タグ

芸術と万博に関するlaislanopiraのブックマーク (70)

  • 橋下徹氏 大阪万博、350億円の日よけ大屋根に「単純な無駄ではなく、芸術的な価値というところも」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

    大阪市長で弁護士の橋下徹氏(54)が13日、フジテレビの情報番組「めざまし8(エイト)」(月~金曜前8・00)に出演。会場建設費が最大2350億円に膨らんだ大阪・関西万博で、350億円かかる万博のシンボル的なリング(木製の大屋根)が造られることに言及した。 リングについて、自見英子万博担当相は、8日の衆院内閣委員会で、「夏の暑い時期に開催される。日よけの熱中症対策として大きな役割を果たす」、「大屋根のリングは『多様でありながら、ひとつ』という万博の理念を示すシンボル。来場者の滞留スペースとしても重要な役割がある」などと必要性を強調した。 「リング」はすでに建設が始まっており、2025年2月頃の完成を目指している。万博後には解体し、木材を民間に売却するとしている。 大阪市長時代に万博開催の旗振り役でもあった橋下氏は「例えば1970年の大阪万博、太陽の塔があります。当時はむちゃくちゃ批判され

    橋下徹氏 大阪万博、350億円の日よけ大屋根に「単純な無駄ではなく、芸術的な価値というところも」(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース
  • 万博における上昇装置/プラモデルで読み解く『太陽の塔』の本質的機能とアートの衝突。 | nippper ニッパーを握るすべての人と、モケイの楽しさをシェアするサイト

    大阪万博のことを知らないなりにさまざまな文献を読み進めていくと、『太陽の塔』は地上、地下、空中の3層にわたるテーマ館を貫く建造物であり、すなわち空中に設けられたパビリオン(現在は解体済み)へ来訪者を運ぶための設備であったことがわかる。塔として建てられ、あとから内部にエスカレーターを設けたのではなく、「人類の進歩と調和」というテーマを見に訪れた人々を垂直に輸送するための装置だったのだ。 岡太郎は「人類の進歩と調和」というテーマに真っ向から反対し、不気味な地底空間を人類の昔の記憶で飾り立て、塔の内部に太古から繋がる生命そのものの進化を彫刻し、壁を真っ赤に塗り、上昇する来訪者たちに痛烈なメッセージを投げかけた。精緻に組み上げられた鋼管フレームが左右の腕を支えていて、右腕の内部は大屋根の空中展示に人を運ぶエスカレーターがあり、左腕の内部には緊急時に使われる非常階段があったのだという。 海洋堂の『

    万博における上昇装置/プラモデルで読み解く『太陽の塔』の本質的機能とアートの衝突。 | nippper ニッパーを握るすべての人と、モケイの楽しさをシェアするサイト
  • クローズアップ藝大 | 第十五回 小鍛冶邦隆 音楽学部作曲科教授 | 東京藝術大学

    クローズアップ藝大では、国谷裕子理事による教授たちへのインタビューを通じ、藝大をより深く掘り下げていきます。東京藝大の唯一無二を知り、読者とともに様々にそれぞれに思いを巡らすジャーナリズム。月に一回のペースでお届けします。 Tweet >> 過去の「クローズアップ藝大」 >> 「クローズアップ藝大」がになりました 第十五回は、音楽学部作曲科教授の小鍛冶邦隆先生。現代音楽の作曲家として、また指揮者としても活躍しています。令和3年10月、研究室にてお話を伺いました。 【はじめに】 この「クローズアップ藝大」という企画を通して、今まで出会うことのなかった様々な芸術家の方々と初めて話をする機会を得ていますが、現代音楽の作曲家は正直とても遠い存在だと感じていました。コンサートでも、日ごろメディアを通しても現代音楽をあまり耳にすることがないこともありますが、現代音楽については難しい話になるではとの予

