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歌謡曲に関するtxmx5のブックマーク (105)

  • 特集:アルチザン・筒美京平の魅力 [対論]萩原健太×湯浅 学 - CDJournal CDJ PUSH

    CDジャーナルの過去記事をピックアップするCDJ Archives。今回は10月7日に亡くなった作曲家・筒美京平追悼として、1997年12月号の特集「アルチザン ポップス職人筒美京平の世界」より、音楽評論家の萩原健太×湯浅学が「筒美京平の魅力」について語った記事を再録。編最後に2人の筒美京平への追悼と、湯浅学による筒美京平プレイリストも公開!

    特集:アルチザン・筒美京平の魅力 [対論]萩原健太×湯浅 学 - CDJournal CDJ PUSH
  • 「ただ一度だけ京平さんに呼び出され、怒られたことがある」近田春夫がみた筒美京平という“天才” | 文春オンライン

    筒美京平の名を最初に意識したのは、グループサウンズ全盛の頃だった。といって、実はそれは決して好印象なものでもなかった。 昭和42年のことである。 たちまちの大ヒットとなった『バラ色の雲』 当時、生意気盛りの高校生であった私は、何よりGS/ロックにのめり込んでいて、それこそ“一端(いっぱし)の通”を気取っていた。好むバンドも当然“渋い”ものとなる。 ご贔屓のひとつが、ヴィレッジ・シンガーズだった。 あまりフォークロック系は好きではなかったのだが、デビューシングル『暗い砂浜』での12弦ギターの用い方等々の、モダンなセンスに感銘を受け「この人たちは分かってる!」と、勝手に決めつけ、好んで聴いていたのだが、玄人受けで大したヒットにはならなかった。 それで新規蒔き直しということになったのだろう、清水道夫をリードボーカルに迎えフォーメーションもあらたに、捲土重来を図る意味でリリースされたのが『バラ色の

    「ただ一度だけ京平さんに呼び出され、怒られたことがある」近田春夫がみた筒美京平という“天才” | 文春オンライン
  • 小林亜星『小んなうた 亞んなうた~小林亜星 楽曲全集』 巨人の音楽人生を振り返る | Mikiki by TOWER RECORDS

    「作ったものはダメ。作らなくても自然に湧いてくる音楽、それが湧くまで待たなくちゃいけない」 すぐに頭に血が上ってちゃぶ台をひっくり返し、息子(西城秀樹)まで投げ飛ばしてしまう石頭だけど情にもろい頑固オヤジ…。小林亜星のパブリック・イメージは、70年代のTVドラマ「寺内貫太郎一家」(74~75年 TBS系)の主人公として定着し、今に至っている。しかし言うまでもなく彼は俳優である前にすぐれた作/編曲家であり、「貫太郎」以降もたくさんの名曲を世に送り出してきた。 先日87才になった小林は1960年代以降、膨大な数のCMソングや歌謡曲、童謡、アニメ音楽などを作ってきたが、特にCMとアニメにおける業績は抜きんでている。戦後日の大衆音楽文化を語る際、中村八大や筒美京平、阿久悠や松隆などと並ぶキーパーソンとして絶対に忘れてはならない存在なのだ。 そんな巨人の多岐にわたる音楽的業績をまとめた作品集が出

    小林亜星『小んなうた 亞んなうた~小林亜星 楽曲全集』 巨人の音楽人生を振り返る | Mikiki by TOWER RECORDS
    txmx5
    txmx5 2019/09/17
    “interview & text:松山晋也”
  • 『ソリッドレコード夢のアルバム』復刻 [テクノポップ] All About

    サエキけんぞうさん、再びご登場頂きありがとうございます。『ハレはれナイト』に続いて、『夢のアルバム』についてお話を伺います。このアルバムは、ソリッドレコードのレーベルオーナーでもある高護(こうまもる)さんの思いが詰まったアルバムと感じます。レーベルオーナー、そしてこのアルバムのプロデューサーでもある高さんとはどのように出会ったのでしょう? 『ハレはれナイト』復刻 (All Aboutテクノポップ) 加藤賢崇『若さ、ひとりじめ』復刻 (All Aboutテクノポップ) サエキ: 1983年頃、高さんのやっていた『REMEMBER』という歌謡曲専門雑誌(「よい子の歌謡曲」と同サイズのミニコミ誌。部数はそこそこ刷っていたはず)を手に入れ、面白いなあ、と思って投稿したのです。「アイドルB面ベスト10」という勝手記事です。真鍋ちえみの細野晴臣曲「蒼い柿」とかを入れていました。多分に僕の作ったベスト1

