芥川龍之介賞、三島由紀夫賞、野間文芸新人賞をすべて受賞した「三冠小説家」である笙野頼子が「文壇」からパージされつつある。 去る5月、笙野は『発禁小説集』を上梓した。版元は、長野の小さな出版社・鳥影社。収録作の初出は大半が講談社の文芸誌『群像』だったが、同社に刊行できないと拒否されたのである。それで「発禁」。作中にある「ご主張」が不可の理由として告げられた。 どんな主張か。性自認至上主義に社会が侵食されることへの批判と恐怖である。性別が自己申告で通れば脅かされるのは生物学的女性だと笙野は警告する。「女が消される」「女消運動」とまで強い表現も用いる。それは性自認にちょっとでも懸念や疑問を挟むと、「ターフ!」(TERF=トランス排除的ラディカルフェミニスト)と差別者認定され吊し上げられる風潮への抵抗である。この原稿を書いたことで私も差別者と呼ばれるであろう。 片やトランス擁護者は「TRA(トラン
自分の利益を最優先して行動する人間像(ホモ・エコノミクス)を前提にしている経済学は、頻繁に批判にさらされてきた。人間の多様性を無視し、社会のあり方を利己的な傾向に誘導する悪しきものだ、というのがその種の批判の定番である。さらに経済学は数学を利用して現実をモデル化する。この点も「数学だと人間の複雑な行動を描写できない、むしろ単純化されて危険だ」と言われてきた。 ホモ・エコノミクス批判は、また世論に受けがいい。実際に私もホモ・エコノミクス批判の訳書を出したことがあるが、主要新聞すべてに書評が出た。同じようにマスコミの注目度の高い重田園江『ホモ・エコノミクス』は、ありふれたこの種の経済学批判に何か新たな成果を加えただろうか。 率直にいって挑戦状を受けた気がする本だ。経済学を古典力学的世界像でとらえ、ワルラスやジェヴォンズについての解説は鋭い。 だが、真空状態でりんごが落ちる仮想的な世界像よりも、
皇室は、最強の外交資産だ。「私は通常、外国の大使には会わないが日本は例外である。日本の皇室を尊敬しているからだ」(サウジアラビアの王族)。 *** 本のタイトル(『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』)を見て、よくある日本礼賛本と思われる方もいるかもしれない。しかし本書は、戦後の日本が国際社会で存在感を高める中で、皇室の国際的活動がいかに大きな貢献をしてきたかを見事にまとめた、他に例を見ない力作である。 皇室を外交資産たらしめているものは何か。筆者はそれを「長い歴史と伝統の蓄積」と「それに立脚した先の天皇皇后両陛下を中心とした皇族の人間力」としている。 長年、サウジアラビアの駐米大使を務めたバンダル・ビン・スルタン王子は帰国後、国家安全保障会議の事務局長という重職についた。面会が極めて難しいことで知られたが、当時の中村滋(しげる)駐サウジ大使は2度私邸で会い、イランとの水面下の交渉などの重要情
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