中標津神社は北海道標津郡中標津町にある。中標津市街地南部はゆるやかな丘陵の北側の斜面にあり、その南東部の一角にある曲輪のような高台にこの神社は建っている。境内はお祭りとなればちょっとした演歌ショーが十分にできる程度の広さで、狛犬、鳥居、手水、社務所に拝殿などが典型的にそろっている。 この神社の参道に上がる階段の登り口から向かって左へ少し離れたところに、中標津町教育委員会による「中標津神社チャシ跡」という標記の看板が立っている。チャシとは何であるかということは、この看板の内容に詳しい。 要するに近世アイヌの遺跡であって、この遺跡の上に、日本文化の象徴であるかのような神社が建っていることになる。 またこの階段の向かって右側には「鎮守中標津神社」と記された碑があり、この碑の側面には「元北海道庁長官 佐上信一 謹書」と銘が刻まれている。 この神社の創設は1913年、現在地には1919年に移設された
アイヌの祈り、歌、踊りを実演 北海道白老町で「ポロトコタンの夜」始まる (1/2ページ) 2009.7.24 13:41 アイヌの人々にとって最も重要な儀式であるイヨマンテ(熊の霊送り)の踊り。ポロトコタンの夜で披露される=北海道白老町(財団法人アイヌ民族博物館提供) アイヌの人々の間に伝わる伝統的な祈りや歌、踊り、食文化を紹介する夜間特別プログラム「ポロトコタンの夜」が北海道白老町のアイヌ民族博物館で、24日から始まる。 平成15年から行われている夏の恒例プログラムで、今年は24日から8月15日までの毎週金、土曜日の夜に行われる。 会場となるのは、チセと呼ばれるかつてアイヌの人々が住んだ伝統的な家屋。そばには、「大きな湖」(ポロト)があることから、施設周辺はポロトコタン(大きな湖の村)と呼ばれる。 開催期間中、森と湖に囲まれたポロトコタンはライトアップされ、チセ周辺にはかがり火がたかれ
政治 アイヌ新法記述なし 有識者懇報告素案 生活支援、全国規模で (06/23 13:31、06/23 14:07 更新) 政府のアイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会(座長・佐藤幸治京大名誉教授)が7月にもまとめる報告書の素案が23日、明らかになった。生活・教育支援策など全国規模の総合的政策の必要性を明記したが、政策の根拠となる新法には触れていない。29日の次回会合に提示されるが、道アイヌ協会や道は立法化を強く求める方針で、新法の必要性を最終的に報告書に盛り込むかが今後の焦点。 素案はアイヌ民族を先住民族と認めた上で、明治以降の国の政策で土地資源の利用が制限され、文化にも打撃を受けたと歴史的経緯を明記。差別と貧窮を余儀なくされた民族の復興に国が責任を負うとして、「国が主体となった政策を立案、遂行しなければならない」と提起している。 民族の現状についても生活状況、進学率など道民、国民
全方位反日認定に定評のある*1,「国民の知らない反日の実態」というサイトのアイヌについての項目が更新されていたが……頭が痛い。もちろん日本の歴史の中でアイヌを不当に扱った側面があったことは否定できません。 でも日本が北海道を開拓しなかったらどうなっていたでしょうか? 明治維新が始まったころ、ロシアは南下政策をとっていました。 これは一年中海が凍らずに利用できる不凍港を確保するためです。 そのため当時は北海道周辺に多くのロシア船が出没していました。 ロシアが北海道を占領する危険性が大いにあったのです。 その頃の日本とロシアの国力は桁違いです。 ロシアと戦っても勝てる見込みは全くありませんでした。 下手をすれば日本はロシアに軍事占領されていたかもしれないのです。 だから明治政府は北海道開拓使を設置し早急な開拓を行ったのです。 そうして主権を確立していきました。 さて、その頃のアイヌに自らで近代
以前、「 加害者の覚悟 」という記事を書いた。サーバー障害で機会を逸して、いくつか言葉の足りない点を直さずに置いておいてしまったと思う。サーバー移転した関係上、2カ所に分かれてしまっているけど、はてなブックマークで色々とコメントも頂いている。これに対して答えたいこともある。 旧URLへのブックマーク 現URLへのブックマーク 善悪の定義 善悪や、罪というものの定義は自明ではない。これは価値判断に属する。どういった基準を採用するかについて思想上の差異がありえて、基準をめぐる対立が存在し得るものだ。 私は、ある人が生まれながらにして悪であるというような基準は極力避けるべきだと思っている。だから、 id:imotan さんのコメントにはある意味で共感する。 「踏みつけにした」って言われてもピンとこないなあ ただ生まれてきて教わったように育っただけなのに加害者だといわれても・・・ つまり、他者への