    『ソリッドレコード夢のアルバム』復刻 [テクノポップ] All About
  • ラグジュアリー歌謡

    レコード・コレクターズ 2018年4月号 特集「シティ・ポップ 1980-1989」 監修の松永良平さんにお誘いいただき、選盤のお手伝い〜対談〜寄稿で参加させていただきました。 ■寄稿アルバム: ・大沢誉志幸 / CONFUSION (1984) ・RAJIE / 午後のレリーフ (1984) ・大江千里 / 未成年 (1985) ・岡舞子 / FASCINATION (1986) ・南野陽子 / VIRGINAL (1986) ■(おまけ) 藤井選盤分予選落ち: ・岩崎宏美 / WISH (1980) ・大滝裕子 / ミリオン・キス (1980) ・須藤薫 / CHEF'S SPECIAL (1980) ・石川セリ / 星くずの街で (1981) ・岩崎良美 / Weather Report (1981) ・泰葉 / TRANSIT (1981) ・金井夕子 / écran (1981

  • ラグジュアリー歌謡 MUSIC BIRD|ラグジュアリー歌謡〜第26回「篠崎恵子direction/produced works〜後編〜Midi~Epic〜Ki/oon Sony, etc編」ゲスト:篠崎恵子(BASiLiCA)

  • 五万節 - Wikipedia

    五万節(ごまんぶし)は1961年12月に発売されたハナ肇とクレージーキャッツ2枚目のシングル[1]。作詞は青島幸男、作曲・編曲は萩原哲晶。発売当初は歌詞が問題となり放送禁止・発売中止になった(その後歌詞を変更して発売された)。また、多くの映画で歌われている。後に、「新五万節」としてリメイクされた。 概要[編集] シングル「ドント節(どんと節)」のB面曲として発売された。 学校卒業後十有余年、どうなっているかの現況をめいめい語る内容で、歌はハナ肇、谷啓、植木等という順番で1番ごとに代わっていく。各人の番が終わるごとに、次の番の担当が「サバ言うなコノヤロー」とツッコミを入れ、自分のパートを歌う。それを2回続けたあと、メンバー全員で1コーラス歌って終了する。「サバ」とは鯖読みという意味である。 当初、発売されたヴァージョン(レコード番号JP-1350、原盤番号7H-910)は3番と6番のフレーズ

  • 萩原哲晶 - Wikipedia

    萩原 哲晶(はぎわら ひろあき、名:南沢 哲晶[注釈 1]、1925年5月26日 - 1984年1月13日[1])は、日の作曲家。 経歴[編集] 北海道岩見沢市で病院長の家庭に生まれる。弟の萩原秀樹はジャズピアニスト。旧制北海中学を経て、1942年、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)器楽科に入学(クラリネット専攻)。同級に岩井直溥や早川博二がいた。戦時中は團伊玖磨、芥川也寸志、斎藤高順、梶原完たちと陸軍戸山学校軍楽隊に入隊[2]。素人の養成機関の軍楽隊に音楽学校の生徒が入る背景には、乗杉嘉壽から山口常光(戸山軍楽隊)、山口から阿南惟幾へ話の持ち込みがあり、全く便宜を計る必要がない音楽学校の生徒である彼等は特例中の特例で、いわゆる徴兵から逃げた。彼等なりに苦労もあったが、宮沢昭は年上の彼等が上流階級ゆえに贅沢をしていたことを証言している。1945年に東京音楽学校を卒業。1948年、

