睾丸に平手打ち、手指に瞬間接着剤…悪質暴行で引退の北青鵬が謝罪「期待を裏切って申し訳ございません」
自民党・安倍派の政治資金パーティーをめぐり、政治資金規正法違反の罪で略式起訴された谷川弥一衆院議員(82)が議員辞職願いを22日に提出。地元・長崎県大村市で記者会見に臨み陳謝した。 谷川議員は2022年までの5年間で、派閥の政治資金パーティーの販売ノルマを超えて集めた収入、約4300万円を収支報告書に記載していなかったという。不記載は派閥の指示だったのかについては回答を拒否した。受け取った金は、会合や飲食などの「政治活動」に充てたという。 谷川議員: このような事態に至ったことについて、自身の認識の甘さがあったと深く反省しております。これまで私を応援してくださった支援者の皆様、また、全ての国民の皆様に対して、この場を借りて深くお詫び申し上げます。 今日の1時に衆議院議院に辞職願を出してきました。そういう意味で、議員を辞職する至ったわけです。お詫び申し上げます。 (略式起訴の「収支報告書の未
臨時国会召集から一夜明けた10月21日、菅直人元総理(77)が次の衆院選に立候補しない意向をSNSで表明した。「次期衆院選で東京18区から立候補しない意向は、前回選挙で『集大成』と訴え、地元の会合などでも申し…
元タレントの上岡龍太郎氏が、5月19日に大阪府内の病院で肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていたことが発表された。81歳だった。 いま40代以上の一般的なテレビ視聴者であれば、上岡のことを知らない人はほとんどいないだろう。彼はかつて数多くの番組で司会を務めた人気芸人だった。 しかし、若い世代の中には彼のことをよく知らないという人もいるかもしれない。その理由は、上岡が2000年に引退を発表して、二度と表舞台に復帰することがなかったからだ。去り際があまりにも鮮やかだったため、下の世代の人にはその存在すら認知されていない可能性がある。 彼は人気絶頂期になぜ自ら引退を選んだのか。毀誉褒貶の激しい上岡龍太郎とはそもそもいかなる人物だったのか。その歩みを紐解いていきたい。 1942年、上岡龍太郎は京都府に生まれた。物心ついたときからラジオで流れてくる漫才や落語を熱心に聞いていた。中学生のときには時代劇に
車いすテニスの世界王者で、すべての四大大会とパラリンピックで優勝する「生涯ゴールデンスラム」を達成するなど、数々の偉業を成し遂げた国枝慎吾選手が現役を引退することになりました。 関係者によりますと、世界ランキング1位の国枝選手は、22日をもって現役を退く引退届を国際テニス連盟に提出したということです。 38歳の国枝選手は、おととし東京パラリンピックのシングルスで金メダルを獲得し、去年には長年の悲願だったウィンブルドン選手権を制して、すべての四大大会とパラリンピックで優勝する「生涯ゴールデンスラム」を達成しました。 関係者によりますと、その後はモチベーションの維持に悩み、今月はじめに引退を決断したということです。 国枝選手は長年、世界の車いすテニス界をリードしてきた第一人者で、四大大会のシングルスでは歴代最多となる28回の優勝を誇るなど、前人未踏の記録を次々と打ち立ててきました。 パラリンピ
NHK紅白歌合戦に19回の出場歴がある大物歌手・橋幸夫(78)が引退することが28日、本紙の取材で分かった。80歳になる2023年5月3日の誕生日に行うステージを最後にマイクを置くという。早ければ週明けにも都内で記者会見を行い、橋本人の口から正式に引退を発表する。 芸能関係者によると、橋はここ数年、歌手活動を続けるべきか辞めるべきか、悩みに悩んでいたという。人を感動させるエンターテインメントの世界では、いくら感情豊かな表現力に優れていたとしても、「年齢による声の衰えはどうすることもできず、このままでは観客やファンを満足させるパフォーマンスは出せない」と引退を決断。東京五輪後に関係者らと協議を重ね、このタイミングで公表する決心を固めたようだ。 若かりし頃、自衛隊員や警察官に憧れを抱いていた橋は、「自衛隊や警察官の方々もサラリーマンと同じように定年がある。でも歌手にはない。納得いくステージがで
