戦後日本を代表する駒ケ根市出身の憲法学者、芦部信喜(のぶよし)氏(東京大名誉教授、1923~99年)の出身地、駒ケ根市が来年度、創設する予定だった「芦部信喜賞」について、伊藤祐三市長は17日、事業を白紙化する意向を明らかにした。市議の間に計画の進め方などに反発があり、事業化は困難と判断した。20日…
戦後日本を代表する駒ケ根市出身の憲法学者、芦部信喜(のぶよし)氏(東京大名誉教授、1923~99年)の出身地、駒ケ根市が来年度、創設する予定だった「芦部信喜賞」について、伊藤祐三市長は17日、事業を白紙化する意向を明らかにした。市議の間に計画の進め方などに反発があり、事業化は困難と判断した。20日…
はがきを少し縦長にした紙片には小さな印字が横に並ぶ。 「奨匡社(しょうきょうしゃ)々員之(の)証票」。下に筆書きで持ち主と出身地が残る。 明治の改元から12年後の1880年春、民衆の政治参加を求める結社が松本に生まれた。中心となった安曇野市穂高出身の自由民権運動家、25歳の松沢求策は国会開設の請願に奔走する。 奨匡社には1069人が集まった。若い教師や後に町村の自治を担っていく人材も多かった。同志の証しとなった証票は、松本市文書館に1点だけ現存する。 「ほんの1人の、生きた人間の記録です」。6月20日、同文書館が開いた市民講座。特別専門員の小松芳郎さん(70)が若者たちの運動と資料の経緯を語った。 証票は、南部の旧神戸(ごうど)村の名主丸山家に元禄期から伝わる約5千点の古文書に含まれていた。 1970年代、丸山家の子孫が転居した神奈川県藤沢市は文書保存の先駆だった。全てを保管し、98年、松
新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言が長野県でも解除されたのを受け、16日に再開した県立長野図書館(長野市)は来館者に利用カードの番号や氏名、連絡先の記入を求める対応を取った。日本図書館協会(東京都)の感染予防ガイドラインに基づく対応だが、来館者のプライバシー保護との兼ね合いに、職員は複雑な心境だ。 同館は約1カ月ぶりの再開に合わせて1階入り口近くに机を並べ、「連絡票」と投函(とうかん)箱を設置。氏名や住所などが登録された利用カード所持者にはカード番号、カードを持っていない人には氏名や連絡先の記入を任意で求めることにした。 政府は緊急事態宣言解除に当たり業種ごとにガイドライン作成を要望し、同協会は図書館としてのガイドラインを作成。利用者から感染者が出た場合に他の利用者への連絡などのために、「氏名及び緊急連絡先を把握し、来館者名簿を作成する」との指針を示した。これを受け、県立図書
都道府県立図書館の役割や課題について考える「都道府県立図書館サミット2019」が25日、長野市の県立長野図書館で開かれた。県内外の図書館関係者らの有志でつくる実行委員会の主催。県内外の図書館司書や研究者ら約150人が集まり、都道府県立図書館の取り組みや課題などについて学び合った。 秋田県立図書館の山崎博樹・元副館長は市町村立図書館への支援について紹介。県内の地域ごとに担当職員を決め、地域内の市町村立図書館の相談や問い合わせに応じることで「顔が見える関係を築いた」とした。希望する市町村立図書館には、同県立図書館の職員による「出前研修」を実施したことも説明した。 東京大大学院の福島幸宏・特任准教授は、地域の情報を集約し、提供することが都道府県立図書館の重要な役割だと説明。その上で「地方紙は地域情報の宝庫だ。都道府県立図書館は地方紙を保存し、活用する方法を検討する必要がある」と述べた。 同サミッ
県は7日午前の部局長会議で、総額8463億円の2018年度一般会計当初予算案と、18年度からの次期県政運営指針「総合5か年計画」案を決定した。予算案は17年度当初を162億円(1・9%)下回り、阿部県政下の計8回の予算編成では3番目に小さい規模で、2年連続の減となった。ただ1日に成立した国の補正予算に対応する17年度2月補正予算案を合わせると8674億円となり、17年度当初を48億円(0・6%)上回る。 当初予算規模の縮小は、市中金利低下により利用が減る中小企業融資制度資金を92億円減額したことや、4月に開学する県立大(長野市)の建設が終わり投資的経費が減ることなどが背景にある。総額210億円余を追加する2月補正予算案は防災・減災対策などの補助公共事業費が169億円を占めている。 県の今回の予算案は、総合計画案で掲げる「学びの県づくり」「自治の力みなぎる県づくり」など六つの基本方針に沿って
長野市出身の芸術家池田満寿夫さん(1934〜97年)の作品を展示、所蔵する「池田満寿夫美術館」(長野市松代町松代)が7月31日で休館することが22日、分かった。管理、運営する栗菓子製造販売の竹風堂(上高井郡小布施町)は、入館者減少と設備更新に伴う費用負担などを理由に挙げている。保有し続けるとする所蔵作品や、施設の活用を今後検討するとしている。 美術館は1997年4月に開館。版画や油絵、水彩画など池田さんの作品約2千点を所蔵する。松代城跡に近く地域の歴史的景観に配慮した外観で、敷地約3200平方メートルに鉄骨鉄筋コンクリート2階建ての美術館(延べ約1400平方メートル)と、竹風堂松代店を併設する。 常設展に加え、国際的に活躍した池田さんの作品を多様な切り口で紹介する企画展を約40回開くなど、池田さんの功績に光を当ててきた。 館主を務める竹風堂の竹村猛志・取締役相談役によると、入館者数が
