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kanimasterに関するflorentineのブックマーク (16)

  • 酒井順子 『女子と鉄道』 - 蟹亭奇譚

    女子と鉄道 (光文社文庫) 作者: 酒井順子出版社/メーカー: 光文社発売日: 2009/07/09メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 25回この商品を含むブログ (20件) を見る 私も、全線乗りつぶしを目論むわけでもなければ、時刻表のバックナンバーを揃えるわけでもない、ごくごくゆるやかな鉄道好き。男性のように、「制覇」とか「収集」といったことを目的とするのではなく、単に鉄道の揺れに身を任せることの肉体的快感や、「きれいだなぁ」とか「何もするべきことがなくて嬉しい」といった感覚を求めるためだけに、乗っているのでした。 『女子と鉄道』 「雪見列車と力――奥羽線、米坂線」 僕も、どちらかというと 「ゆるやかな鉄道好き」 である。 列車の旅に出るときは 「ポケット時刻表」 を買うが、路線図やダイヤに関心があるわけではない。ローカル線に乗っても、車両の型式など覚えず、記憶に留めるのは駅

    酒井順子 『女子と鉄道』 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/28
    も素敵です。わたしのまわりの女性でもゆるやかな鉄道好きわりと多いですね。読みたくなりました。
  • 墓参り - 蟹亭奇譚

    キリスト教なのでお彼岸は関係ないのだが、連休中に青山墓地へ行った。ここにある教会墓地に、祖母が眠っているのである。 わりと最近になってから知ったのだが、この墓地には野口雨情が書いた 「赤い」 のモデルといわれる佐野きみ(1902-1911)が埋葬されている。 麻布十番未知案内 - 赤いの女の子 きみちゃん 上のリンク先の中ほどに、墓地の写真が掲載されている。 こちらは先日撮った写真。埋葬者の氏名が並ぶ墓誌が作られたのは1970年代頃と思われる。佐野きみの名前の並びに、僕の祖母の名が記されているのだ。現在、墓誌は余白がなくなったため、隣りにもう一枚新しい墓誌が作られている。 教会墓地の良い点は、100年経っても墓参する人が絶えないことだ。僕の両親も、死んだらここの墓地に入りたいと言う。僕はどうしようか。もう少し日当たりの良い墓のほうがいいなあ、などと考えているところである。

    墓参り - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/25
    「この墓地には野口雨情が書いた 「赤い靴」 のモデルといわれる佐野きみ(1902-1911)が埋葬されている」
  • 島崎藤村と馬場孤蝶 - 蟹亭奇譚

    芭蕉は五十一歳で死んだ。それに就いて近頃私の心を驚かしたことがある。友人の馬場君はその昔白金の學窓を一緒に卒業した仲間であるが、私よりは三つほど年嵩にあたる同君が、來年はもう五十一歳だ。馬場君のことを孤蝶翁と呼んで見たところで、誰も承知するものは有るまいと思はれるほどに同君はまだ若々しいが、來年の馬場君の歳に芭蕉は死んで居る。 これには私は驚かされた。老人だ、老人だ、と少年時代から思ひ込んで居た芭蕉に對する自分の考へ方を變へなければ成らなくなつて來た。 島崎藤村 『飯倉だより』 より 「芭蕉」 五十位な吾々に取つては、自分から俺は老人だと思ふことは、甚だ困難である。然し、若い人々は吾々を老人だと思つて居るに違ひないし、又さう思ふのは尤もな事である。 吾々自身も青年時には、五十位の人を見れば、可なりな老人だと思つて居た。さうして見れば吾々が自ら老人たることを承認するとせざるとに拘らず、若き人

    島崎藤村と馬場孤蝶 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/21
    「学生時代の親友同士が生涯にわたって、文学を通じた交わりを続けたのは素晴らしいことではないか」ほんとに!/馬場さん、最終回なのですね。楽しく読ませてもらいました。/SWとはいえちと老境にはお早いかと……。
  • 麦湯少女まとめ - 蟹亭奇譚

    http://d.hatena.ne.jp/toroleo/20090918/1253243196 ※強調部は引用者による。 天保に書かれた『寛天見聞記』には「夏の夕方より、町ごとに麦湯という行灯を出だし、往来へ腰懸の涼み台をならべ、茶店を出すあり。これも近年の事にて、昔はなかりし也」とあるように専門店である「麦湯店」も出現した。これは麦湯の女とよばれる14〜15歳の女子が、一人で事もなにもなく麦湯のみを4文ほどで売るものであった。 麦茶 - Wikipedia そこはかとないエロスが漂う風情なのだが、なぜ「14〜15歳」というような特定があるのかがやや不思議ではある。12〜13歳ではなく、16〜17歳でもなく「14〜15歳」だったのだろうか。 http://d.hatena.ne.jp/toroleo/20090918/1253243196 麦湯の屋台は江戸の夏の風物詩です。 脇に立て