11月28日、藤岡好明の引退が発表された。 ホークス、ファイターズ、ベイスターズの3球団を渡り歩き、主にリリーフを務めた。サイドスローに近いフォームで右腕をしならせ、15年間で337試合に登板した。キャリアもキャラクターも華々しくはなかったが、いつも微笑んでいるかのような目元が印象的な選手だった。 藤岡のことを想うとき、かつて目にした、あるコラムが脳裏に甦る。 その書き手は2017年5月、ベイスターズ移籍後はじめての勝利を手にした2日後にファーム降格となった藤岡の心境に思いを馳せていた。そして、ベイスターズをよく知る友人が発したという「藤岡なら、きっと顔色一つ変えずに、横須賀に行っただろうよ」「あれは地獄を知ってる人間の笑顔だ」との言葉を引く。 苦笑しながら、回答を拒むことがあった そんな記述をよく覚えているのは、筆者が偶然にも実際の様子を見ていたからだ。登録抹消前日の5月24日、ドラゴン
「成田くんは自殺を考えたことをないのか」とあの日問い詰められてから今日まで、毎日考えていました。 今年のフェスはソニー・ミュージックソリューソンズ様との新体制の下、コロナ禍という中で大幅に制限、 ソーシャルディスタンスを保った座席数、安全を第一に考え、ゆとりを持ったレイアウトでの公演となりました。 クラスターを絶対に起こさないように感染対策を徹底し「無事開催すること」を目標に掲げて参りました。皆様のご協力もあり、緊急事態宣言以降の関東では初めて有観客でのフェスを実現することができました。 開催から7日が経ち、あと1週間は気が抜けない状態が続きますが、アーティストの皆様のご協力と素晴らしいパフォーマンスによってMAMONOISMが実現できたことを心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 コロナの関係でバンドセットを入れられず、いつもとは違う魔物ではありましたが、次回の大阪では、
阪神は31日、藤川球児投手(40)が今季限りで、現役引退することを発表した。谷本修球団本部長(55)がオンライン会見を開き、明かした。 【写真】あと1人からサヨナラ被弾 マウンドで座り込む藤川…6月のヤクルト戦 「藤川球児選手が、今シーズン限りでの現役引退の申し出を受けまして、球団としてそれを了承したことを報告します」 引退決断の経緯について、同本部長は本人の言葉を代弁する形で「1年間、コンディションを保つのが難しい。体が悲鳴を上げている。チームに迷惑を掛けている」と説明。右肘の状態について「手術が必要なレベル」とした。ただ、即引退ではなく、今シーズン中の復帰を目指してリハビリを続ける。「必ず今シーズン中に戻ってきます」との言葉もあったという。 藤川は1998年度のドラフト1位で阪神に入団。2004年のリリーフ転向を機に、シーズン後半から1軍に定着。2005年はセットアッパーとして、勝利の
試合後の記者会見で報告「現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました」 マリナーズのイチロー外野手が21日、現役引退を表明した。東京ドームで行われた「2019 MGM MLB日本開幕戦」第2戦の試合後に記者会見を行い、「現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました」と話した。 85分にも及んだ長時間の会見では“イチロー節”も全開。野球への「愛」、弓子夫人と愛犬・一弓への思い、大谷翔平投手(エンゼルス)への期待、そして、米国で向き合ってきた「孤独感」との戦いなど、あらゆることを語り尽くした。 ノーカットの一問一答完全版は以下の通り。 (冒頭挨拶) 「こんなにいるの? びっくりするわぁ。そうですか。いやぁ、この遅い時間にお集まりいただいて、ありがとうございます。 今日のゲームを最後に日本で9年、米国で19年目に突入したところだったんですけど、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりま
今季限りで現役引退した広島新井が、あらためて後輩にエールを送った。24日、広島市内の護国神社でのリーグ3連覇のお礼の参拝に参加。来年3月のオープン戦で引退セレモニーが実施されるが、この日が最後のユニホーム姿になる可能性もある。 日本一を託すチームメートについて「技術的にも素晴らしい選手が多いし、自己犠牲の精神が4年前に比べて成長している。ファンの方と一緒に応援したい」と目を細めた。 日本シリーズを最後に引退したが、オフシーズンの恒例だった護摩行も続ける考え。「本当は苦しいし、行きたくない。でもやらないと心にほこりがたまっていく。もしかしたら夏に行くかも。夏はもっときついらしい。やらなきゃ男がすたる」と笑顔で話した。
【フロリダ州オーランド2日(日本時間3日)発】世界最大のプロレスの祭典、WWE「レッスルマニア33」が当地のキャンピング・ワールド・スタジアム(シトラス・ボウル)で開催され、7万5245人の大観衆を熱狂の渦に巻き込んだ。メーンではエースのローマン・レインズ(31)が“怪人”ジ・アンダーテイカーを撃破。敗れたテイカーは引退を表明した。WWEユニバーサル王座戦は、ブロック・レスナー(39)がゴールドバーグ(50)にリベンジを果たして新王者となった。 祭典のメーンで、ついにこの時が訪れてしまった。戦前からレインズは「負ければ引退しろ」と厳しい要求を突きつけていた。しかし一時代を築き上げた怪人は、衰えを感じさせない動きを見せる。スーパーマンパンチを食らっても3カウントは許さない。逆にイス上へのチョークスラム、墓石落としで反撃した。 15分過ぎからはレインズが猛攻。テイカーは何度も何度も倒されな
DeNA三浦大輔投手(42)が今季限りで現役を引退することが20日、分かった。午後に横浜市内で会見を行う。 精密なコントロールを武器に、プロ25年間で通算172勝を挙げた「ハマの番長」。大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと、横浜一筋で愛された生粋の先発投手が、11年ぶりのAクラス確定を花道にユニホームを脱ぐ。引退登板は、横浜スタジアムでの今季、本拠地最終戦となる24日の巨人戦(午後2時開始)での先発が有力視される。 球界最年長の「ハマの番長」が決断を下した。関係者の話を総合すると、三浦は今季限りで25年の現役生活に終止符を打つことを決めた。今日20日の会見で本人の口から発表される。 四半世紀もの間、横浜一筋を貫いた。同僚から愛され、ファンからも愛され続けてきた。プロ2年目から継続する23年連続勝利はプロ野球タイ記録。今季7月11日の中日戦で達成した24年連続安打の“
巨人・井端弘和内野手(40)が今季限りで現役を引退し、内野守備走塁コーチに就任することが23日、分かった。 球界を代表するいぶし銀が、バットを置く決意を固めた。プロ18年目の井端が、現役引退を決断。来季は内野守備走塁コーチに就任し、同い年の高橋由伸新監督をバックアップすることになった。 今季は98試合の出場で打率・234。相手を消耗させる粘り強さ、勝負強い打撃で数字以上にチームに貢献した。球団は来季も戦力として考えており、兼任コーチ案も浮上していたが、ベテランの重い決断を尊重するとみられる。 13年までは中日、14年からは巨人でプレー。鉄壁の守備力と、巧みなバットコントロールで球界を代表する選手に上り詰めた。13年のWBCでは勝負強い打撃を披露。侍ジャパンの切り札として活躍し、2次ラウンドの台湾戦では九回2死から同点適時打を放ち、野球ファンを熱狂の渦に包み込んだ。 井端にとって、高
ソフトバンクの松中信彦内野手(41)が今季限りで現役を引退する決断を下したことが29日、分かった。 チームの世代交代が進む中、今季は2軍が続き、リーグ連覇が決まった後の今月21日に1軍昇格。「もう必死。悔いが残らないようにしたい。残り何打席あるかわからないが、頑張る」などと話していた。29日から行われる楽天3連戦が、レギュラーシーズンの本拠地最終戦となるため、試合を前に気持ちを固めたとみられる。 松中は熊本・八代一高(現秀岳館高)から新日鉄君津を経て入団。1999年の日本シリーズ制覇、2000年のリーグ連覇に貢献した。03年は打点王に輝いてチームを再び日本一に導き、04年には史上7人目、平成では初の三冠王となった。
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