    クローズアップ藝大 | 第十五回 小鍛冶邦隆 音楽学部作曲科教授 | 東京藝術大学
  • 第1回 なんの役にも立たない。 | 芸術になってしまえ! | 平野暁臣✕藤井亮 | ほぼ日刊イトイ新聞

    NHKの深夜5分枠の番組から 全国的なブームになった『TAROMAN』。 あのちょっと変わったヒーローを、 岡太郎記念館館長の平野暁臣さんは、 どんなふうに見ていたのでしょうか。 TAROMANを制作した 映像作家の藤井亮さんをお呼びして、 岡太郎のこと、TAROMANのこと、 糸井重里もまじえておしゃべりしました。 昨年の「ほぼ日の生放送」でのトークを、 テキストバージョンにしておとどけします。 >平野暁臣さんについて 空間メディアプロデューサー、 岡太郎記念館館長、 ジャズレーベル「Days of Delight」主宰。 大阪万博で岡太郎が創設した 「現代芸術研究所」を主宰し、 イベントやディスプレイなど、 空間メディアの領域で多彩なプロデュース活動を行う。 2005年岡太郎記念館館長に就任。 明日の神話再生プロジェクト、 岡太郎生誕100年事業、 太陽の塔再生プロジェクト

    第1回 なんの役にも立たない。 | 芸術になってしまえ! | 平野暁臣✕藤井亮 | ほぼ日刊イトイ新聞
  • 岡本太郎しか勝たん - gfnweb

    近年の若者には「推し」がいたりする.「推し」という語が少なくとも原義的には 自身-対象 ではなく 自身-対象-対象を勧められる第三者 という図式を有している点は2020年代の各個人と社会との関係の在り方を写すようで面白いが,まあその話自体に立ち入るのは置いておくとして,20代も終了目前で別に若くもない筆者にもその意味の「推し」の1人くらいはいる.岡太郎だ.岡太郎については既に多くの人が熱弁しているけれど,このベラボーな巨人について自らの言葉で書き留めておかねばならぬという欲を私も抑えがたい.だから「後から見返したら恥ずかしいだろう」などという卑しい懸念を唾棄して書くのである. 岡太郎自体はほとんどの方がご存知だろう.「芸術は爆発だ!」などのやや奇抜な言動で知られ,“奔放なエキセントリックおじさん” のイメージが広く共有されているかもしれない.だが,そうしたイメージは全く一面的である上

  • 【連載】イザナギと呼ばれた時代の美術 #3:反戦運動から大阪万博へと至る統治のテクノロジー。密告と監視の“空気”はいかに醸成されたか(文:長谷川新)

    【連載】イザナギと呼ばれた時代の美術 #3:反戦運動から大阪万博へと至る統治のテクノロジー。密告と監視の“空気”はいかに醸成されたか(文:長谷川新) インディペンデントキュレーター、長谷川新による連載第3回。連載は、1960〜70年代の「日戦後美術」を、これまであまり光が当てられてこなかった「ベトナム戦争」を軸に辿り直すもの。ベトナム戦争を背景にした「イザナギ景気」に日列島が沸いた時代の、新たな戦後美術史を立ち上げる。(不定期連載)

    【連載】イザナギと呼ばれた時代の美術 #3:反戦運動から大阪万博へと至る統治のテクノロジー。密告と監視の“空気”はいかに醸成されたか(文:長谷川新)
  • 美術史に無視されたカリスマ?岡本太郎とは何者か 過去最大の回顧展:朝日新聞デジタル

    ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

    美術史に無視されたカリスマ?岡本太郎とは何者か 過去最大の回顧展:朝日新聞デジタル
  • 椹木野衣 美術と時評 70:再説・「爆心地」の芸術(36):「太陽の塔」と「大平和祈念塔」 - ART iT(アートイット)