    麦湯少女まとめ - 蟹亭奇譚
  • 島崎藤村と樋口一葉 - 蟹亭奇譚

    島崎藤村 『春』(明治41年発表) に、樋口一葉がちょっとだけ登場する。藤村たちが出していた同人雑誌 『文學界』 に一葉が加わったのだ。 舞台は明治28年。「堤さん」 と書かれている女性のモデルが一葉である。以下、岸は藤村、菅は戸川秋骨、足立は馬場孤蝶、市川は平田禿木となっている。 「どうだね、これから堤さんの許(ところ)へ出掛けて見ないか。足立君も行ってるかも知れないよ」 こう菅が言出した。 よく女の力で支えられている家庭が世の中には有る。そういう家庭には、よし男が有っても意気地が無いとか、働がないとかで、気象のしゃんとした人は反(かえ)って女の方にも見受けられる。堤の家も矢張そういう風のところであった。そこには堤姉妹が年老いた母親にかしずいて、侘しい、風雅な女暮しをしていた。いずれも苦労した、談話(はなし)の面白い人達であったが、殊に姉は和歌から小説に入って、既に一家を成していた。こ

    島崎藤村と樋口一葉 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/17
    馬場孤蝶さん、wikiのお写真みてもなかなかに美形です。西脇順三郎に影響とは素敵v/そして、三点リーダーの連なりが……。
  • 聖書の翻訳その他もろもろ - 蟹亭奇譚

    わが奇とするもの三あり否な四あり - 蟹亭奇譚 isozakiaiの呟き置き場(旧:愛のカラクリ、AI日記) Traduttore,traditore(ほんやくしゃはうらぎりもの)モンダイなどなど ものすごく濃ゆい言及をいただいたので、わくわくどきどきしながら記事を拝読しました。うまく考えがまとまらないのですが、思ったことを断片的ながら書いてみたいと思います。 島崎藤村とキリスト教 島崎藤村は明治21年、17歳のときにキリスト教の洗礼を受けています。その後、明治26年に教会を退籍し、生涯、キリスト教信仰に戻らなかったとされていますが、文学作品の中では聖書の引用(暗示的なものも含めて)が非常に多く用いられ、その傾向は処女詩集 『若菜集』 から晩年の 『夜明け前』 まで続いています。(『若菜集』 における聖書の引用のしかたはかなり面白いので、そのうち詳しく書いてみたいと思っています。) 旧約聖

    聖書の翻訳その他もろもろ - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/13
    お忙しいところご丁寧にどうもありがとうございます!
  • わが奇とするもの三あり否な四あり - 蟹亭奇譚

    古い言葉に、この世にめずらしく思われるものが三つある。いや、四つある。空に飛ぶ鷲の路、磐(いわ)の上にはう蛇の路、海に走る舟の路、男の女に逢う路がそれである。…… 島崎藤村 「路」(岩波書店の雑誌『文学』の創刊に寄す)*1 「三つある。いや、四つある。」 と、先に述べたことをすぐに否定して、後のものを強調するレトリックが洒落ていると思うのだが、ここに記されている 「古い言葉」 とは旧約聖書 『箴言』 である。冒頭の一文は、藤村自ら口語に訳したのだろうか。こういう表現は上手いなあと思う。 わが奇(くすし)とするもの三あり否な四あり共にわが識ざる者なり 即ち空にとぷ鷲の路 磐の上にはふ蛇の路 海にはしる舟の路 男の女にあふの路これなり 淫婦の途も亦しかり 彼はひてその口を拭ひ われ惡きことを爲ざりきといふ 旧約聖書(文語訳) 『箴言』 第30章18〜20 文語訳聖書にも 「三あり否な四あり」

    わが奇とするもの三あり否な四あり - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/12
    ほど刺激を頂戴いたしまして、日記かかせていただきました。お時間のあるときにでもご覧いただければ幸いです。
  • 病院受診 - 蟹亭奇譚

    右腕が上がらない - 蟹亭奇譚の続き。 昨日も病院へ行ったのだけれど、腕が上がらなくなったのはその直後からである。元々、麻酔薬を用いた治療を行っているのだが、その麻酔が効きすぎてしまったということらしい。数日で全快するだろうとのこと。出来るだけ腕を動かすようにとの指示。痺れ止め薬処方。 症状は昨日に比べたらだいぶ回復している。昨夜はテーブルの上のしょうゆに手が届かないレベル(細かい字は書けるのに)だったのが、今朝は空のやかんを持ちあげられるレベルである。(でも、やかんに水を入れたら腕ごと落下した。)今、試してみたら、ゆっくり万歳できたので、万歳!

