック』は、なぜこんなにも多くの読者の心を揺さぶるのだろうか? 公

                                                  藤本タツキは『ルックバック』を“描かずにはいられなかった”のではないか?──「受け手に湧き上がる衝動によって駆動する物語」としての『ルックバック』を考える
                                                • 椎名林檎を論じて見えてきた現代の大衆と文化 - 集英社新書プラス

                                                  2017年に創設された「すばるクリティーク賞」。評論の新人賞が減少傾向にあるなか、文芸誌「すばる」の編集部が主催し2021年で4回目を迎える。1月6日発売の「すばる2月号」で発表された2021年の受賞作は、西村紗知さんによる「椎名林檎における母性の問題」だ。 この論考では、J-POPのフロントランナーの一人、椎名林檎の作品における表現の特異性を論じながらも、彼女の楽曲や発言から、すべてのものを無批判に受け入れる「母性原理」が全面化していることを指摘。そしてそれは、日本の大衆の主体性のなさ、成熟できなさを映し出してしまっていると鋭く論じ、発表直後から大きく話題を呼んだ。西村さんはなぜ、椎名林檎を論じたのか。音楽を中心に、表象文化全般について執筆活動を行う批評家、伏見瞬によるインタビューを通して、その意図に迫る。 椎名林檎という音楽家は、西村さんにとってどんな人ですか。 間違いなく、永遠の憧れ

                                                    椎名林檎を論じて見えてきた現代の大衆と文化 - 集英社新書プラス
                                                  • 未来のミライ面白かったな!(≠いい映画だったな)

                                                    はじめに 細田守映画には2種類ある細田守を知らないほうが楽しめる映画 デジモン、サマーウォーズ 細田守を知っているほうが楽しめる映画 バケモノの子、未来のミライ 2つの細田守らしさ描きたい内容を単純化しつつわかりやすい折り目をつけ、誰でもついていきやすい速度でありながら明確な変化を持って描かれる最大公約数的なストーリーテリング。画面を広く使いつつ視点を大きく動かさないようにする雄大なカメラワーク。日常と幻想の間に半透明の敷居を置き両者をはっきり区別しながら横へと並べる非連続的な非日常性。これがいい意味での細田守らしさ。 ショタコンにしてケモナー。自意識過剰なキャラクター。誰もが承認欲求に飢えているという断定の元に進む構ってちゃんストーリー。全てを自分の口で説明してしまう自信のなさ。ヒステリックさと寛容さの両極端。これが悪い意味での細田守らしさ。 悪い意味での細田守らしさを楽しめるか?未来の

                                                      未来のミライ面白かったな!(≠いい映画だったな)
                                                    • 書いたな!俺の前で!チェンソーマンの話を!

                                                      anond:20200603135913 つまりはそういうことなんだが、チェンソーマンの面白さとは、アンチカタルシスを極めたあの藤本タツキという作者の作品に、少年漫画のエッセンスをこれでもかとぶち込んだその濃度だ。 漫画マニアなら作者の前作、ファイアパンチは知っているし、最低でも1話は読んだことがあるだろう。今ならジャン+で無料で1日1話やってるから、知らなかった一般人諸兄も気になるなら読める。1話目をとりあえず読んでくれ。復讐譚の導入としては、これ以上ないほどの1話目だと感じられると思う。これが合わないなら藤本タツキは合わない。それはしょうがない。 で、このファイアパンチだが、連載終了後もとにかく賛否否否両論ある漫画だ。とはいえ、否の方も「編集がバケモノを持て余した」というタイプの否が多く、1話目の出来を疑う人は少ない。ではなぜここまで否が多いか?簡単だ、徹底して読者の予想を裏切ることに

                                                        書いたな!俺の前で!チェンソーマンの話を!
                                                      • 「君たちはどう生きるか」が完全に失敗作だった件

