一九二三(大正十二)年九月一日の関東大震災は、地震による建物の倒壊や火災で多くの死傷者が出ただけでなく、差別と流言飛語で常軌を逸した一般の民衆が多くの朝鮮人を虐殺する陰惨な事件を引き起こした。県内も例外ではなく、特に被害が大きかった県北部では、熊谷市で七十〜八十人、本庄市で八十〜百人、上里町で四十数人が犠牲になったといわれる。今年も九月一日に慰霊の追悼式が行われる。(柏崎智子)
安田浩一(やすだ・こういち)『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』光文社新書。 この本は とても充実した新書で、しっかり取材して文章にしています。前半の第一部は中国人研修生について、後半の第二部は日系ブラジル人についてです。 ケン・ローチ監督 映画『この自由な世界で』。 この映画を ぜひ みてください。そして、『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』を よんでみてください。 さて、『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』54ページには つぎのようにある。 送り出し機関も受け入れ機関も、研修制度の本来の意味など初めからなかったかのような顔をして、露骨な宣伝を展開している。ネット上や宣伝パンフレットでは、次のようなコピーがあふれている。 「コストダウンの切り札として研修生を!」「あなたの会社の人件費削減に協力します」「低コストで優秀な人材を提供」「人手不足を解消」「若い労働力を活用しませんか」――。 人件費削
最近別ブログ *minx* のほうで関わった論争に関連して、差別についてのわたしの基本的な考えを明らかにしておく必要があると思ったので簡単にまとめてみます。ていうか、以下に書くことはほとんど以前某掲示板で書いたことの再掲なので、お馴染みの読者もいるはず。ただし、最近の論争もそうなのだけれど、差別について議論する際に常にわたしがここで書く通りの意味で「差別」という言葉を使っているわけではない(相手がある議論では、相手に定義を合わせることもある)ので、そのあたりは分かってね。 まず差別という語を goo を通して『大辞林』で調べてみると以下のように書いてあった。 (1)ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。 「いづれを択ぶとも、さしたる—なし/十和田湖(桂月)」 (2)偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また
あなたは、ちょっぴりロリータ風味の2次元エロ同人誌をささやかな趣味として楽しんでいる成人男性だとしましょう。現実に被害者が存在する児童ポルノには手を出さないし、興味もありません。当たり前のことですが、現実の未成年の女の子に手を出すつもりもありません。大っぴらにすることではないですが、誰にも迷惑をかけるでもありません。ところが、ある日、職場(小売業とでもしましょう)で盗難事件があり、あなたに断りもなくあなたのカバンが調べられ、たまたまエロ同人誌が見つかってしまいました。上司は、 「当店では小学生のお子さんも来店する。うちでは仕事を続けさせることはできない。他の理解ある企業に面倒を見てもらっては」 と、それとなく退職を迫ります。2次元エロ同人誌を所持していたというだけの理由で、退職を迫るのは正当なことでしょうか? 「2次元エロ同人誌所持者が、小学生に性的いたずらをすることは当然ありうることだよ
ロバート・E・パーク(1864-1944)といえば、「社会学入門」で必ず習う巨人の一人です。いわゆるシカゴ学派の隆盛を支えた最重要人物で、都市社会学や人種・民族関係論に深い足跡を残したことで知られています。 パークは社会学説史上の輝ける星です。しかし、ずっとアカデミアで活躍してきたわけではありません。ミシガン大学でジュン・デューイに師事し、実践的な問題への関心を深めた後は、大学院へと進学せずに人権派ジャーナリストとして全米各地で約10年の経験を積みます。特に人種問題には強い関心を示し、ベルギー領のコンゴで土地の人々がベルギー王室からきわめて過酷な扱いを受けていることを知るや、国際紙上での告発を通じて対応を改善させたこともありました。今ならめずらしい話ではありませんが、なにせ19世紀のことです。奴隷解放宣言からまだ30年前後という時代なのですから、パークが当代随一の人権家であり、理想家であっ