    連載目次 岡太郎作「地底の太陽」 写真提供:大阪府日万国博覧会記念公園事務所 大阪の千里丘陵に位置する万博記念公園に立つ「太陽の塔」では現在、内部の整備工事が進行中だ。「太陽の塔内部再生」事業として、長く一般公開されてこなかった「生命の樹」や、行方不明のままだった四つ目の顔「地底の太陽」の復元やその設置場所の準備が、来年3月の一般公開に向け、急ピッチで行われているのだ。先日、私は岡太郎財団の評議員を務める関係で、岡太郎記念館館長の平野暁臣、美術史家の山下裕二、ワタリウム美術館キュレーターの和多利浩一の三氏と、その進捗の確認のため中に入った。内部はすでに耐震補強を終え、「生命の樹」を鑑賞するための通路を新たに確保する作業が進められており、もともと伽藍堂のように広かった空間は、何重にも入り組んだパズルのような足場で、上から下まで鉄の蜘蛛の巣のように埋め尽くされていた。こんな複雑な足場の

  • Study:大阪関西国際芸術祭|大阪府・関西

    Study:大阪関西国際芸術祭Vol.3は 1月31日をもって全会場終了しました。 皆様のご支援・ご協力ありがとうございます。 次回の「大阪関西国際芸術祭」もどうぞお楽しみに!

    Study:大阪関西国際芸術祭|大阪府・関西
  • 千葉成夫『増補 現代美術逸脱史』を読む - mmpoloの日記

    千葉成夫『増補 現代美術逸脱史』(ちくま学芸文庫)を読む。副題が「1945~1985」とあり、戦後の日現代美術を総括したもの。さらに「増補」とあるように、その後の展開を100ページ充てて紹介している。 「逸脱史」と題しているように、「画壇」については、純文学に対する大衆文学だ、工芸に過ぎないと切り捨てている。画壇というのは主流というのか、公募展の作家たちを言うのか、ここに取り上げられていない作家たちだ。 まず、書はとても面白く教えられることが多かった。千葉の主張は、戦後の日美術は、具体グループ、読売アンデパンダンの後期に参加した反芸術、日概念派、もの派、美共闘の流れを言い、それについて詳しく分析する。 具体美術協会は1955年に始まった。ここを日現代美術の始点とする。しかし、まもなく具体がアンフォルメルの影響下に入ったことで、頓挫したとする。「アンフォルメルというのはヨーロッパ、

    千葉成夫『増補 現代美術逸脱史』を読む - mmpoloの日記
  • 結局イチモツは隠すことにしました。ドバイ万博博覧会に出展されたダビデ像 : カラパイア

    去年10月に開幕予定だった中東初となるドバイ万国博覧会(EXPO2020)は、コロナの影響で1年遅れの今年10月1日に開幕となった。 イタリアからは、ミケランジェロのダビデ像を3Dプリンターで再現した作品が展示される運びとなったが、この展示を巡って揉めに揉めた。 ダビデ像といえば、ありのままの姿見せるのよ系である。全裸だからこその美しさがそこにあるのだが、イスラム圏ではヌードはご法度である。 様々な代替え策が出されたが、結局は隠すことで展示が決まったようだ。

    結局イチモツは隠すことにしました。ドバイ万博博覧会に出展されたダビデ像 : カラパイア
  • 成田亨さんの仕事

    成田亨さんのアートワークス お若い方で、「成田亨」というアーティストをご存じの方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか。 1929年生まれ。彫刻家。武蔵美術学校研究生時代に「ゴジラ」のアルバイトスタッフとして建物の石膏ミニチュア製作などに関わったのがきかっけで、その後特撮美術などに携わるようになり、「新幹線大爆破」(これがまた迫力のある映像だったんですよ)などの特撮美術監督、66年大阪万国博太陽の塔の内部造型「生命の樹」、沖縄海洋博「WOSくじら館」の内部企画デザイン等々数々の印象深い仕事をされてきた方ですが、何よりも我々の記憶に残っているのは、「ウルトラマン」「ウルトラセブン」「ガラモン」「マイティジャック」「突撃ヒューマン」等々多くのヒーロー・怪獣・メカのデザイナーであるということです。 もちろん、それらのキャラクターは成田さんお一人だけではなく、多くのスタッフの熱意から生み出されたもので

    laislanopira
    laislanopira 2020/02/09
    "新しいデザインは必ず単純な形をしています。人間は考えることができなくなると、モノを複雑にして惰落(ママ)していくのです。"
  • いつでも変わることができる。霧のアーティスト・中谷芙二子が「霧の抵抗」で伝えたいこと

