今年4月に没後100年を迎えた石川啄木は、東京朝日新聞に校正係として入社した翌年の明治43年、新設されたばかりの朝日歌壇の選者に抜擢(ばってき)された。同歌壇の由緒はなかなかのものなのである。 その朝日歌壇の、日付はやや古いが8月20日付の入選歌を見て驚いた。反原発の歌がずらりと並び、どこの運動組織が発行する機関紙の短歌欄かと思ったほどだ。便宜上、番号を付して引けば、(1)原発の再稼働否(いな)蟻のごととにかく集ふ穴あけたくて(2)100円の帽子被って参加した脱原発デモの後のかき氷(3)原発を残して死ねじと歩く老爺気負わずノーと夕風のごと(4)国会を囲む原発NOの輪に我も入りたし病みても切に-といった具合で、4人の選者のうちS氏が(1)、(2)、(3)を第1、第2、第3首に入選させ、T氏が(2)を第1首、(4)を第2首に選んでいる。 入選歌の序列は明確ではないが、新聞の俳歌壇では第1句(首