                                                        初日に見たのでネタバレ感想。 未見の人や面白かったって人に水差すのもアレなので増田で。 以下ネタバレ (吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」は未読なので、そこからの引用があったらごめんなさい) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ いやね、まったくダメってわけじゃないのよ?最終的には得意の異世界冒険活劇に着地させるし。そこは熟練の技。 ただ、セルフオマージュをしたいがための意味不明な設定や展開が多すぎて、全然ストーリーに乗れないの。 ■意味をなさない設定の多さ 父親が(多分)軍用機のキャノピーを作る工場を経営してて、主人公はいいとこの子、って設定、なにかに生かされた? あ〜「風立ちぬ」っぽい!ってシーン以外、ストーリーに絡んでなくない? 主人公が引っ越す旧家も延々歩く描写があるわりに、結局主人公が暮らすのは離れの洋館だし、舞台はほぼ塔の建物と異世界。 結果、和の旧家はばあやがたくさんいる、という

                                                          「君たちはどう生きるか」が完全に失敗作だった件
                                                        • 女は音楽ライター・評論家にはなれない - 電子計算機舞踏音楽

                                                          子供のころから流行りの音楽が好きになれなかった。同級生の聴いている音楽には興味がなかったが、明らかに男子と女子では傾向が違った。女子が好きな食べ物、ファッション、ドラマ、映画、ゲームというものはある。音楽だけ特殊で、性差による傾向がない訳がない。自分は女性的なものにあまり惹かれないが、一般的に男子の好きな傾向のあるハードな音楽は苦手だ。 去年は海外の音楽を掘るようになり、海外の音楽メディアも読み漁った。自分の好きな音楽を評価している記事や求めている解説記事が、日本より豊富であることにふと気が付いた。 Guardianは2019年のベストを選んだライター名と何を選んだかを公表している。とてもオープンだ。手間がかかって大変だったが、全員の性別を調べてみた。38.6%が女性だった。日本はと言えば、下記の通り。SNSのタイムラインでも、女性音楽ライターや音楽評論家の名前を見ることはほとんどない。渡

                                                            女は音楽ライター・評論家にはなれない - 電子計算機舞踏音楽
                                                          • 共産党は、党首公選絡みの批判に「乱暴な攻撃」「大きな間違い」とハリネズミやってるようじゃ、党員・赤旗読者数『130%』は到底無理だよ…… - 斗比主閲子の姑日記

                                                            何度も公言してるけど、私は2013年から地方選挙・国政選挙ともに自公維新以外にしか投票していません。思い返せば、選挙権を持ってから自民党に投票したことはほぼないはずです。 理由は単純で、自民党は私のポリシーに合わないし、 同性カップルは「生産性なし」 杉田水脈氏の寄稿に批判:朝日新聞デジタル 「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」 「種の保存にあらがう」 自民議員のLGBT差別相次ぐ:朝日新聞デジタル 「生物学的に自然に備わっている『種の保存』にあらがってやっている感じだ」 「ばかげたこと起きている」 性自認めぐり自民・山谷氏:朝日新聞デジタル 「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろとか、女子陸上競技に参加してメダルを取るとか、ばかげたことがいろいろ起きている」 同性婚で「社会変わってしまう」は首相のアドリブ 問われ

                                                              共産党は、党首公選絡みの批判に「乱暴な攻撃」「大きな間違い」とハリネズミやってるようじゃ、党員・赤旗読者数『130%』は到底無理だよ…… - 斗比主閲子の姑日記
                                                            • ゼルダティアキンのラスボス戦がなぜ最高だったのかゲームデザインの観点で解説するよ|ニカイドウレンジ

                                                              前置きゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダムをクリアした。ラスボスとエンディングが非常に素晴らしかった。自分がこれまで遊んだゲームの中で、最上級と言えるようなゲーム体験がそこにあった。 グラフィック、展開、音楽、ストーリー、演出など全てが素晴らしかった。だがそれだけではない。最初は気付かなかったがしっかり観察していくとゲームデザイン面でも様々な工夫がされていることが分かった。 本記事では、私ニカイドウレンジがプレイして気付いたラスボスのゲームデザイン的工夫について解説していきたい。ゲームを理解することの助けや、ゲーム開発の助けになれば幸いだ。 逆にゲームデザイン以外についてはほとんど語らない。演出や展開や音楽などについて詳しく知りたければ、じーくどらむす氏の記事が詳しいのでこちらをお読み頂ければと。 まずは注意事項。 注意①:本記事はゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダムのラスボスにつ

