NEWS 100曲で振り返るアシッドハウスの歴史(1/5) 3D=ダレン・エマーソン、ダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマンがセレクト! Mixmag Japan | 13 May 2018 アシーーーーーーーッド! ん〜、サマー・オブ・ラブ。快楽主義と○×△□●、そして気ままなレイヴがその後のあらゆるカルチャーの未来を予見した1988年のあの当時。ハウス、テクノ、そしてアシッド・ハウスが君臨してから30年、ここで一度、その歴史的な時代を定義したトラックの数々を振り返る。 これには、当時重要だった100曲を紹介するのが手っ取り早そうだが、そのタスクを遂行するのは、あの時代に、ブースの中や外で活躍していたエキスパートを呼ぶ必要がありそうだ。 (ドラムロール)それではここで、”3D”をご紹介! ダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマン、ダレン・エマーソンの3名は、イギリス・ダンスミュージック界のシン
NEWS 100曲で振り返るアシッドハウスの歴史(2/5) 3D=ダレン・エマーソン、ダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマンがセレクト、第2弾! Mixmag Japan | 14 May 2018 ダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマン、ダレン・エマーソンによる”3D”がセレクトする、1988年前後のアシッド・ハウス100選。全5回のうち、第2弾、20曲! RAZE 「BREAK 4 LOVE」 デイブ・シーマン:Vaughan Masonによるこの名曲は、同時期からの最も特徴的で、最もサンプルされたハウス・ブレイクスの一つを含む。ソウルフルで、怖いくらいに美しい曲だ。キース・トンプソンのヴォーカルも完璧。数年後にはペット・ショップ・ボーイズもカバーしたんだよ! RHYTHIM IS RHYTHIM 「IT IS WHAT IT IS」 ダレン・エマーソン:この曲だけは、聴き飽きるってこと
NEWS 100曲で振り返るアシッドハウスの歴史(3/5) 3D=ダレン・エマーソン、ダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマンがセレクト、第3弾! Mixmag Japan | 16 May 2018 ダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマン、ダレン・エマーソンによる”3D”がセレクトする、1988年前後のアシッド・ハウス100選。全5回のうち、第3弾、20曲! TURNTABLE ORCHESTRA 「YOU’RE GONNA MISS ME WHEN I’M GONE」 ダニー・ハウエルズ:今聴いても極上のディープ・ピアノ極楽浄土。自分にとっても大きな影響を及ぼした一枚だったので、数年前に『Choice』のコンピに収録することができてハッピーだったよ。純然たるハウス・クラシックス。 ADONIS 「NO WAY BACK」 ダニー・ハウエルズ:このリストには1986年の曲も結構含まれてるけ
NEWS 100曲で振り返るアシッドハウスの歴史(4/5) 3D=ダレン・エマーソン、ダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマンがセレクト、第4弾! Mixmag Japan | 19 May 2018 ダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマン、ダレン・エマーソンによる”3D”がセレクトする、1988年前後のアシッド・ハウス100選。全5回のうち、第4弾、20曲! NITZER EBB 「JOIN IN THE CHANT」 ダニー・ハウエルズ:イビザ初期のアンセムからもう一つ。こちらは、重要アルバム、FFRRの『Balearic Beats』に収録されていたものを聴いたのが出会い。容赦ないインダストリアルなベース・リフがマッシブなハウス・ビーツと出会う、個人的には今でも衝撃作だ。ダレンも僕もコンピに収録したことがあるよ。僕はオリジナルを使ったけど、ダレンは後から出たリミックスを使ってたよ。 MAR
