タグ

ブックマーク / call-of-history.com (2)

  • 「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ

    1609年三月、島津軍が琉球王国に侵攻し奄美大島、徳之島、沖永良部島、そして沖縄島と次々攻略。琉球王国軍の抵抗むなしく、四月四日、首里城が陥落、尚寧王は降伏し、独立国家琉球王国は、引き続き中国からの冊封体制下にありつつ、徳川幕藩体制の中に組み込まれる両属体制時代に入ることとなった。「薩摩島津氏の琉球侵攻あるいは琉球出兵」として知られるこの事件について、簡単にまとめ。 主に上里隆史著「琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻」に従いつつ、記事末に挙げた琉球史関連の書籍・論文を参照。年号表記は和暦、中国暦、西暦を併記すべきところだが、冗長になるので一律西暦表記している。(参考、日:慶長十四年=明・琉球:万暦三十七年=西暦1609年) 徳川政権の事情秀吉死後、実権を握った徳川家康にとって最大の懸案が秀吉による朝鮮出兵の戦後処理だった。1599年の倭寇禁止令で東シナ海の治安回復に取り組む姿勢をアピー

    「薩摩島津氏の琉球侵攻」(1609年)まとめ
  • 「カラス事件」歴史を変えた18世紀フランスのある老人の冤罪死

    十八世紀フランス、欧州諸国の刑事司法制度の近代化を推し進めるきっかけとなった冤罪事件がある。近世法制史に名高い「カラス事件」である。 1761年10月13日、フランス南西部ラングドック地方の主要都市トゥールーズの商業地域フィラチエ大通り沿いで服飾品の商店を営む新教徒(ユグノー)のカラス家で事件は起きた。当主のジャン・カラスは当時63歳、当時としては老人と言って良い年齢の男性である。アンヌ=ローズ(年齢については9歳下、15歳下、18歳下など諸説ある)との間に29歳のマルク=アントワーヌ、28歳のピエール、25歳のルイ、22歳のドナの四人の息子と19歳のロジーヌ、18歳のナネットの二人の娘がいた。このうち、三男ルイはカトリックに改宗して家を出て家族とは疎遠になっており、四男ドナは徒弟奉公で別居中、二人の娘は事件当日、田舎の知人宅に行っていた。他、お手伝いのジャンヌ・ヴィギエールという旧教徒

    「カラス事件」歴史を変えた18世紀フランスのある老人の冤罪死
  • 1