“熊殺し”空手家ウィリー・ウィリアムスさん死去 アントニオ猪木と異種格闘技戦で死闘 3枚 “熊殺し”と呼ばれた空手家ウィリー・ウィリアムスさんが7日に出身地の米国で死去したことが分かった。67歳。死因は心臓病。関係者が明らかにした。 身長196センチ体重100キロの体格を誇ったウィリアムスさんは極真会館の米国コネチカット支部で空手を学び、76年公開の映画「地上最強のカラテPART2」で熊と戦ったことで“熊殺し”と呼ばれるようになった。79年には極真会館の全世界空手道選手権で3位に入賞。80年2月には蔵前国技館でプロレスラーのアントニオ猪木と異種格闘技戦で対戦し、両者ドクターストップの死闘を演じた。 84年に師匠の大山茂氏が設立したUSA大山空手に移った後、空手選手を引退。だが、90年代には度々試合に出場し、91年には「USA大山空手VS正道会館5対5マッチ」で佐竹雅昭に判定負け。92年には
がん闘病を公表していた元レスリング選手の山本KID徳郁さん=KRAZY BEE=が、18日に41歳で死去した。
バルセロナ五輪柔道男子95キロ超級銀メダリストで「暴走王」こと小川直也(50)が10日、本紙の取材に応じ、プロレス・格闘技から引退することを明らかにした。1997年4月の衝撃デビューから21年、50歳となった節目の年にリングを去る。すでに、師匠の“燃える闘魂”アントニオ猪木氏(75=参議院議員)に引退の報告を済ませている。今後は長男で柔道世界選手権(9月、アゼルバイジャン)男子100キロ超級代表の雄勢(21=明大)を指導するため、古巣の柔道界への正式復帰を目指す。 小川はいつも通りのひょうひょうとした語り口で、プロレス・格闘技からの引退を表明した。 「リングを離れることを正式に決断しました。猪木さんに導かれ、この世界に入り、ファンに支えられてここまでこれた。ファンのみなさんには本当に感謝している」 さらに、21年間のプロ生活を振り返り「本当に楽しかったよ。プロレスもオレが始めた当時とはだい
<IGF13日。名古屋大会>破壊王2世・橋本大地(22)vs奥田啓介(23)の“海外武者修行権争奪マッチ”は、大地がまさかの黒星を喫した。 完敗だった。終始奥田にペースを握られて最後は、変型のケサ固めに捕らえられたところでレフェリーが試合をストップ。わずか149秒での完敗となった。 試合後、大地は「ギブアップしてないし、全然効いてない」とぼうぜんとした表情。海外遠征が消えたことにも「負け惜しみみたいに思われるけど、前から『海外は(行かなくて)いいかな』と思っていた。今、高橋義生コーチとの練習がうまくいってるんで。海外で体を大きくするのには興味があったけど…」と“プロレス修行”ではなく、IGFが提案する“MMA修行”には違和感があったことを明かした。とはいえ、自分よりキャリアの浅い相手に負けたのは初めて。ショックは隠せず、大地は大きな岐路に立たされた。
「人間不信に陥るよ」。それまで不平不満も言わず、まじめに闘っていた格闘家がある時、急に態度を変える。格プロ業界におけるマネー・トラブルでよく耳にする話だ。決して労働環境が整備されているとはいえない業界にあって、こうしたトラブルはいま、現場で頻繁に起きている。今回、当事者となってしまった東京都内の事業者も、「話に聞いていたが、まさか自分がという思いだ」と打ち明ける。 「不平不満も言わず、まじめに闘ういいやつだ」。プロデューサーが最初に受けた印象で、何事もなく半年が過ぎようとしていたが、それまで何も言わなかった格闘家が試合を休みたいと申し出てきた。代わりの選手を用意するだけの余裕はない同社にとって、1試合だけとはいえ休場されるのは痛手だ。プロデューサーは状況を説明した上で、苦肉の策として、かませ犬と対戦させることで了承を得ようと試みた。 一時はそれでしのげたが、その格闘家の態度は徐々に悪化。何
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