エクスペリメンタル・ミュージック・アーティスト/オルガン奏者として知られるカリ・マローンの新作『All Life Long』は、その「作曲家」のキャリアにおいて重要な作品になるのではないか。おそらくは2019年の『The Sacrificial Code』(〈iDEAL〉)と同じように、転機となるアルバムに思えるのだ。この『All Life Long』に収録された楽曲群を聴き込んでいくと、明らかに「作曲家」としての個性・力量の方が、形式や方法論を超えた地点にあることがわかってくるからだ。ドローンもクラシカルも声楽曲も、それらすべてを包括し、「音楽」という芸術を希求していることが伝わってくるのである。 まずは基本的なことの確認からはじめよう。本作『All Life Long』のリリースは、スティーヴン・オマリーが主宰するレーベル〈Ideologic Organ〉からである。マスタリングは、名
イントナルモーリの制作、水の音を用いたパフォーマンスなど常に独自の探求と創作を続けているアーティストFUJI|||||||||||TA(aka 藤田陽介)による2020年リリースのアルバム。レーベルはスイスのHallow Groundから(上掲の作品リンクは藤田さん個人のbandcampです。レーベルの作品ページはこちら)。CDやレコードなどのフィジカル媒体でリリースされる録音作品としては2011年の『ヒビナリ-hibinari-』以来9年ぶりとなるそうです(本作はデジタルアルバムもあります)。 本作は2009年に(雅楽からのインスパイアや、豊かな風景をイメージさせるようなデザインといった方向性を含んだ)自身の空想を具現化するかたちで制作された完全自作のパイプオルガンを用い、2019年に演奏/録音がなされた作品となっています。 通常のオルガンは大雑把にいうとまず送風装置(古くは“ふいご”と
日野浩志郎 × FUJI|||||||||||TA 特別対談 投稿日 2022-03-09 更新日 2022-05-13 Author 細田 成嗣 MUSIC 観察する 日野浩志郎とFUJI|||||||||||TAによる、ヨシ・ワダを巡る特別対談。後編は、トリビュートの内実や2人の活動にまつわる音楽・美術の捉え方やヨシ・ワダと併せて聴きたい音楽のレコメンドまでを聞く。 2021年12月18日、山梨県北杜市の山奥にある廃校を舞台に、同年5月に他界したドローン界のパイオニア的存在であるヨシ・ワダに捧げたコンサート「INTERDIFFUSION A tribute to Yoshi Wada」が開催された。最寄駅からバスで約1時間の距離に位置する旧小学校の体育館内に、白地の布で全面が覆われた特設会場が設えられ、開演前は妖しげな紫色の光が幻惑的な雰囲気を演出。山中で、しかも寒波到来の日ということ
日野浩志郎 × FUJI|||||||||||TA 特別対談 投稿日 2022-03-05 更新日 2022-05-13 Author 細田 成嗣 MUSIC 観察する 日野浩志郎とFUJI|||||||||||TAによる、ヨシ・ワダを巡る特別対談。前編は、2人がヨシ・ワダの音楽と出会った経緯やフェイバリット・アルバム等について。 昨年5月にこの世を去ったドローン・ミュージックのパイオニアの1人、ヨシ・ワダをご存知だろうか。1967年にアメリカ・ニューヨークへと移住し、奇妙な偶然からフルクサスの面々とも関わりを持ちつつ、あまりにも独自な音楽活動を展開。現代音楽の作曲家ラ・モンテ・ヤングや北インドの古典声楽家パンディット・プラン・ナート等の影響を受け、持続音を中心とするドローン・ミュージックの領域を開拓していった。創作楽器の開発、特異な音響空間の活用、サウンド・インスタレーションの制作等々、
Home > Reviews > Album Reviews > Kali Malone featuring Stephen O’Malley & Lucy Railton- Does Spring Hide Its Joy ストックホルムのドローン音楽家・実験音楽家カリ・マローンの新作アルバム『Does Spring Hide Its Joy』は、2019年にリリースされたパイプオルガン・ドローン作品『The Sacrificial Code』や、2022年の電子音響ドローン作品『Living Torch』などの近作と比べても、よりいっそうハードコアなドローン・アルバムだった。 このアルバムの最大のポイントは、SUNN O))) のスティーヴン・オマリーと、〈Modern Love〉からのソロ作品もよく知られているチェロ奏者のルーシー・レイルトンというふたりの優れた音楽家・演奏家が参加し
ドローン音楽やミニマル音楽の、その先はあるのか。ミニマリズムの拡張は可能なのか。もしかするとこの矛盾を孕んだ不可能な問いに対する実践こそが00年代末期から2010年代以降のエクスペリメンタルな電子音楽家やドローン/アンビエント音楽家たちの重要な試みだったのかもしれない。ドローンやミニマリズムという手法を援用しつつ、音響・音楽的な諸要素を加味していくという、なかば矛盾を孕んだ実践を果敢に、しなやかに挑戦するアーティストが多数あらわれたのだ。たとえばサラ・ダヴァーチ、エレン・アークブロ、パン・ダイジン、KMRU、ウラ、フェリシア・アトキンソン、カテリーナ・バルビエリなどの現代のドローン、アンビエント、電子音楽作家たちである。今回、紹介するカリ・マローンもそのひとりだ。彼女のドローンには不思議とクラシカルな風格が漂っているのである。 カリ・マローンは米国出身、スウェーデンはストックホルムを拠点と