  • 都倉俊一 - Wikipedia

    都倉 俊一(とくら しゅんいち、1948年6月21日[1][2] - )は、日の作曲家。第23代文化庁長官。元日音楽著作権協会(JASRAC)会長。元エスワン・カンパニー経営者。シュン・トクラ名義でも活動している[2]。 来歴[編集] 東京都出身[2]。4歳のころからバイオリンを習う[2]。父都倉栄二が外交官であったことから、7歳の時にドイツに渡り音楽の基礎を学ぶ[2]。12歳になり帰国[2]。学習院中等科の同級生には元総務大臣の鳩山邦夫、元日郵政社長の長門正貢、元朝日新聞編集委員の萩谷順などがいる[3]。中学校卒業後に再びドイツに渡り、「ビートキャッツ」というバンドで活動[2]。18歳で再び帰国し、学習院大学法学部に入学[2]。1971年学習院大学法学部卒業[4]。 1968年、フォーク・グループ「ザ・パニック・メン」にヴォーカリストとして参加[2]、「思い出の小径」でレコード・デ

    都倉俊一 - Wikipedia
  • 偉才の作曲家・萩原哲晶が晩年に挑んだ「イエロー・サブマリン音頭」

    1984年が明けて間もない1月13日、ひとりの偉大な作曲家がこの世を去った。 萩原哲晶、享年58。早すぎる死だった。 誰でも知っているとは言い難いが、歌謡曲、特にハナ肇とクレイジーキャッツなどのコミックソング系が好きな向きにはお馴染みの名前である。代表作はなんといっても植木等の「スーダラ節」だろう。アニメ『エイトマン』の主題歌などテレビ映画音楽も数多く、主に60~70年代に目覚ましい活躍をみせた。 2019年を迎え、ここでは35年目の供養の一助のつもりで、晩年の80年代ワークスを辿っておきたい。 1945年、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)を卒業後、南里文雄とホット・ペッパーズに参加してクラリネットを担当。1949年には自らのバンド、萩原哲晶とデューク・オクテットを結成した。 1952年からの萩原哲晶とデューク・セプテット時代での活動を経て、1955年にはクレイジーキャッツの前

    偉才の作曲家・萩原哲晶が晩年に挑んだ「イエロー・サブマリン音頭」
  • 「スーダラ節」をはじめ、クレージー・キャッツ一連の傑作を作り出した作・編曲家・萩原哲晶。大瀧詠一がリスペクトしたその作品群の数々 【大人のMusic Calendar】

  • LEGENDARY REMASTER SERIES

    大滝”SLEEPER”詠一監修で名盤が蘇る。 私がもし大滝師匠のファンにならなかったら・・たぶんこれらの名盤に出会う 事はなかったでしょう。 クレイジー・キャッツデラックス / ハナ肇とクレイジーキャッツ 日一のクレイジーキャッツマニア大滝詠一がおくるクレイジーのコンピレー ション。この作品以前にもベストアルバムは数多くありましたが、これはベスト オブベスト。 メーカー企画のカタログとは違い、1曲1曲熱のこもったライナー。師匠のク レイジーへの思い入れが伝わります。 シングル・アルバムさらにフォノシートに至るディスコグラフィティもあり入 門盤としてもお釣りがきます。 また同タイトルのビデオもあり、こちらはクレイジー映画音楽部分を集めて おりレコードとは違ったクレイジーサウンドが味わえます。興味のある方は、ク レイジーの ディスコグラフィティ (作成中)を作りましたのでご覧下さい。 トニ

    LEGENDARY REMASTER SERIES
  • 痛快でスピーディなクレージーキャッツの”変な歌”④植木等の「ハイそれまでョ」

    クレージーキャッツの3枚目のシングルは植木等の二枚目風キャラクターを活かして、ムード歌謡風のゆったりした歌い出しで始まる。 もともとジャズ・ギタリストで、ジャズ・ヴォーカルも学んだ格派だから声がよく響く。 ところが伸びやかでつやのある美声によるラブソングは、途中でブレイクした途端に歌詞が急展開、曲調もガラリと変わってしまう。 そしてテンポも一気に早まり、ツイストのリズムに乗って最後のオチへとつき進んでいく。 クレージーキャッツの研究家であった大瀧詠一は「ハイそれまでョ」がステータスを築いたと評価し、サウンドとしても3分間のミュージカルとしても、クレージー・ソングにおける第1期の頂点だと語っている。 作曲と編曲を行った音楽家の萩原哲晶は大瀧との対話のなかで、この曲が生まれた経緯についてこう述べていた。 植木さんていうのは、もともとマトモな歌を勉強してきたんだから、多少はそういうのもやりたい