                                                                ゼルダティアキンのラスボス戦がなぜ最高だったのかゲームデザインの観点で解説するよ|ニカイドウレンジ
                                                              • 『バービー』ネオンジェネシス宗教映画|うまみゃんタイムズ

                                                                映画『バービー』が前提としているブランドの基本情報についてELLEで紹介したのだが、この作品がユニークなのは、アブラハムの宗教をベースにしているところだ。それを知らずとも楽しめはするのだが、この10年「国際的な観客にとってのわかりやすさ」が重視されてきたハリウッドIP映画として異色な宗教的大作となっている。 「宗教儀式のような映画館」 まずこの映画、すでに興行収入10億ドルを突破していて、特に北米でものすごくヒットしている。『ダークナイト』を超えてワーナー・ブラザース最高の国内成績で、観客の二割が少なくともコロナ以降映画館に来ていなかった層とされる。 特異なのは、文化左派っぽい見てくれをしてるのに保守派での好評も目立つこと。ポリコレ叩き文化戦争工場ことFOX Newsすら肯定的言説を流すに至っている。さらに、映画館に行った人々からは「嗚咽してる人がたくさんいて宗教儀式みたいだった」という報

                                                                  『バービー』ネオンジェネシス宗教映画|うまみゃんタイムズ
                                                                • 気高き「敗者」の物語。荒木飛呂彦の納得と重力。 ~『ジョジョの奇妙な冒険』第7部「スティール・ボール・ラン」 - ジゴワットレポート

                                                                  「絵」を描くという作業は『無限』である。どこで終わっていいのか、一枚をずーっと描いてられる。そして『物語』。仮に「恋人」が穴の底に落ちている設定があって、そこに「嫌いな友人」を身代わりに突き落とすと、その『恋人』は命が助かるという状況があったとしたなら、もし、あなたならどうしますか? 嫌いなヤツを突き落とす? それは「正しい行動」じゃない気がする。考えると『無限』に答えが出なくなってしまう。ちなみに「絵」は、自分の「心」が終わりとした時が完成。自分勝手だと思う。 引用したこの文章は、『ジョジョの奇妙な冒険』第7部「スティール・ボール・ラン」単行本22巻における著者・荒木飛呂彦のコメントである。 この、作者の自嘲をも感じさせる一文が無性に好きで、事あるごとにふと読み返してしまう。たった200文字程度だが、私の感じている「スティール・ボール・ラン」のテーマのようなものが、ここに凝縮されているか

                                                                    気高き「敗者」の物語。荒木飛呂彦の納得と重力。 ~『ジョジョの奇妙な冒険』第7部「スティール・ボール・ラン」 - ジゴワットレポート
                                                                  • 「ブルアカはマジでヤバイと思いました」最前線の美少女ゲームの書き方を実践していて、あのレベルで書けるライターは何人もいないらしい

                                                                    稲塚 春@ハルねこ @Inatsuka 日本人としては、原神みたいな「アニメ風の絵柄で正面からクオリティで勝負して世界で大ヒットしたソシャゲ」を日本のメーカーが出せなかったことを非常に悔しく残念に思ってるんだよなぁ…… 2023-06-01 10:24:22 稲塚 春@ハルねこ @Inatsuka 日本ってクリエイターの実力的には全然負けてないと思うんだけど…… 会社のお偉いさん方にセンスがないというか…… クリエイターを信頼せずに全力を出せるだけの環境と権力を与えてないのが、ヒット作を生み出せない原因だと思うんですよね 2023-06-01 10:27:48