スウェーデンのストックホルムを拠点とする音楽家Kali Maloneによる、シンプルなオルガンの演奏をCD3枚組に渡って収めたアルバム。 2019年はドローン・ミュージック、特にオルガンを用いたドローン的な傑作が多くリリースされた年でしたが、中でも最も多方面から高く評価された作品が本作でしょう。 サブスクやbandcampのデジタル版では10曲が一纏めに表示されますが、1~3、4~6、7~10曲目で録音の場所が異なっており、CDもそのように分割されています。オルガンの録音作品という性質を考えると録音の場所が異なるということは楽器の個体とそれが備え付けられた空間が変わるということなのでここは本作を聴くうえで重要な部分かと思います。 個人的には本作はリリースされてすぐのタイミングで聴く際にぼーっと流しておけるアンビエント的なものを期待してしまっていたからか、そうやって接するものとしては空間を染
桃山時代に轆轤(ろくろ)を使わず、手捏ねで樂茶碗を造り出した樂焼。初代長次郎は、千利休の教えに従い、赤樂茶碗や黒樂茶碗を造り出したという。樂焼15代目、楽 吉左衛門=樂 直入(1949年生れ)は、伝統とモダニズムが絶妙に融合した焼き物を創作したことで高く評価されている。樂の器に高谷史郎がヴィデオ・プロジェクジョンをおこなった作品「吉左衞門X」(2012)は近年、大きな話題を呼んだ。 その「吉左衞門X」を撮影した写真が、サンO))) のスティーヴン・オマリーとフランスの電子音楽家カッセル・イェーガーことフランソワ・J・ボネらのコラボレーション・アルバム『Cylene』のアートワークに用いられている。アートワークはアルバムを象徴する重要な要素だ。じじつ、本アルバム『Cylene』に畳み込められた静謐かつミニマルなドローン音響はまるで400年の伝統を受け継ぐ焼き物の椀のように偶然と意志が高密度に
なんという天国的な音楽だろうか。なんという崇高さを希求する音響だろうか。なんという透明な霧のごときパイプオルガンの響きとミニマムな旋律だろうか。持続と反復。俗世と重力からの解放。思わず「バロック・ドローン」などという言葉が脳裏をよぎった。 カリ・マローンの新作アルバム『The Sacrificial Code』のことである。「犠牲的な、生贄のコード」? じじつカリ・マローンは音楽の「神」に身を捧げている。いや、正確には「音響と音楽が交錯し、持続し、やがて消失する、そのもっとも神聖で、もっとも美しい瞬間に身を捧げている」というべきか。この音楽はそれほどにまでに特別な美しさを放っている。 だからといって派手で、大袈裟で、装飾的で、豪華な美ではない。パイプオルガンの持続の線がひとつ、そしてふたつと折り重なる簡素なものだ。しかし、そのミニマムな持続の生成には、音楽の持っている崇高な美がたしかに折り
常に“音楽”の概念を改革、進化を続けてきたドローン神、サン O)))がニュー・アルバム『ライフ・メタル』を発表した。 極限までにスローでリズムを捨て去ったドローン・サウンド、聴く者の全身が鼓膜になったかのごとく激しく揺さぶる大音量、僧衣を着込んでドライアイスに包まれた儀式的ライヴ・パフォーマンスは、世界中のファンから崇拝の対象となってきた。2019年4月に発表された『ライフ・メタル』は鬼才スティーヴ・アルビニ(ニルヴァーナ、P.J.ハーヴェイ、ニューロシス他)がレコーディングを担当、徹底的にアナログにこだわったライヴ・フィーリング溢れる作品だ。 アルバムに伴う北米ツアーで各地に激震を呼んでいるサン O)))をキャッチ。ギタリストのスティーヴン・オマリーに語ってもらった。 全2回のインタビュー、前編では『ライフ・メタル』とは何か?を訊いてみたい。 <20年間やってきたことの集大成であり、その
都市空間のなかで生活をするわれわれは、日々、変化する環境の只中に身を置いている。人が作り出した環境は豊かにもなるし、朽ちもする。人工的な空間が自然を破壊するかと思えば、自然は人工の領域へと浸食もする。人の意志によっては適度に共存することもできる。環境は時と共に変化をするし、場所を少し変えれば別の環境へと移行もする。 とうぜん環境が変われば音環境も変わる。暴力的な音が鳴り響くときもあるし、人と環境に配慮する音が快適に鳴りもする。作為の介在しない自然の音が聴こえてくるときもあるだろう。そのような環境の変化は人の心身になんらかの影響を及ぼす。心と環境の関係はあまりに大きい。不穏。不安。恐れ。とすればアンビエント・ミュージックは環境と心=身体の関係を微調整し修復するものではないか。 人は音を鳴らす。世界も音を発する。触れれば何らかの音がする。叩けば音が鳴る。音は「世界」と「私」の「あいだ」に存在す
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