    痛快でスピーディなクレージーキャッツの”変な歌”④植木等の「ハイそれまでョ」
  • 革命的なブームを巻き起こしたクレージーキャッツの”変な歌”③「無責任一代男」

    1961年の「スーダラ節」から始まったヒット曲によって植木等ブームが到来し、クレージーキャッツが疾風怒濤の快進撃を始めた1962年、記念すべき映画『日無責任時代』が製作された。 その主題歌として作られたのが「無責任一代男」である。 この時、主題歌に先行して映画の脚を書いていたのは、東宝で企画部の社員として働いていた田波靖男だ。 植木等の唄った「スーダラ節」から受けたグータラなサラリーマンのやるせない心情と、どこかヤケッパチな響きがあることに強い共感を覚えた田波は、さっそくクレージーキャッツと植木等を想定した映画のシノプシスをまとめた。 それは自ら温めていたピカレスク・ロマン(悪漢小説)のオリジナル・ストーリー、会社のためとか仕事のためというサラリーマンのモラルを放棄し、自由に生きる無責任男が大暴れするという内容となった。 固定化した組織や観念、人情などに縛られているサラリーマンのうっぷ

    革命的なブームを巻き起こしたクレージーキャッツの”変な歌”③「無責任一代男」
  • クレージーキャッツの”変な歌”②PTAのおばさまなんかがガタガタ騒ぎ出すようなバカ歌

    青島幸男が書いた「スーダラ人生 クレージーキャッツ物語」によると、「スーダラ節」でレコードを出そうとしたときに、ふたつの選択肢があったという。 プロデューサーの渡邊晋との打ち合わせの席では当初、実力のあるミュージシャンが揃ったバンドなのだから常套的に”良い歌を作る”という案と、はなから割りきって”売れる歌を作る”という案が検討された。 そして選ばれたのは当然ながら、”売れる歌を作る”のほうだった。 青島流に言えば、「PTAのおばさまなんかがガタガタ騒ぎ出すようなバカ歌」で、とにかく「バンバン売れる歌を作る」という方針が決まった。 その結果として誕生したのが、植木等のデビュー曲となった「スーダラ節」だった。 これが大ヒットしたことから、1961年の秋から翌年にかけて「ハナ肇とクレージーキャッツ」の人気が急上昇した。 破竹の勢いを得て12月に発売された第二弾シングルは勢いのある植木等が唄う「ド

    クレージーキャッツの”変な歌”②PTAのおばさまなんかがガタガタ騒ぎ出すようなバカ歌
  • クレージーキャッツの”変な歌”⑤大瀧詠一が三拍子どころか十拍子も揃っているとベストワンに推す「ホンダラ行進曲」

    クレージーキャッツのテレビ番組の構成作家だった青島幸男は、植木等が歌ってヒットした一連のクレージー・ソングのほとんど全てを作詞しているが、著書「わかっちゃいるけど‥‥シャボン玉の頃」のなかで「ホンダラ行進曲」について、”実は一番好きな歌”だということを明かしている。 これは映画『ニッポン無責任時代』と『ニッポン無責任野郎』が公開されて大ヒットした翌年、クレージー旋風が日中で巻き起こっていた1963年の春に発売されたハナ肇とクレージーキャッツにとっては5枚目のシングル。 A面が「いろいろ節」、B面が「ホンダラ行進曲」という組み合わせで、メイン・ヴォーカルはハナ肇、植木等、谷啓の3人だった。 1961年に「スーダラ節」がヒットしたおかげで、作詞した青島幸男は東芝レコードからヒット賞を受けた。その時は上位に「じんじろげ」の渡舟人、「上を向いて歩こう」の永六輔といった先輩がいた。 売り出し中の若