                                                                      「ブルアカはマジでヤバイと思いました」最前線の美少女ゲームの書き方を実践していて、あのレベルで書けるライターは何人もいないらしい
                                                                    • フィギュアスケートまんがにおけるジャンプ時のコマ送り表現について。 - 名馬であれば馬のうち

                                                                      フィギュアスケートまんがを読んでいると、どの作品にもある演出が共通して描かれることに気づきます。 それが「ジャンプ時のコマ送り」。 (『メダリスト』つるまいかだ 『アフタヌーン』連載) このようにジャンプの回転を連続写真のように、ひとつの画面の中におさめ、表現する手法です。 これがまあフィギュアスケートまんがには必ず一回は出てくる。確定で出てくる。確定演出ってやつですね。 フィギュアスケートの見せ場としてジャンプがいちばん盛り上がるのはわかる。ジャンプの回転表現としてはもうひとつ「((💃))」的なエフェクトをつけるものがありますが、これではタテ、ヨコ、回転の三つの運動を兼ね備えたジャンプの迫力を伝えるには足りない。それを読者に伝えるにはコマ送りで表現したほうがよい。それはわかる。 では、どのくらい昔からある表現なのか。気になりますよね? 気になりませんか? ならない? あっ、そう。わたし

                                                                        フィギュアスケートまんがにおけるジャンプ時のコマ送り表現について。 - 名馬であれば馬のうち
                                                                      • 名作『ジョゼと虎と魚たち』アニメ版は“純愛推し”だが…消された「性被害」の重み | 文春オンライン

                                                                        アニメ映画『ジョゼと虎と魚たち』が12月25日に公開された。原作は36年前の田辺聖子の小説で、17年前には実写化もされた。今回のアニメ映画(以下、本作)は『ジョゼ』の3つ目のバージョンとなる(注1)。 これら3つに共通する部分は多い。生まれつき足が不自由な女性・クミ子。同居する祖母は彼女を案じるあまり家に閉じ込めている。そこに健常者の大学生・恒夫が奇妙な縁から関わるようになり、クミ子はやがて自らをジョゼと名乗り始める。あやうい恋を営むジョゼと恒夫。そしてジョゼから見た外界の恐怖の象徴として登場する虎……。 一方で、結末は各々違う。原作ではジョゼは歪な関係性の中に束の間の幸福を見出す一方、破局の予感もはっきりと持っている。実写では恒夫が親に結婚を言い出せず、やがて逃げるように去る。

                                                                          名作『ジョゼと虎と魚たち』アニメ版は“純愛推し”だが…消された「性被害」の重み | 文春オンライン
                                                                        • 批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評..

                                                                          批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評や評論、あるいは研究の領域では、「俺がジャッジだ」でいいんだよね。「この作品にはこれこれこういう問題がある」というのを、あくまで個人の批評や評論や研究として、審美的な基準から行う分にはなんの問題もない。 だからオタク同士の会話で「今となってはあの描写古いよねえ……」みたいにつぶやく分には、何も問題にされないんだよな。新聞の書評欄とか、あるいは「気鋭の学者によるラノベレビュー○○選!」みたいな場だったら、「ちょっと性差別的なのはどうかと思うんだけどー」みたいなこと言っても別に問題にならないでしょ。 レビューとか評論というのは多少厳しいことを書いてもなんならボロクソにこき下ろしたりしても問題ない、なぜならそれは個別の作者による個々の作品の批判であって特に実際の権力のあるものではなく、「文芸」とか「ラノベ」とか「オタク界」とか

                                                                            批評・評論・研究と社会運動が悪魔合体した結果かなあ、と思ってる。 批評..
                                                                          • not for me,not for meうるせえよ!!!!!!!