    いつでも変わることができる。霧のアーティスト・中谷芙二子が「霧の抵抗」で伝えたいこと1970年代より純粋な水霧を用いた環境彫刻、インスタレーション、パフォーマンスなどを手がけ、「霧のアーティスト」として世界的に活動してきた中谷芙二子。その日初となる大規模個展が水戸芸術館現代美術ギャラリーで10月27日に開幕。「抵抗」が大きなキーワードとなる展をレポートでお届けする。 「霧のアーティスト」として世界的に知られる中谷芙二子は1933年札幌生まれ。アメリカのノースウェスタン大学美術科を卒業後、初期の絵画制作を経て、芸術と技術の協働を推進する実験グループ「E.A.T」に参加。その活動の一環として1970年の大阪万博ペプシ館で、初めての人工霧による「霧の彫刻」を発表してきた。また、1970年代から社会を鋭く見つめるビデオ作品の制作や、海外作家との交流を推進するとともに、日の若手ビデオ作家の発掘

    いつでも変わることができる。霧のアーティスト・中谷芙二子が「霧の抵抗」で伝えたいこと
  • 拒絶から公共彫刻への問いをひらく:ヤノベケンジ《サン・チャイルド》撤去をめぐって|MAGAZINE | 美術手帖

    拒絶から公共彫刻への問いをひらく:ヤノベケンジ《サン・チャイルド》撤去をめぐって2018年8月3日に福島市の教育文化複合施設「こむこむ館」前に設置され、そこからわずか1ヶ月あまりで撤去されたヤノベケンジの立体作品《サン・チャイルド》。これを起点に、公共空間における作品設置のあり方を、彫刻家であり彫刻研究者の小田原のどかが考察する。 文=小田原のどか 恒久設置から完全撤去へ あまりにも早い撤去だった。9月18日と19日、福島市の文化施設「こむこむ」前で《サン・チャイルド》の解体を見守りながら、そう思わざるをえなかった。こんなに早い幕引きから、私たちは何かを教訓とすることができるのだろうか。人々が忘れてしまう前に記しておきたいことがある。 《サン・チャイルド》は2011年3月11日の東日大震災をきっかけに制作された、高さ6.2メートルのヤノベケンジによる大型彫刻だ。同じ造形、サイズのものが3

    拒絶から公共彫刻への問いをひらく:ヤノベケンジ《サン・チャイルド》撤去をめぐって|MAGAZINE | 美術手帖
    laislanopira
    laislanopira 2018/10/19
    日本では歴史が流れ去るばかりなので議論が蓄積しない。しかも長崎も福島も中央では全く知られていない。いずれ東京で全く似たような騒動が起こるが、これまでの知見は何も生かされないだろう
  • 村上隆らにも影響をあたえ、半刈りでハンガリーに行ったアーティスト。その男、榎忠。: 生き様 01 | / ARTLOGUE

    生きづらい現代社会をサバイブする!! 連載「生き様」は、アーティストやクリエーター達の生き様からみえてくる、現在(いま)を生き抜くヒントを共有、発信していきます。 大阪万博のシンボルマークを体に焼き付け、ふんどし姿で東京・銀座での日初の歩行者天国を練り歩くも、わずか10分足らずのうちに騒乱罪で逮捕される。全身の体毛の半分をすべて剃り落とし、当時、共産国だったハンガリー国へ行く。かと思えば女装Rose Chuと称して2日間限りのバーを営むパフォーマンスを行う。大砲型の作品で行う祝砲パフォーマンスは榎忠の代名詞にもなっている。村上隆やヤノベケンジらにも影響をあたえたアーティスト、榎忠に自身の生き様について語ってもらいました。 ギャラリー島田 榎忠展 [MADE IN KOBE] にて 電車一両を丸ごと改造して作品に 鈴木:榎忠さんがアートをやり始めたきっかけを教えてください。 榎忠: きっ