    病院受診 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/10
    「ゆっくり万歳できたので、万歳!」ばんざい!よかったですね。
  • 潤一郎ラビリンス (9) - 蟹亭奇譚

    潤一郎ラビリンス〈9〉浅草小説集 (中公文庫) 作者: 谷崎潤一郎,千葉俊二出版社/メーカー: 中央公論社発売日: 1999/01/18メディア: 文庫 クリック: 1回この商品を含むブログ (4件) を見る 大正中期、震災前の東京・浅草を舞台にした小説2編に随筆1編。文章はだらだらと長く、内容は妙に脂ぎって、ぎらぎらしている。

    潤一郎ラビリンス (9) - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/05
    「内容は妙に脂ぎって、ぎらぎらしている」たしかに!谷崎って肉食系だよなあ…
  • 島崎藤村と子供たちのその後 - 蟹亭奇譚

    島崎藤村は 『分配』 を最後に子供たちの登場する小説を書かなくなってしまったので、各種年譜を頼りに彼らのその後を辿ってみたい。*1 島崎藤村 昭和3年、加藤静子と結婚。 昭和3〜10年、『夜明け前』 執筆。 昭和17〜18年、『東方の門』(未完) 執筆。 昭和18年8月21日、『東方の門』 執筆中に倒れ、翌日永眠。(絶筆の原稿は当に文章の途中で終わっている。) 最期の言葉は 「涼しい風だね」 であったと言われる。 楠雄(長男) 大正11年より木曾にて農業を営む。 昭和7年、結婚。 財団法人藤村記念郷初代理事長、藤村記念館顧問を勤める。 昭和56年没。 鶏二(次男) 大正15年、木曾にて農業を手伝いながら、美術を学ぶ。 昭和初期より洋画家として活躍。同時に父藤村の秘書を勤めている。 昭和19年、戦死。 蓊助(三男) 昭和初期より洋画家として活躍。プロレタリア運動に関っている。 戦後は、父藤

    島崎藤村と子供たちのその後 - 蟹亭奇譚
  • 島崎藤村 『分配』 - 蟹亭奇譚

    太郎に続いて、次郎もまた1年前から木曾に暮らす人となった。さらに、三郎も郊外で自炊生活を始めたところだ。だが、子供たちの経済的な独立には程遠く、《私》 は金銭面の援助を続けている。 その時になって見ると、三人の兄弟の子供は順に私から離れて行って、末子一人だけが私のそばに残った。三郎を送り出してからは、にわかに私たちの家もひっそりとして、卓もさびしかった。私は娘と婆やを相手に日を暮らすようになったが、次第に私の生活は変わって行くように見えた。巣から分かれる蜂のように、いずれ末子も兄たちのあとを追って、私から離れて行く日が来る。これはもはや、時の問題であるように見えた。私は年老いて孤独な自分の姿を想像で胸に浮かべるようになった。 島崎藤村 『分配』 そんな折、《私》 に二万円の収入があった。大正15年に改造社より出版された 『現代日文学全集』 をはじめとする 「円」 ブームによる印税収入

    島崎藤村 『分配』 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/03
    「作者の子育て小説の完結編であり、同時にそれまでの作家人生を振り返る総集編という意味をもった重要な作品」
  • 島崎藤村 『食堂』 - 蟹亭奇譚

    お三輪が東京の方にいる伜(せがれ)の新七からの便りを受取って、浦和の町からちょっと上京しようと思い立つ頃は、震災後満一年にあたる九月一日がまためぐって来た頃であった。お三輪に、彼女が娵(よめ)のお富に、二人の孫に、子守娘に、この家族は震災の当時東京から焼出されて、浦和まで落ちのびて来たものばかりであった。 (中略) 一年前の大きな出来事を想い起させるような同じ日の同じ時刻も、どうやら、無事に過ぎた。一しきりの沈黙の時が過ぎて、各自(めいめい)の無事を思う心がそれに変った。 島崎藤村 『堂』 お三輪は京橋の商家「小竹」の娘として育った。輸入ものの高級雑貨を扱う店であったが、関東大震災で焼け出され、それまでに築いた全てを失った。 新七から来た手紙には浦和まで母を迎えに行くとあって、ともかくもお三輪は伜の来るのを待つことにしていた。彼女は何を置いても、新七の言葉に従わねばならないように思った。

