石碑に関するtaronのブックマーク (8)

  • 続・ロシア兵士の墓 : 朱鷺の森日記

    ロシア兵士の墓2015年05月10日の続き。 日露戦争の日海海戦で戦死したロシア艦隊の兵士たち。彼等の遺体はほとんどが海中に没したのですが、中には対馬海流にのって北上し、漂流しているのを発見されたり、浜辺に漂着したりしました。鳥取県の調査によればそれらの遺体は71体で、日海側の人々によって収容され、埋葬、供養されているということです。 ◆日露戦争時・鳥取県域へ漂着したロシア兵(ダイジェスト版)鳥取県立公文書館 http://www.pref.tottori.lg.jp/secure/634117/russia_report_digest.pdf ”明治41年末ロシア帝国政府の要請により、我が国の内務省から沿岸部の各府県に対して出された漂着ロシア兵の調査に対する関係府県の回答は、以下のとおり総数71 体である。 青森 (2)秋田(1) 新潟(11) 富山(1) 石川(10) 福井(2)

    続・ロシア兵士の墓 : 朱鷺の森日記
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    taron 2021/05/31
  • 「石」を知る

    ■「石」を知る(小松光衛) 『日の石仏』2004.9 ~ 2017.8 (50)エピローグ【最終回】 (49)陸奥の「石」 (48)大阪三郷の「石」 (47)九州の「石」 (46)京都の「石文化」 (45)滋賀の「石」 (44)石川の「石」 (43)三重の「石」 (42)山梨の「石」 (41)福島の「石」 (40)長野の「石」 (39)栃木の「石」 (38)神奈川の「石」 (37)群馬の「石」 (36)山形の「石」 (35)千葉は「石」無し県か (34)「緑泥片石」の文化 (33)東京の「石」文化 (32)東濃の「石」文化 (31)四国の「石」 (30)茨城の「石」 (29)石都・岡崎 (28)伊豆半島の「石」 (27)日の「石」六地方区分 (26)「丸い石・円(まる)い石」 (25)「燈」と火 (24)「石橋」以前の橋 (23)「石」の来歴 (22)庭園の「石」 (21)ピエタ像の「

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  • WEB特集 またひとつ、ひっそりと失われた ~終戦から75年~ | NHKニュース

    「ここにありましたよね、確か。無くなったんですか? いったいいつの間に…」 石川県小松市を訪ねた時のことです。墓地の一角にあった戦没者の慰霊碑が撤去されていたことに、地元の人たちですら気付いていない。そのことに私は衝撃を受けました。戦後75年。いま各地でひとつ、またひとつと慰霊の場が失われています。一方で、高齢化する遺族たちはなんとか残したいと、葛藤を続けています。失われ行く慰霊の場と高齢化する遺族の声。あなたはどう向き合いますか。(福井放送局記者・丹羽由香) 小松市の慰霊碑は、市営墓地の一角に立っていました。その場所は今はさら地になっています。 日清戦争以降の戦没者を弔うために遺族など地域の人たちが建てたものでしたが、老朽化で傾き「倒壊の恐れがある」として3年前に市が地元の人と協議の上で撤去したのです。 しかし、墓参りに訪れた地元の人たちに慰霊碑の写真を見せながら話を聞くと、撤去されたこ

    WEB特集 またひとつ、ひっそりと失われた ~終戦から75年~ | NHKニュース
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    taron 2020/09/09
    消えていく慰霊碑…
  • 全国の戦争碑(慰霊碑)を知りたい。(第二次世界大戦、太平洋戦争など) | レファレンス協同データベース

    『碑:平和のいしずえとなった戦没者への鎮魂賦』 p62~80,p113~135 「全国各地の慰霊碑・記念碑の記録」 p160~165 「都道府県別慰霊塔」 『石碑と銅像で読む近代日戦争』 幕末から太平洋戦争までの石碑と銅像が掲載されている。 『日記念碑総覧:日人の足跡を語る文化遺産3000碑』 戦争碑は少ない。 『全国戦災史実調査報告書』 ・昭和53年度 一般戦災死没者の慰霊のために設けられた諸施設に関する調査 ・平成22年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式 北海道・東北・関東 ・平成23年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式 近畿 ・平成24年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式 中部・中国・四国 ・平成25年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式 九州・沖縄 ・平成26年度 全国の戦災の追悼施設・追悼式(追補版) 当館では昭和54年度~平成15年度までしか所蔵しておらず、上記年度の所蔵はなし。

    全国の戦争碑(慰霊碑)を知りたい。(第二次世界大戦、太平洋戦争など) | レファレンス協同データベース
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    taron 2020/02/16
    文献メモ
  • 中世石造物が語る熊本城築城前のすがた

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    taron 2018/05/03
    中世の墓塔の石垣への転用は、罰当たりではなかった。建設行為に意味があり、役割が終わっていたからこそ、遠慮なく再利用された、と。さらに、維持管理の主体である国人層の没落もあるわけか。
  • 月待塔 - Wikipedia

    月待塔(つきまちとう)は、日の民間信仰。特定の月齢の夜に集まり、月待行事を行った講中で、供養の記念として造立した塔である。月待信仰塔ともいう。 月待行事[編集] 月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。 文献史料からは室町時代から確認され、江戸時代の文化・文政のころ全国的に流行した。板碑としては埼玉県富士見市の嘉吉元年(1441年)のものを初見とする。 特に普及したのが二十三夜に集まる二十三夜行事で、二十三夜講に集まった人々の建てた二十三夜塔は全国の路傍などに広くみられる。十五夜塔も多い。群馬・栃木には「三日月さま」の塔も分布しており、集まる月齢に関しては地域的な片寄りもみられる。 月待塔の分類[編集] 月待塔の分類には、形態により文字塔と刻

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    taron 2018/04/14
    熊本では見かけないな。この種の石造物。
  • 薩隅石造物巡行

    南九州市熊ケ岳の山中にある宝福寺跡へ宝福寺は『藩人物誌』に「山の寺」として度々出てくる有名寺院で、南九州市指定史跡。ただ、呼び名の通り今も熊ケ岳の山中八合目辺りにあり、寺跡巡りというより登山に近く深い山中に埋もれていました。熊ケ岳山中にあり宝福寺跡へは山之寺林道で熊ケ岳を登っていきます(車では道が大変荒れているので途中からは徒歩になります)度々落石注意の看板あり元寺跡(宝福寺跡)林道入り口から徒...

    taron
    taron 2018/04/14
  • 渡仁の全国仁王行脚!

    仁王写真家 渡仁-Tonin-の仁王を旅するブログです

    渡仁の全国仁王行脚!
    taron
    taron 2018/04/11
    メモ。木造がメイン。
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