国の活動を現在と将来の国民に説明する責務が全うされるようにする―。行政機関の文書の作成や整理、保存、廃棄などの基本事項を定めた公文書管理法の目的だ。 学校法人森友学園に国有地が格安で払い下げられ、財務省が当時の交渉記録を「廃棄した」としている問題は、法が骨抜きになっていることを浮き彫りにした。行政の裁量で公文書を廃棄できる余地を残していては、国民への説明責任は果たされない。 6年前に施行された同法は、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置付けている。ただ、保存期間については「行政機関の長が設定する」としているだけで、具体的な基準を示していない。 このため、各省庁が内閣府のガイドラインに沿って「規則」で文書の種類ごとの保存期間を定めている。 財務省の場合、国有財産売却時の決議書は最長の30年と設定。だが、交渉や面会の記録は保存期間1年未満の「その他の行政文書
信州大付属図書館(松本市)は2017年度、館内に「大学史資料センター」を設け、大学の歴史が分かる写真や卒業アルバムなどの資料を収集する事業を始める。資料は電子データ化して保存する計画で、大学創立70周年となる19年度をめどに、公開も視野に整理を進める。 信大は1949(昭和24)年、旧制松本高校や長野師範学校などが統合して発足。現在の8学部それぞれに異なるルーツがあるため、学部ごとを中心に歴史資料を保存してきた。今回は70周年の節目に合わせ、それらを大学全体で体系的にまとめ、将来への伝承を目指すことにした。 収集する歴史資料は、スナップ写真や記念品、卒業アルバム、クラブ・サークルの活動記録などを想定。各学部の同窓会、校友会の協力で情報を集めるほか、卒業生らから寄贈や貸し出しも募る。特に人文と経法、理学部の前身で71年に廃止された文理学部については資料が少ないという。 信大付属図書館の
1925(大正14)年創立の国内最古のアマチュアオーケストラ諏訪交響楽団(武井勇二会長、約60人)は、約3千点に上る創立以来の資料、映像をDVDなどに収めたデジタルアーカイブを作った。資料の劣化を防ぐとともに、諏訪響の歩みを次世代に伝えようと、創立90周年の2015年に作業を開始。指揮者の小澤征爾さんを迎えた50年以上前の演奏会の録音、初期の演奏会ポスターなど、貴重な資料を多数収めた。県内外の図書館などに贈り、音楽史の資料に加えてもらう考えだ。 諏訪地域を中心に活動する諏訪響は25年に「諏訪ストリングソサエティ」として発足し、29年に「諏訪音楽協会」、戦後の49年に諏訪交響楽団に改称した。2000年、第7回信毎賞を受賞。 アーカイブはCD―R、DVDの各1枚で構成。CD―Rには諏訪響や元団員の元に残る写真や資料などを盛り込んだ。同ソサエティ発足当初の参加者や入会金の記録、練習日誌、26
NHK大河ドラマ「真田丸」の主人公で、長野県上田市ゆかりの戦国武将真田信繁(幸村)が出したとみられる書状が新たに見つかったことが16日、分かった。清泉女学院大(長野市)の玉城司客員教授(63)が発見し、1590(天正18)年の年号と信繁の署名がある。信州の歴史文書をまとめた「信濃史料」に内容が載っている書状の原本とみられる。 玉城客員教授によると、現在伝来している信繁が出した文書は20通で、これまで原本が確認されているのは7通。今回見つかったのは信繁が20代前半ごろの早い段階の史料で、「信繁」と署名するのは唯一という。 書状は、豊臣秀吉が相模国(現神奈川県)の北条氏を滅ぼした小田原攻めがあった90年の8月10日付で、「安中平三」宛て。絶え間なく戦い続けてきたことから安中の姓を与え、領地などを与えることを約束する内容だ。 従来の研究では、「安中と主従関係に入った」「小田原出兵に際し関東
全37巻に及ぶ「長野県文学全集」などの出版を手掛けた郷土出版社(松本市)は2日、2月末で閉業すると明らかにした。出版不況に対応して長野県以外をテーマにした作品を出すなど、地方出版社としては異例の試みもしたが、神津良子社長(67)は「会社運営の先が見えない状況は変わらない」と話している。 同社は1975(昭和50)年創業。88年に刊行を始めた同全集や、2003年公開の映画「さよなら、クロ」の原作となった「職員会議に出た犬・クロ」(98年)をはじめ、これまで4千数百種を刊行したという。 創業初期から編集長を務める神津社長が2代目の社長に就いた2000年以降は、全国各地の明治以降の歩みを写真で紹介するシリーズなどを展開。だが、これらも競業他社に追随されて競争が激化した。一時4億円あった負債は1千万円ほどに圧縮したものの、業績向上が見込めず、昨夏に従業員4人と話し合って閉業を決めたという。
