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人生とオタクに関するta-c-sのブックマーク (5)

  • 40年オタクとして生きてきたのに違うと気づいた日。

    あまりに衝撃的なことに気づいてしまい、誰かに聞いて欲しかったのではじめて匿名ダイアリーを利用する。半年ROMってる時間がなくてごめん。 子どものころから漫画が好きで、アニメもまあまあ好きで、大学は文学部いって、自分はオタクだと疑うことなく40年生きてきた。 でも、ワンピースも鬼滅も通ってない。巷に溢れた異世界転生にまったく興味ない。 幼稚園児で火の鳥を読み、家にある手塚治虫を読み、父親の買ってくるビッグコミックを読み、岡崎京子を読み、ルネッサンス吉田を読み、岩浪れんじを読んで生きてきた。最近は昔から興味がある学生運動の知識を広げたくて、重信房子のを読んでいる。(思想性の問題ではなく、子どものころからエンタメとして学生運動への興味がすごい) 自分はもしかして、オタクではなく、サブカル女なのではないだろうか?! 今まであらゆる努力をしてオタク仲間やオタクな彼氏を作ろうとしてきて撃沈してきたの

    40年オタクとして生きてきたのに違うと気づいた日。
    ta-c-s
    ta-c-s 2023/12/26
    オタクってのは気質というか好きなものに対するアプローチの仕方などに表れるものなので
  • 「自分に刺さるコンテンツ」が年々なくなっていく問題

    かつてはいろいろなコンテンツを楽しめた 漫画やアニメもゲームも楽しめた 年を経るごとにそういった自分に刺さるコンテンツが少なくなっていく 漫画は読まないし、ソシャゲなんてやってるやつはアホだとしか思わないし アニメもたまにしか視聴に耐えるものが出てこない ゲームも特にやらない 2ちゃんもソリが合わなくなって数年前から見ていない Youtuberなんて何がが楽しいのかわからない 世の中から提示されるコンテンツが全く自分に響かない もっと楽しいものはないのか? 自分が何事においても蚊帳の外にいるのを感じる これから先どんどん外においていかれるのだろうか

    「自分に刺さるコンテンツ」が年々なくなっていく問題
    ta-c-s
    ta-c-s 2018/09/04
    まず外へ出た方がいい 映画は多少遠出してでも映画館へ スポーツは現地生観戦 音楽もライブ会場へ足を運んでみる/今のコンテンツには体験込みで自分から刺さりに行ったほうが乗れる
  • 同人やめました - おとなになりたくなかった

    先日のコミックシティで、同人活動を引退することにしました。 懐古趣味の戯言でしょうけど、昔と変わってしまったイベントやオタク(特に腐女子)と言われる人種についていけませんでした。自分もオタクなのにね。 小学生の頃からイベントに通い、高校入学と同時に同人活動を始め、途中就職活動や摂障害、うつ病が酷くて休んだ時期もありつつ、何だかんだ20年以上、生き甲斐のほとんど全てをつぎ込んだ同人から足を洗うのは身を切られるように辛いです。 友達もいないし、仕事は生活をしていくためだけのものだし、私にはオタク趣味しかなかったから、今は当に何もない。空っぽです。 具体的に何が嫌だったのかというと、やっぱりpixivtwitterです。 評価とブックマーク、フォローフォロワーの関係に虚しくなってしまいました。 やめた理由を書いていくとキリがないので、箇条書きに整理してみます。 <イベント> ・pixiv

    同人やめました - おとなになりたくなかった
    ta-c-s
    ta-c-s 2016/05/15
    同人が嫌になったわけじゃなくてSNS周りが嫌になったってことね お疲れさま でも表現したい欲求が高まればいつでも戻ってこられるのが同人ってのは忘れないでほしい
  • ずっと二次元さえあれば生きていけると思ってた

    20代の頃はエロゲが当に好きで楽しくて、プレーする時間も無いのに毎月新作を10以上は買い、ほぼ毎日プレーしていた。 だからずっと、"生身の彼女"なんていうのは二次元に対する裏切りであり、どうせ自分には縁のないものと諦めていた。いや考えてすらいなかったんだと思う。 ここ数年は仕事が忙しくなり、負いたくも無い責任も負うようになり、どっしり腰を据えてエロゲをプレーする気力も時間もなく、「未開封で積まれた新作」がさすがに邪魔に思えてきたこともあって様々な二次元系のものを売却処分した。さすがに全部を捨てるほど世捨て人になったわけでもないので何度かの選別をくぐり抜けてもなお手元に残しておきたいと思ったのは残したが、ソシャゲでSSRが数枚余裕で引けるぐらいの額にはなった。 すっかり片付いた部屋を見て、気付いてしまった。二次元は飽きたら、後には何も残してはくれなかった。 その時、その時点では楽しんだコ

    ずっと二次元さえあれば生きていけると思ってた
    ta-c-s
    ta-c-s 2016/04/22
    「その声は、我が友、李徴子ではないか?」という言葉を投げたくなった
  • 月刊OUTの思い出〜休刊20周年記念

    1977年に創刊された月刊OUT。 みのり書房から発行されていたその雑誌は 私たちの暗い根っこを掘り起こしたり 青春に彩りを与えてくれたりしながら あらぬ方向に背中を押して 続きを読む

    月刊OUTの思い出〜休刊20周年記念
    ta-c-s
    ta-c-s 2015/03/30
    とうじのぼくはどこにでもいるふつうのローディストでした(ぼう / 2042年夏まで皆さんが壮健であらんことを祈る
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