九州地方の中央部に位置する肥後・熊本県。肥後国は、古代・律令期に九州で唯一の「大国」に格されるなど、古くより九州の中心地であった。その肥後国の中枢となる国府・国分寺は、現在の熊本市一帯に置かれ、以降、この地は九州の中心都市としてさらに発展。「明治維新」以降もその役目は引き継がれ、多くの官公庁や軍施設が設けられた。大正期には「熊本市三大事業」として上水道の整備、市電の開業、軍施設の移転も実施され市街地が拡大、商業都市としても発展した。「西南戦争」「太平洋戦争」、近年では「熊本地震」など、戦災・自然災害で大きな被害を受けることもあったが、そのたびに力強く復興を遂げている。 現在の熊本市の中心部は、広大な「熊本平野」の北部に位置する。図の中央上部、平野に突き出す標高20~50mほどの台地が「京町台地」で、その南端、南に平野を望む要所が「茶臼山」。この「茶臼山」には、古代あるいは中世に寺院(「茶臼