「 アイヌ差別についてのブクマを全力でまとめてみた 」を読んだ。そして、コメント欄にある、「で、どうすりゃいいんだ?」との意見には考えさせられる。 何をすれば良いのかという疑問 一度形成された差別を解消する簡単な方法なんかない。弾圧や後ろ指さすのに積極的に荷担するのは論外。同化も、それこそが問題であったのに。アイヌがアイヌでいるということを許さず我々と同じであることを要請するということが。アファーマティブアクションは、有効な面はあるものの、得てして無用な差異意識を固定化したり加害者側の被害者意識を高める。まー、利権の温床になるケースもある、とは思う。それよりも利権があるという陰謀論で差別を正当化する虞のほうが大きいと思うけど。問題に無関心でいれば、それは差別者を側面から支援することになる。ましてここまで同化が進められてしまった民族問題に関して言えば、無関心であることはこのままアイヌというも
海外の先住民族との連携やアイヌ民族の権利回復に向けて活動する市民団体「世界先住民族ネットワークAINU」の創立の集いが二十五日、札幌市北区の札幌エルプラザで開かれた。 同ネットワークは、昨夏の北海道洞爺湖サミットに合わせて開かれた先住民族サミットの実行委メンバーが中心となって設立。会員はアイヌ民族の正会員と、それ以外の協力会員からなり、この日までに道内外の約四百の個人・団体が入会した。 集いでは約七十人の出席者を前に、萱野志朗代表が「アイヌ民族の権利回復、獲得のためにさまざまな活動をしていきたい」と決意を述べた。 同ネットワークは今後、アイヌ民族の文化や言葉の継承に力を入れるほか、土地に関する権利の回復などを目指し、日本政府に対し積極的に提言や発言を行っていく。また、政府の取り組み状況などを海外の先住民族らと情報交換、海外の先住民族の支援も行っていくという。さらにカナダの先住民族と連携し、
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
『はてなダイアリー』を読んで。 差別の存在 同記事の著者である有村さんが、普段からはてブ等で、単に一覧性を高めたものをまとめと呼ぶことについてぶつぶつ文句を言っていたのは見ていたが、なるほどまとめとはこういうことだと思わせる良記事だった。 内容としてはつまり、アイヌ差別は厳然と存在するのだということだ。その論旨のひとつは、アイヌ差別をまったく認識しない層がいることこそ、同化政策があったことの証なのであり、それはつまり差別の帰結、最終形態に他ならないと。これについては有村さんのコメント原文を引用しておこう。 「同化政策」がいかに罪深い歴史であるか。denken氏の指摘する、アイヌ語を基にした漢字地名も当然、アイヌ固有の地名を奪うという文化弾圧なわけです。(略)人名については言うまでもないでしょう。アイヌが現在和人と同じような名前を持ち、和人と同じ言語で生活しているのは、明治以来の同化政策の結
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208185.html http://b.hatena.ne.jp/entry/http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1208185.html 痛いニュースとはてブコメントを見ていて、ふと小学・中学の頃同じクラスにいたアイヌのA君のことを思い出した。 今から大体10年前、北海道の東のほう(帯広より東だけど釧路よりは西)の田舎町で起こったことを書いてみようと思う。 A君とは小3から中3まで7年間同じクラスだった。田舎の学校だからクラスが3つしかなく、何年も同じクラスになるのは珍しいことではない。 小6のとき、担任の先生が授業でアイヌ文化の話をしていた。そのとき、先生がうっかり「A君はアイヌ」と口を滑らせてしまった。 それから…クラスの男子が陰でA君のことを「アドッグ