『月刊イオ』2010年 5月号(特集「差別なき高校無償化を」)に、「民族教育を平等に」というエッセーを かきました。40-41ページ。 5月号も、いつもどおり充実した1冊にしあがっているので、ぜひ よんでみてください。 わたしの「民族教育を平等に」という文章は、『月刊イオ』が今年の1月号から連載をはじめた「ブロガーズ@イオ」というシリーズで、ともだちの ツネノさん(id:toled)さんや さるとらさん(id:sarutora)さんも かいています。片山貴夫(かたやま・たかお)さんや なごなぐ雑記さん(id:nagonagu)も。 わたしの「民族教育を平等に」は、このブログで かいてきた「多数派には名前がない」シリーズの問題意識を土台にしています。「学校のなかの問題」だけでなく、「学校のそとの問題」を 改善する必要があると論じました。 関連リンク: 月刊「イオ」★目次 月刊「イオ」★今月の
Togetter - まとめ「ピクシブ腐問題を受けてナマモノ腐者からのひとりごと」を読んでて、本題とはちょっと違うところでびっくりすることがあったので、以下引用。強調は引用者によります。 「何故腐ネタが叩かれるのか」を考えるのも大事ですが、「何故、腐ネタを描く人の多くがそれを隠したがるのか」を考えるのも大事なのではないでしょうか。「攻撃される」=「それを不快に思い傷つく人がいる」という事ではないでしょうか。最近は同性愛への理解も深まり性の自由に肯定的な人も増えてきましたが、生物学的に不自然な性行動に対する嫌悪感は生理的なものです。 皆さんおっしゃるように、これはとても…とてもデリケートな話だと思うのですよ。 chun_tanaka 2010-04-20 18:00:35 えええええー。「生物学的に不自然」って、どこの惑星の生物学ですかそりゃ。 と思ったら、同じ方の発言に、 なぜ私がこんなに
■第9地区 (監督:ニール・ブロムカンプ 2009年アメリカ・南アフリカ・ニュージーランド映画) ■ヨハネスブルグのガイドライン! ヤヴァイぜヤヴァイぜヤヴァくて死ぬぜ!今、ヨハネスブルグがヤヴァイんだぜッ!? ○ヨハネスブルグのガイドライン ・軍人上がりの8人なら大丈夫だろうと思っていたら同じような体格の20人に襲われた ・ユースから徒歩1分の路上で白人が頭から血を流して倒れていた ・足元がぐにゃりとしたのでござをめくってみると死体が転がっていた ・腕時計をした旅行者が襲撃され、目が覚めたら手首が切り落とされていた ・車で旅行者に突っ込んで倒れた、というか轢いた後から荷物とかを強奪する ・宿が強盗に襲撃され、女も「男も」全員レイプされた ・タクシーからショッピングセンターまでの10mの間に強盗に襲われた。 ・バスに乗れば安全だろうと思ったら、バスの乗客が全員強盗だった ・女性の1/3がレ
日経ビジネスオンラインの「時事深層」というコラム。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100408/213893/ タイトルが「ゆとり世代は男子も「一般職」」。 で、冒頭の文句が、これ。 >「一般職に、男ですよ」 困惑を隠し切れないといった表情で、ある生命保険会社のベテラン採用担当者が話す。企業の採用活動が本格化する4月。その最前線では、一昔前なら考えられない事態が起きている。 はあ、男が一般職なんてとんでもないというご認識ですか。「一昔前」とか、一昔前以前から存在した男女均等やら男女共同参画なんてどこの世迷い言やらという世界ですなあ。 いや、その生命保険会社のベテランさんが、というよりも、なにやら最先端がどうたらこうたらいうてはる日経ビジネスさんが、という意味ですよ。 ビジネスの最先端の感覚は、「男たるもの、一般職なんて恥ずか
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
