歌手になりたかった。物心ついたときからずっと。1985年生まれ。小室哲哉オーディションを受け、かつASAYAN世代の私は、同世代の鈴木亜美やモーニング娘。みたいに、いつか「自分だけの才能」が、誰かに発掘してもらえると信じてた。 大学で軽音楽部に入りCDを作ったり、地元だけじゃなく東京でライブをしたりもしたけれど、自分より歌のうまい後輩を目の当たりにして「歌手は無理かも」と薄々気づいてた。 そんななかで、葛藤しつつ、足を踏み入れた就活の世界。「クリエイティブ職」という単語を知ったとき「世間、待たせたね」と思った。私の感性を炸裂させるべき天職はここでした。と、マスコミ・広告業界を受けまくった。落ちまくった。 結局引っかかったのは、大手広告会社。営業職だった。営業だけはしたくなかった。営業というのは「クリエイティブな才能を持たない人が消去法でする仕事」だと思い込んでいたから。 会社に通いながら、