    クレージーキャッツの”変な歌”⑤大瀧詠一が三拍子どころか十拍子も揃っているとベストワンに推す「ホンダラ行進曲」
  • 追悼 渚ようこ - 音楽ナタリー

    去る9月28日に渚ようこが心不全のため急逝した。1990年代中盤、東京のクラブシーンに突如現れ、妖艶かつ情念ほとばしる歌声で多くの音楽ファンを魅了してきた彼女。稿では、歌手・渚ようこの誕生に立ち会ったライター / DJのフミヤマウチに、渚との出会いから、彼女が残した足跡までをつづってもらった。 文 / フミヤマウチ メイン画像 / (c) 森山大道 出会いは1の電話から歌手、渚ようこが死んだ。 2018年9月28日。 神奈川・横浜アリーナで行われたクレイジーケンバンドのデビュー20周年ライブへのゲスト出演を果たした4日後のこと。来る10月には、そのクレイジーケンバンドの横山剣が作詞を手がけた7inchアナログ「渚のズンドコ節」がリリースされ、続く11月には、毎年恒例となっていた東京・四谷区民ホールでのコンサート「渚ようこリサイタル2018~ようこ、ズンドコ歌謡流れ旅~」が開催されるとい

    追悼 渚ようこ - 音楽ナタリー
  • 渚ようこ、心不全のため死去

    渚は9月24日に神奈川・横浜アリーナで行われたクレイジーケンバンドのデビュー20周年公演「CRAZY KEN BAND TOUR 2018 GOING TO A GO-GO Presented by NISHIHARA SHOKAI」に出演。11月30日に東京・四谷区民ホールで毎年恒例のコンサート「渚ようこリサイタル2018~ようこ、ズンドコ歌謡流れ旅~」を行う予定だった。葬儀は家族の希望により家族葬にて執り行われ、後日、お別れ会が実施される予定。 渚は1994年に歌手デビューし、1996年にあいさとう(ザ・ヘア)プロデュースのアルバム「アルバム第一集」をリリース。横山剣(クレイジーケンバンド)や作詞家の阿久悠とコラボレーションするなど独自の歌謡世界を構築した。2008年に若松孝二監督の映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」の劇中歌を担当。2010年に写真家の森山大道撮影による写真集「

    渚ようこ、心不全のため死去
  • 歌手の渚ようこさん死去 昭和歌謡、阿久悠さんと連携も:朝日新聞デジタル

    渚ようこさん(なぎさ・ようこ=歌手、名非公表)が9月28日、心不全で死去。生年月日は非公表で享年不詳。家族葬を営み、後日、お別れ会を開く。 昭和歌謡で知られ、クレイジーケンバンドの横山剣さんや作詞家・阿久悠さんと連携した企画も。映画「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」では劇中歌を歌った。新宿ゴールデン街で昭和歌謡の流れるバー「汀(なぎさ)」を開いていた。

    歌手の渚ようこさん死去 昭和歌謡、阿久悠さんと連携も:朝日新聞デジタル
  • 小西康陽「和モノ」について -前編/HMV

    ピチカート・ファイヴでの活動期から、作曲家、編曲家、プロデューサー、リミキサー、DJとして、日音楽シーンを刺激し、牽引し続ける小西康陽さん。 今年4月、コロムビアレコード創立100周年を目前にした、「コロムビア*レディメイドのコロムビア100年。」と題した小西さん監修の紙ジャケ復刻シリーズがスタートということで、今回、無類のレコード・コレクターとしても、日々是レコ屋に足を運ぶ小西さんに、「和モノ」の魅力をお聞きし、さらには、秘蔵のコレクションをご紹介していただくこともできました。レコード・コレクター紳士録とも呼ぶべき、レコ愛溢れた興味深いお言葉は、まさにヴァイナル・アスリートたちの明日への活力! まずは、その前編をお楽しみください。 高浪敬太郎(g,key,vo)、鴨宮諒(key)、佐々木麻美子(vo)らと1984年に結成したピチカート・ファイヴの頭脳として、アイドル/歌謡曲、GS、モ