                                                                            anond:20221119161631 >not for meを「駄作」って言わない方がいい。あなたのための作品ではない。ってだけなのに。たかが数千円払って、自分にはその権利がある。なんて、おこがましいとは思わない?まぁ批評するのは自由にしたらいいけど。 毎回作品への批判記事のブコメに湧いてくるこういうnot for meバカ 駄作だと思った意見を書いてるのにそれを「not for meなだけ」と勝手に個人の感想を決めつけてきてどれだけおこがましいんだよ たかが数千円って興行側が決めた正当な金額を払った客として当然の権利だろ 最後は批評は自由にしたらいいとか結局何がいいたいんだ こいつら結局自分が楽しんだ作品を批判されて切れてるだけだろ それをnot for meなんて言葉で隠して相手に押し付ける 自分がつまらないと思った作品への批判記事に「俺もつまらなかったけどnot for meなだ

                                                                              not for me,not for meうるせえよ!!!!!!!
                                                                            • モキュメンタリー「近畿地方のある場所について」の考察|篝火文書店

                                                                              4/3付けで内容を大幅にリテイクしました。 ・山の神についての考察を改訂 ・赤い女と新興宗教の関わりについて追記→赤い女が教主説も併設(4/3付け2回目) ・「3体目の怪異」についての考察を追加 ・「謎のシール」に関する考察を改訂 ・飛び降り自殺に関連する考察を改訂 ・作者に関する考察に内容を追加 ・「怪異の写真」を別リンクに設定し、記事内に表示されないように変更 4/9「3体目の怪異」についての考察に内容を一部追加しました リテイク前の記事を見たい方はツイッターのスレッドを参照してください。 https://twitter.com/kagaribi_bunsyo/status/1641265964280086528 Twitterでバズっていた「近畿地方のある場所について」というモキュメンタリーがある。 (モキュメンタリー=フィクションなのだがドキュメンタリーのように見せかけて臨場感を演

                                                                                モキュメンタリー「近畿地方のある場所について」の考察|篝火文書店
                                                                              • 例の漫画は「立場が強いクライアントが立場の弱い美大生を食い物にしている」作品ではなく、むしろその逆だと私は思う - 頭の上にミカンをのせる

                                                                                例の漫画については批判されるべき点が無いとは言いません。批判されるべき点がない作品など存在しないと思っています。なので、批判すること自体は全然いいと思います。*1 note.com ただ、例の漫画について「立場が強いクライアントが立場の弱いクリエイターを食い物にしてそれを美談のように語っている」というものを多く見かけました。 これは、私と解釈違いすぎる。 私の解釈が絶対的に正しいとは思いませんが、少なくとも上の理解はちょっと作品を正しく読めているとは感じないので、その旨について書いておきます。 大前提として、作者は両者の関係を「美大生の方が立場が強い」という態で描いていると私は思う 説得力があるかどうかはともかくとして、このことは明確に意図した描写として表れています。 設定について断片的に設置された表現のことを「置き石」と呼ぶらしいですが、この作品にはきちんと置き石が置かれています。その置

                                                                                  例の漫画は「立場が強いクライアントが立場の弱い美大生を食い物にしている」作品ではなく、むしろその逆だと私は思う - 頭の上にミカンをのせる
                                                                                • 『うっせえわ』への批判が増えてきた

                                                                                  筆者は20代半ば、いつになったら名実共に大人になれるかと思案したりはするものの、まかり間違っても子供を名乗れるような歳ではない。 うっせぇわ/Ado https://youtu.be/Qp3b-RXtz4w Adoの勢いは止まることなく、17歳最後の日である10月23日、メジャーデビュー曲「うっせぇわ」を発表。楽曲を手がけたのは、Adoがカバーしていた「邪魔」、「馬鹿」などでも知られる、2020年最も躍進したボーカロイドプロデューサー・syudou。Adoはハイテンションかつナイフのように尖りまくったボーカリゼーションによって、毒っ気ある低音から耳を突き刺すハイトーンまで歌声を自在に使い分け、鬼気迫る迫力で圧巻の歌唱を聴かせてくれた。意外にもチェッカーズやPsysalia Psysalis Psycheを彷彿とさせる隠れキャラのようなフレーズを忍ばせる言葉遊びの妙。ど頭から内に秘めた思いを

                                                                                    『うっせえわ』への批判が増えてきた