    島崎藤村 『食堂』 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/09/02
    「震災後の東京の風景、人々の生活、復興の気運、新旧世代の交代……と様々の要素がきっちりと詰め込まれた佳品である」/藤村タグを作るべきかと悩む今日この頃。/近代日本文学無知なので有難いです。
  • 島崎藤村 『藁草履』 - 蟹亭奇譚

    信州海の口村は馬の産地である。 皇族殿下の行啓を記念して、野辺山が原では競馬の催しが開かれ、四千人の群衆、三百頭余の馬が集まった。 主人公の源は馬主と騎手を兼ねている。スタートの合図がなる。 合図を聞くが早いか、五人の乗手はもう出発の線を離れる。真先に乗進んだのが源の青、次が紫、白、赤でした、樺は乗りおくれて見えました。「青、青」の叫び声は埒の四方から起る。殿下は御仮屋の紫の幕のかげに立たせられ、熱心に眺入らせ給うのでした。大佐は幾度馬博士の肩を叩いたか知れません。知事も、郡長も、御附の人々も総立です。参事官は白いしなやかな手を振りました。五人の乗手は丁度乗出した時と同じ順で、五十間ばかりの距離を波打つように乗進んで行った。源が紫に先んじたことは、樺が赤に後れたと同じ程の距離です。ですから源が振返って後を見た時は、舞揚る黄色い土烟(つちけむり)の中に、紫と白とがすれすれに並び進んで、乗迫っ

    島崎藤村 『藁草履』 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/08/29
    「二葉亭四迷らの言文一致運動から15年。現代にも十分通じる口語文の完成の瞬間」確かに!色彩と動きと距離、音、そして見る者と御者の感情が不可分なく描写されている。
  • 島崎藤村 『ふるさと』 - 蟹亭奇譚

    『ふるさと』 は 『幼きものに 海のみやげ』 に続く島崎藤村の童話集(大正9年発表)。書を著した当時の藤村一家の事情が、序文に書かれているので引用してみたい。 早いものですね。あの*1を作った時から、三年の月日がたちます。太郎は十六歳、次郎は十四歳にもなります。父さんの家には、今、太郎に、次郎に、末子の三人がいます。末子は母さんが亡くなると間もなく常陸(ひたち)のほうの乳母(うば)の家に預けられて、七年もその乳母のところにいましたが、今では父さんの家のほうに帰ってきています。三郎はもう長いこと信州木曾(きそ)のおじさんの家*2に養われていまして、兄の太郎や次郎のところへ時々お手紙なぞをよこすようになりました。三郎はことし十三歳、末子がもう十一歳にもなりますよ。 (中略) 人はいくつになっても子供の時分にべた物の味を忘れないように、自分の生まれた土地のことを忘れないものです。たとえその

    島崎藤村 『ふるさと』 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/08/28
    雰囲気のある好い挿絵。
  • ゲド戦記が岩波少年文庫になったよ - 蟹亭奇譚

    影との戦い―ゲド戦記〈1〉 (岩波少年文庫) 作者: アーシュラ・K.ル=グウィン,ルース・ロビンス,Ursula K. Le Guin,清水真砂子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/01/16メディア: 単行購入: 6人 クリック: 27回この商品を含むブログ (29件) を見るこわれた腕環―ゲド戦記〈2〉 (岩波少年文庫) 作者: アーシュラ・K.ル=グウィン,ゲイル・ギャラティ,Ursula K. Le Guin,清水真砂子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/01/16メディア: 単行購入: 1人 クリック: 4回この商品を含むブログ (14件) を見る 以前、『影との戦い』が岩波同時代ライブラリーから出たときは1巻だけで終わってしまったので、今回は6冊全部発売されてから買うつもり。

    ゲド戦記が岩波少年文庫になったよ - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/08/25
    文庫になってるだなんて!ををっ!
  • 購入 - 蟹亭奇譚

    室生犀星 『蜜のあわれ・われはうたえどもやぶれかぶれ』(講談社文芸文庫) 夢野久作 『少女地獄』(角川文庫) 向田邦子 『思い出トランプ』(新潮文庫) ボルヘス 『伝奇集』(岩波文庫) 『蜜のあわれ』 は金魚がヒロインというポニョっぽい小説らしい。講談社文芸文庫って、なんであんなに高いの?

    購入 - 蟹亭奇譚
    florentine
    florentine 2009/08/23
    講談社文芸文庫はたしかにイイお値段のように思う(とはいえさいきん他の文庫も1000円越えやそれに近いのが多い気も)。『挟み撃ち』とか『空気頭』とか、面白い本たくさんあるんだけどなあ……(泣)
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