◇異文化知り豊かに--地域や学校間で温度差 「私らは今でもこんな家に住んでると思うかい」。アイヌ民族博物館(胆振管内白老町)の伝統家屋チセで、民族衣装を着た解説員、野本三治さん(46)が道外から来た修学旅行生たちに話しかけた。引率の女性教諭にも「あなた、そう思ったでしょう」と尋ねると、教諭は「はい」とうなずいた。 明治政府の同化政策によってアイヌ民族は昔ながらの生活や言葉を捨てさせられた。しかし、アイヌ民族博物館を訪れる観光客や修学旅行生には、今もアイヌが伝統的な生活をしていると誤解している人も多く「アイヌも靴下を履くの?」「日本語上手だね。どこで学んだの?」などの珍問が後を絶たない。 「少数民族について幼いころから正しく学べるようになってほしい」と野本さんはいう。政府がアイヌを先住民族として認めてこなかったツケが教育のひずみとなって表れ、「アイヌを知らない日本人」を生んでいる。 ◇ 日高
【毎日新聞】 「お前アイヌだろ。気持ち悪い」「あそこの家はアイヌなんだよ」…今なお消えぬ格差、「血」隠す苦悩…北海道 1 : ◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:2009/01/11(日) 14:24:33 ID:???0 ◇誇り持てる社会に−−消えぬ格差、「血」隠す苦悩 「アイヌってどういう人?」。アイヌ民族の夫を持つ胆振管内白老町の女性(42)は、次女(18)が小学校高学年のころ口にした素朴な質問に一瞬戸惑った。夫が「おれたちのことだ」と答えると、居合わせた長女と長男も驚いた様子を見せた。女性が「恥ずかしがることないよ」と続けると、子どもたちはすんなり受け入れてくれたようだった。 アイヌであることを理由に差別されてきた苦難の歴史は「アイヌの血」を隠して暮らす 人々を今なお生み続けている。 女性の長女は中学時代、友人が「あそこの家はアイヌなんだよ」と陰口をたたくのを 聞いたが
日頃より、アレスネットをご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。 「ホームページサービス」のサービス提供は2016年1月31日をもちまして終了させていただきました。 これまで長らくご利用いただき、誠にありがとうございました。 今後も、皆様によりよいサービスをご提供させていただけるよう、サービス品質向上に努めて参りますので、何卒、ご理解いただけますようお願 い申し上げます。 <アレスネットをご契約のお客様へ> 後継サービスとして「userwebサービス」を提供させていただいております。 詳しくは、以下のリンクをご参照ください。 ▼「userwebサービス」のご案内 http://www.ejworks.info/userhp/alles/index.html 今後ともアレスネットをご愛顧いただけますようお願い申し上げます。 株式会社イージェーワークス アレスネット カスタマーサポート
私はアイヌである。 だが、アイヌであると名乗った途端、おかしな事を聴かれることが沢山ある。 とりあえず、ブンカやイメージにまつわる問題は、今日はおいておく。 俺:俺はアイヌなんだ。 和:どこの出身ですか? 俺:今住んでいるのは名古屋だよ。 和:…親はどこの出身ですか? 俺:飛騨だよ。和人の方の親だけど。 和:そうじゃなくて、アイヌの方の親。 俺:俺が今、アイヌなんだがね。札幌に居た事もあるみたいだよ。 和;そうじゃなくて、出身地。 俺:その前は、静内にいたみたいだよ(ただし、仕事の関係で)。 和:(ここでやっとでほっとして)なら、君は静内のアイヌだ。 俺:…名古屋のアイヌだって。 こんな、訳のわからないやり取りを「させられる」事が何度かあった。 なお、この場合「和」となっているのは、名も知らない和人という意味だが、アイヌにもこういうトンチンカンな事を聞いてくる
あなたの身近に「TOKYOアイヌ」 映画、年内完成へ2008年4月9日12時11分印刷ソーシャルブックマーク 街頭で署名への協力を訴えるアイヌの人びとを撮影する森谷博さん(左)=3月23日、東京・有楽町 首都圏に住むアイヌ民族を追ったドキュメンタリー映画づくりが進んでいる。題名は「TOKYOアイヌ」。撮影から編集、監督までを担うのはフリーのディレクター森谷博さん(42)=東京都練馬区=だ。身近に暮らすアイヌの人びとの声を届けたいと、カメラを構え続けている。 3月の日曜日。民族衣装を着た約30人が4時間余り、東京・有楽町の街頭に立った。先住民族と認めるよう政府に直訴するため、首都圏のアイヌの人びとが今春始めた署名集めの初日だ。「私たちはみずからの文化を、歴史を誇りにしています」と声をあげる代表者のわきで、森谷さんはじっとカメラを向けた。 撮影を始めたのは1年ほど前。千葉県鴨川市に住み、布にア
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