NEWS 100曲で振り返るアシッドハウスの歴史(5/5) 3D=ダレン・エマーソン、ダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマンがセレクト、最終回! Mixmag Japan | 20 May 2018 ダンスミュージックの歴史を永遠に変えたサマー・オブ・ラブから30年。5回に渡り、当時重要だった100曲を紹介してきたが、今回でいよいよ最終回。今回もダニー・ハウエルズ、デイブ・シーマン、ダレン・エマーソンの”3D”に、伝説的な1988年と1989年の”あの夏”にリリースされた代表的なトラックを紹介してもらおう。 PHORTUNE 「STRING FREE」 ダレン・エマーソン:最高のHotmixレーベルから、これまた最高のPhortune(Pierre)。ピアノのグルーヴが極上なんだ。これがかかると、みんな笑顔になってハンズ・イン・ザ・エアーだったよ。
Bleep lives right at the heartcore of Energy Flash, my history of rave culture. It was the first uniquely British twist on house and techno. Rave had started out as that strange thing, a subculture based almost entirely around import records. In 1988-89, DJs had several years backlog of house classics to spin, plus fresh imports from Chicago, Detroit and New York each week; the homegrown tracks, m
MAIL MAGAZINE下記からメールアドレスを登録すると、FUZEが配信する最新情報が載ったメールマガジンを受け取ることができます。 利用規約、プライバシーポリシーに同意します。 登録する 1970年代初頭NYのディスコ・カルチャーに端を発するクラブ・ミュージック/DJカルチャーの歴史は、今、日本で「DJカルチャー」に親しんでいるどれだけの人に共有され、必要とされているのだろうか。 NYのラリー・レヴァン(Larry Levan)とシカゴのフランキー・ナックルズ(Frankie Knuckles)によって80年代前半にハウス・ミュージックが広まり、デトロイトでは80年代半ばにPファンクとクラフトワークの接合でテクノが誕生。その熱狂の伝播とエクスタシーの流入によって、海を越えたイギリスではパンク以来最大のユース・カルチャーと言われたセカンド・サマー・オブ・ラヴが80年代末に開花。そしてこ
One Nation Under A (Slowed Down) Groove. ニュー・ビート、New Beat。日本語版Wikipediaには項目すら作られていない、忘れられた音楽ジャンルの話です。 90年代前半、自分は当時流行していたMinistryやNine Inch Nailsなどのインダストリアル・メタル系のロックが好きで、小遣いを貯めて田舎のCD屋でアルバムを買って聴いていました。そのライナーノーツやレビューの中で、アーティストへの影響として毎回のように言及されていたのが「ボディ・ミュージック」と「ニュー・ビート」というジャンルでした。 ボディ・ミュージック(EBM)のほうは、インターネットがない時代の田舎でも、調べれば簡単にジャンルを代表するアーティストとして、Front 242、Nitzer Ebbなどの名前に突き当たるので理解しやすかったのですが、ニュー・ビートのほうは
シカゴの若いDJが、盗まれたLPレコードと初期のドラムマシーンにインスパイアされて全く新しいジャンルを確立するまで。 by Jesse Saunders 全ての始まりはドラムマシンだった。 1983年の夏、僕はシカゴでプレイするDJで、毎週金曜日と土曜日に、街で1番大きなクラブのひとつ「The Playground」でニュー・ウェーブ、エレクトリックヒップホップ、ディスコ、シンセポップなど、なんでもプレイしていた。The Playgroundは、あらゆる階級のシカゴ人たちが刺激的に入り混じることで知られていて、僕の仕事は、全ての人を同じようにエレクトロミュージックに合わせて踊らせることだった。 僕がローランドのTR-808を初めて触ったのもその頃だっただろう。それはプログラムで制御できるドラムマシンの先駆けで、すぐに僕の自慢であり楽しみになった。僕は、クラブのお客さんたちを個人的なフォーカ