わたしが問題にしたいのは、「「日本人(ヤマト人/和人)」であること」ではない。問題は、属性にあるのではない。どのように行動するのかが とわれるべきだ。 日本社会において「民族的な多数派」に「属しているだけ」で批判されるべきではない。だが、この社会に民族差別を のこしているなら、その制度を なおさないといけない。差別制度によって、自分が結果的に得をしているなら、なにを しているわけでもなくても、差別制度に よいしょされた生活をしている。差別を 再生産していると いっても いい。その状況で、「わたしは なにを するのか」ということ。どのように ふるまうのか、ということ。 たとえば天皇制は、戸籍制度とセットになって日本社会で生活している ひとたちを しばっている。『非婚の親と婚外子』という本で問題にされているのは、婚外子への制度上の差別だ。 戸籍制度は、性別二元論と異性愛主義によって性的少数派を
ポルノ産業を本当に潰したければ http://d.hatena.ne.jp/axgx/ 子供を差別することには、誰も疑問を持っていないらしい。この問題の関係者にとっては、子供は人間ではないのだろう。 人はいま『18禁』とあまりにも軽く言うが、よく考えてみれば、それは18歳未満の人々をのけ者にする制度、すなわち、差別である。どうして誰も、この根本的な問題に目を向けないのか。 「青少年を保護するために~」「住み分けすることでしか守れない表現が~」という理由づけは、なるほど合理的ではある。南アフリカ共和国のアパルトヘイトも合理的だった。南アフリカ共和国の経済や治安は、アパルトヘイトの廃止によって大幅に後退し、人々は不幸になった。ではアパルトヘイトを続けるべきだっただろうか。 根本的な問題がお気に召さないという向きのために、別の方向からも『18禁』を攻撃しておこう。 「青少年を保護するために~」と
いくつかのはなし。「悪意ある責任論」の問題、いわゆる「たち位置(ポジショナリティ)」について、「おまえだって」という批判について。 差別について。 - hituziのブログじゃがー たとえば、わたしは知的障害者の施設で しごとをしてます(「あたえることには 意識的。うばいとることには 無自覚。」)。わたしの職場はグループホームも いくつも運営しているのですが、わたしの部署は入所施設です。社会の都合で、制限された空間を いきているひとがいます。そこで しごとを している わたしは、毎日の業務で なにを どうしようとも、正義などではありえないのです。これは社会全体の問題ですから、社会をつくりなおさないかぎりは、胸をはれる日など、おとずれはしないのです。それまで わたしは、差別者でありつづけるのです。 でもだからといって、わたしが自己批判をつづけて絶望して、無気力になって、死んでしまえば正義にな
http://yuki19762.seesaa.net/article/35621477.html http://yuki19762.seesaa.net/article/35637000.html http://yuki19762.seesaa.net/article/35891252.html http://yuki19762.seesaa.net/article/35897307.html http://yuki19762.seesaa.net/article/36049824.html http://yuki19762.seesaa.net/article/36170622.html http://yuki19762.seesaa.net/article/36273452.html http://yuki19762.seesaa.net/article/36282042.html
ヤマト人は にげる。「民族は つくられた概念で、実体は ない」と相対化する。おきなわ人に「ヤマト人」と よばれても、アイヌ人に「和人」と よばれても、そんな実感はないし、民族意識など もっていないと いえてしまう。 国家において、「民族」を 意識させられるのは、いつもマイノリティである。差別制度が、日常的な差別が、マイノリティに「民族」を 意識させるのだ。 それを 指摘し、多数派日本人に「ヤマト人」や「和人」という名前を つけてみても、「名前のない多数派」は にげてしまう。「民族意識など、幻想にすぎず、そして わたしは「ナショナリズムに反対する」」のだと。そんな態度が良心的だと、なぜ おもえてしまうのか。 多数派は、名前を つける側である。そして、多数派は名前を もたない。多数派は、名前を つけられるのを いやがる。自分たちは、だれかにたいして、くりかえし やっていることなのにだ。 民族は
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