注;この文書自体は1994年の塚本孝氏の論文にて紹介されています(韓国では未発見というか見えないnidaぽいですがw)。本文の訳も塚本氏のものです。 1951年7月19日 韓国大使(ヤン)から国務長官への書簡。 一、大韓民国政府は、第二条a項の「放棄する」という語を、「朝鮮ならびに済州島、巨文鳥、欝陸島、ドク島およびパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一郡であった島々に対するすべての権利、権原および請求権を、一九四五年八月九日に放棄したことを確認する」と置き換えるよう要望する。 1951年8月10日 国務次官補(ラスク)から韓国大使への回答 草案第2条(a)を日本が「朝鮮並びに済州島、巨文島、鬱陵島、ドク島及びパラン島を含む日本による朝鮮の併合前に朝鮮の一部であった島々に対するすべての権利、権原及び請求権を、1945年8月9日に放棄したことを確認する」と改訂するとい
世界123か国が締約している一方、批准していない国も多くある。アメリカ合衆国、中華人民共和国、ロシア連邦の三か国は未加盟[3]であり且つ国連安保理常任理事国であることから、有効性を疑問視する見方もある[4][5]。 締約国 - 123か国(日本、2007年7月17日加入[6]) アフリカ - 33か国(ベナン、ボツワナ、ブルキナファソ、カーボヴェルデ、中央アフリカ共和国、チャド、コモロ、コンゴ民主共和国、コンゴ共和国、コートジボワール、ジブチ、ガボン、ガンビア、ガーナ、ギニア、ケニア、レソト、リベリア、マダガスカル、マラウィ、マリ、モーリシャス、ナミビア、ニジェール、ナイジェリア、セネガル、セーシェル、シエラレオネ、南アフリカ[7]、タンザニア、チュニジア、ウガンダ、ザンビア) アジア・大洋州 - 17か国(アフガニスタン、オーストラリア、バングラデシュ、カンボジア、クック諸島、東ティモー
この項目では、実際の裁判について説明しています。1961年の映画については「ニュールンベルグ裁判」を、2000年のドラマについては「ニュルンベルク軍事裁判」をご覧ください。 ニュルンベルク裁判の被告席(前列奥からヘルマン・ゲーリング、ルドルフ・ヘス、ヨアヒム・フォン・リッベントロップ、ヴィルヘルム・カイテル、後列奥からカール・デーニッツ、エーリヒ・レーダー、バルドゥール・フォン・シーラッハ、フリッツ・ザウケル) ニュルンベルク裁判の被告席(後列手前から、デーニッツ、レーダー、シーラッハ、ザウケル、アルフレート・ヨードル、フランツ・フォン・パーペン、アルトゥール・ザイス=インクヴァルト、アルベルト・シュペーア、コンスタンティン・フォン・ノイラート、ハンス・フリッチェ。 前列手前から、ゲーリング、ヘス、リッベントロップ、カイテル、エルンスト・カルテンブルンナー、アルフレート・ローゼンベルク、ハ
「東京裁判」はこの項目へ転送されています。映画については「東京裁判 (映画)」を、テレビドラマについては「ドラマ 東京裁判」をご覧ください。 裁判所が置かれた市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂 公判中の法廷内 極東国際軍事裁判(きょくとうこくさいぐんじさいばん、旧字体:極東國際軍事裁判󠄁、英語: The International Military Tribunal for the Far East)とは、1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われた、ポツダム宣言第10項を法的根拠とし[1]、連合国軍占領下の日本にて連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁いた一審制の軍事裁判のことである。極東(英語: Far East)とはヨーロッパ・アメリカ及び経度から見て、最も東方を指す地政学あるいは国際政治学上の地理区分。東京裁判(とうきょうさいばん
国際司法裁判所(こくさいしほうさいばんしょ、英: International Court of Justice, ICJ、仏: Cour internationale de justice, CIJ)は、国際連合の主要機関の一つ。自治的な地位を持つ常設の国際司法機関である[1]。本部はオランダのハーグ[1]。 国家間の法律的紛争について裁判をしたり(国連憲章第36条第3項、ICJ規程第36条)、国連総会や国連安保理などの要請に応じて勧告的意見を与える(国連憲章第96条、ICJ規程第4章)[1]。判決や勧告的意見による国際司法裁判所の意見は、国際法の発展に多大な影響を与える[2]。世界法廷 (World Court) とも呼ばれる[3]。 国際法一般を扱う常設司法裁判所という点において、常設仲裁裁判所、国際海洋法裁判所、国際刑事裁判所(ICC、2003年3月発足)などとは異なる意義を有する。
竹島を最後の生息地としていた絶滅したニホンアシカ 生態系 陸地は、わずかに草が生えるだけの岩石島であり、樹木の生育は少ない[24]。ただ、独島のマサキなどわずかに樹木の生育も確認できる。 竹島周辺の海域は対馬暖流と北からのリマン海流の接点であり、付近の海域はアジ・サバ・ワカメなど魚介類・藻類が豊富な好漁場である[24]。哺乳類ではシャチなどの鯨類も近海を通過している[25]。 竹島は伊豆諸島と並んでニホンアシカ (Zalophus californianus japonicus) の主要な繁殖地の一つであった。竹島では海蝕洞に生息していたが、明治大正年間に大量捕獲が行われ[26]、戦後の1950年代には50〜60頭と少数の目撃例があり、韓国が竹島を実効支配して警備隊が常駐するようになり、1975年の目撃を最後に確証のある目撃例がなく、国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストでは「絶滅」と
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