映画監督Jonathan UllmanとプロデューサーJay Malla Maldonadoが、1977年から1987年にニューヨークで隆盛を極めていた伝説のクラブ”Paradise Garage”とそのレジデンツDJ Larry Levan、オーナーであるMichael Brodyをフィーチャーした長編映画「The Paradise Garage Movie: Larry Levan & Michael Brody Story」の制作費をアメリカのクラウドファウンディングサイト「Kickstarter」で募っている。 ディスコの歴史をフィーチャーしたドキュメンタリーは複数存在するが、そのどれもが物足りなく、大切な何かが欠落していると語るJonathan Ullman。そんな状況を打破するべくインデペンデントフィルムを制作することを決意。 クラウドファウンディングのサイトでは、およそ4分に
ハウスファン必見!著名DJ、関係者、試写会でも大きな評価を得たドキュメンタリー映画「BACK IN THE HOUSE」がいよいよ発売! clubberiaで発売の記事をあげるやいなや大きな反響をみせ、特集ページも近年もっとも見られたページの1つに挙げられる90年代のニューヨークハウスミュージックシーンを描いたドキュメンタリー映画「BACK IN THE HOUSE」がいよいよ12月10日(水)に発売される。 本作は、15年以上の歳月をかけ、アーティスト、レーベル関係者、レコードショップ スタッフ、フロアのクラウドなど200名以上に撮影取材が行われ、さまざまな立場からシーンに対する思いや考えが収められたもの。その中には、 Frankie KnucklesやDavid Morales、Louie Vega、Joe Claussell、Timmy Regisford、Kenny Bobien、
デトロイトテクノ誕生に関わったクラブとDJの忘れ去られた歴史
変わり者が集まるティーンクラブがいったいどのようにシカゴのシーンに音楽的、そして社会的な変革をもたらしたのか。Jacob Arnoldが迫る。
90年代リヴァイヴァル、ハウス・ミュージック回帰が加速する2010年代、待望のカタログ本『HOUSE definitive 1974 - 2014』が4月11日、刊行されます。 ハウス前夜のディスコ時代から1980年代半ばのシカゴ・ハウスの誕生へ、そして「ハウス」を世界中に飛び火させた1988年のセカンド・サマー・オブ・ラヴ、音楽的にハウスを洗練させた1989年のディープ・ハウス、1990年以降のディスコの故郷NYを拠点に広がったガラージ・ハウス、1994年以降、原点回帰を標榜しながら音楽性を拡張させたディープ・ハウス・リヴァイヴァル、1996年以降のダフト・パンクを生んだフレンチ・タッチとムーディーマンを生んだデトロイト・ハウス…… 激動の1990年代を経てからの2000年以降のディスコ・ダブ……そして、北欧、東欧、南米、日本にも拡散していったハウスの種子たち……、そして、いちど死んだハ
Home > Columns > 「ハウスは、ディスコの復讐なんだよ」- ──フランキー・ナックルズの功績、そしてハウス・ミュージックは文化をいかに変えたか フランキー・ナックルズが亡くなったというニュースが私たちのもとに飛び込んで、あらためて彼の功績を振り返り、彼の曲を聴きなおすたびに、とにかく悲しいという気持ちばかりが溢れて仕方がない。直前のマイアミでDJした際の動画には、クラウドに愛され、名前をコールされる最高の瞬間が残されていた。(Frankie Knuckles || Def Mix @ The Vagabond || Miami || March 2014 )そこでプレイされていたのは「僕が居なくなってから、君は僕の愛を恋しくなるはずだよ」と歌うルー・ロウルズ“You'll Never Find Another Love Like Mine”を原曲にした彼の未発売音源……。彼は
西ヨーロッパやアメリカで1930年代に電子楽器が登場するまで、テルミンは先端的な唯一無二の楽器だった。テルミンやそのアレンジ品は、レッド・ツェッペリン、ローリング・ストーンズ、ビーチ・ボーイズなどのレコーディングやライブといった、世界の音楽プロジェクトで幅広く使用された。 レフ・テルミンが自分の楽器を演奏 ジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)がテルミンを弾く 「雪どけ」で電子楽器も許可 スターリンがソ連の最高指導者だった時代は、伝統音楽、古典音楽、民族音楽が優先され、前衛音楽、実験音楽、電子音楽は厳しい検閲にさらされた。ドミトリー・ショスタコーヴィチなどの現代主義的な作曲家は、ソ連のマスメディアで形式主義者として非難された。スターリンが死去した1953年以降、ようやく音楽への検閲が少し緩和された。 西側諸国で開発されたさまざまな技術と電子楽器の使用が許可された1960年代と1970年代
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