・赤堀又次郎の歿年(1) 前回、赤堀氏が昭和20年(1945)1月号まで雑誌2誌で言論活動を行っていたことを指摘した。 ・月刊「日本及日本人」第四百三十九號(昭和二十年一月號)(昭和二十年一月五日印刷納本・昭和二十年一月八日發行・定價五拾錢・政教社・三十二頁) この号には27頁1~2段め(4段組)に伊勢神宮に関連した「神都・神領」を寄稿している。月刊「日本及日本人」はその次の第四百四十號(昭和二十年二月號)(昭和二十年二月五日印刷納本・昭和二十年二月八日發行・定價五拾錢・政教社・三十三頁)を最後に休廃刊に追い込まれたようだが、この最終号には赤堀氏は寄稿していない。 月刊誌の一月号の寄稿であれば年末が締切だろうから、年明けまで確実に生存していたかどうかは分からない。編輯後記のようなものもなく、寄稿者の動向を細かく伝えるような態勢にはなっていないようだが、赤堀氏ほどの人物であればもし年末までに