佐久市内に事務局を置く佐久史学会は、最新の会誌「佐久」72号で、明治時代に農民らが蜂起した「秩父事件」を特集し、佐久地方で鎮圧に当たった警察の記録「岩村田警察署編輯(へんしゅう)暴徒鎮制日誌」を全文掲載している。原本の存在は不明だが、編集委員の一人がコピーを保管していた。「秩父事件史料集成」(全6巻)には収録されておらず、記載内容などから信ぴょう性は高いといい、同会は「鎮圧する側の全貌(ぜんぼう)が分かる貴重な1次史料」としている。 日誌のコピーは漢字と片仮名交じりの筆書きで、縦25・5センチ、横15センチ、46ページ。「明治十七年十月三十一日埼玉県秩父郡ニ暴徒蜂起ス」を書き出しに、農民らが組織した「秩父困民党」が十石峠を越えて佐久地方に入り、鎮圧された1884年11月の出来事について、刻々と入る情報や警察の対応を、時刻や警察官の個人名も明記しながら時系列で記録。困民党の規模や襲撃場所な
日露戦争(1904~05年)に兵士として動員された飯田市出身の加納清作さんが、ロシアの地で1905年5月に捕虜となってから翌年2月に帰国するまでを記した日記が、同市江戸町にある清作さんのおい、加納信雄さん(83)宅で6日までに見つかった。捕虜になった心境を「精神的自殺」と記したり、日本から捕虜への援助が届かないことに憤ったりと、率直な思いがつづられている。日清・日露戦争に詳しい仏教大歴史学部の原田敬一教授(日本近代史)は「日露戦争でロシアの捕虜になった兵士の回顧録はあるが、日記はこれまで目にしたことがない」とし、重要な資料だと話している。 信雄さん、智恵子さん(78)夫妻によると、清作さんは帰国し、同市銀座通りで反物店を営んでいた。45年に63歳ぐらいで亡くなったという。日記は昨年5月ごろ、夫妻の自宅の本棚から見つかった。縦14・5センチ、横10センチ、約140ページ。3~5ミリ角の小さ
明治天皇の爆殺を企てたとして多数の社会主義者らが逮捕、処刑された大逆事件で、中心人物とされた幸徳秋水(1871~1911年)とその愛人管野スガ(1881~1911年)が、法廷で握手した様子などを記した手紙が、2日までに見つかった。筆者は、この事件の弁護人を務めた下伊那郡上飯田村(現飯田市)出身の今村力三郎(1866~1954年)。当時も法廷内で被告同士が接触することは禁じられていた。2人が握手したとの証言はあったがこれまでは真偽不明で、研究者はこれを裏付ける資料だとしている。 手紙は、幸徳の友人の社会主義者堺利彦宛てで、1931(昭和6)年9月27日付。神奈川県秦野市に住む元奈良教育大大学院教授の上沼八郎さん(84)=下伊那郡高森町出身=が都内の古書店で見つけた。 今村が伝えたのは、10年12月28日に大審院(旧憲法下の最高裁)で開かれた公判の際の2人の様子。今村が休憩時に幸徳の母の訃
上高井郡小布施町は来年度、地域にとって歴史的価値のある行政文書や古文書などを住民が閲覧できる公文書館を開設する。1954(昭和29)年の合併で現在の町となるまでの協議などを記した文書や議会の議事録、現在は図書館や各部署にある古い文献など、多様な文書の保存・公開を想定。県によると、県内で同様の施設は県と長野市、松本市が設置しているが、町村では初めてという。 昨年4月、公文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と定めた公文書管理法が施行されたことを受けて設置を決めた。町教委は、来年度中に同法に基づく「公文書管理条例(仮称)」を制定する方針。現在は内規で対応している行政文書の保存基準について、見直しを含めて規定し直す。 公文書館の場所は、役場庁舎内にあり、現在は使われていない旧図書館のスペースを充てる考えだ。 公文書管理法は、国の省庁や独立行政法人の公文書管理の在り方を定め
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の市立博物館が所蔵する植物標本200点の洗浄作業が11日、飯田市美術博物館で始まった。陸前高田市立博物館では学芸員ら4人が死亡・不明といい、収蔵品の管理が困難になっている。貴重な資料を修復し、自然界の探究に傾けた先人の情熱を後世に残そうと、全国の24施設の植物専門家が洗浄作業に乗り出している。県内での作業は飯田市美術博物館だけだ。 初日は、同館の専門研究員、蛭間啓さん(36)が中心となって作業。同館評議員で伊那谷自然友の会の元会長、北城節雄さん(79)らボランティア計4人が手伝った。 標本は、半紙よりやや大きい美濃判の台紙に植物が固定され、一枚一枚ビニール袋で包まれていた。長野県内ではめったに見られないツルカノコソウなどの草のほか、コウゾやカジノキなどの樹木もある。9割ほどが海水や泥で汚れ、カビが発生している標本もあった。 蛭間
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