  • 毎日動画 - 毎日新聞

    1970年に開催された大阪万博の象徴「太陽の塔」が19日から一般公開される。作者で芸術家の故岡太郎さんが生前、親交が深かった俳優の故石原裕次郎さんに作品に込めた思いを語る劇場非公開の秘蔵フィルムがある。映像を所有する石原さんの関係者は、岡太郎記念館(東京都港区)に寄贈したいと話している。【石原プロモーション提供、撮影・加藤隆寛、松崎進】2018年3月18日公開 簡易表示

    毎日動画 - 毎日新聞
  • 太陽の塔:一般公開始まる 早朝から列、48年ぶりの熱気

    太陽の塔内部の一般公開が始まり、復元された「地底の太陽」に見入る来場者たち=大阪府吹田市で2018年3月19日午前10時8分、幾島健太郎撮影 1970年大阪万博のシンボルで、大阪府吹田市の万博記念公園にある「太陽の塔」(約70メートル)内部の一般公開が19日午前、始まった。約2年前から進めていた塔の耐震工事と展示物の再生作業が完了。事前に予約した見学者が朝早くから列をなすなど、48年ぶりにあの日の熱気がよみがえった。 塔内部は閉幕後に閉鎖され、一時的に一般公開されることはあったが、老朽化で2008年以降は公開を中止していた。今回の再生事業で、閉幕後に行…

    太陽の塔:一般公開始まる 早朝から列、48年ぶりの熱気
  • 48年ぶり公開「太陽の塔」内部を撮影したムービーまとめ

    2018年3月19日(月)より、太陽の塔の内部が48年ぶりに公開されます。展示品のほかに音と光が一体となっている演出がどのようなものなのか、ムービーで撮影してみました。 「太陽の塔」公式サイト(大阪府日万国博覧会記念公園事務所) http://taiyounotou-expo70.jp/ なお、内部の様子を写真に収めたフォトレポートは以下より。 「太陽の塔」内部が48年ぶりに公開されるので見に行ってきましたフォトレポート - GIGAZINE 太陽の塔に入るとまずは「地底の太陽」の展示があります。 太陽の塔第4の顔「地底の太陽」の展示はこんな雰囲気 - YouTube 地底の太陽の展示を通り過ぎると太陽の塔を貫く「生命の樹」の展示へ。 太陽の塔1階「原生類時代」の雰囲気はこんな感じ - YouTube 周囲の通路を通って上りながら鑑賞します。 太陽の塔内部 1階から2階へ - YouTu

    48年ぶり公開「太陽の塔」内部を撮影したムービーまとめ
  • 「太陽の塔」内部が48年ぶりに公開されるので見に行ってきましたフォトレポート

    太陽の塔は1970年に開催された大阪万博が終了した後、長らく一般公開されていませんでした。2003年になって33年ぶりに内部が公開されたものの、消防法などの関係で1階部分しか立ち入れず、上層階へは上がれないまま。しかしその後耐震補強工事など改修を重ね、ついに2018年3月19日(月)より上層部を含めた内部公開が開始されます。内部の様子はどうなっているのか見に行って来ました。 「太陽の塔」公式サイト(大阪府日万国博覧会記念公園事務所) http://taiyounotou-expo70.jp/ 太陽の塔には4つの顔があります。上部には金色に輝き未来を象徴する「黄金の顔」、胴体部の正面にある顔は現在を象徴する「太陽の顔」。 背面には過去を象徴する「黒い太陽」があります。 太陽の塔の背後では2018年3月18日に行われる式典の準備がすすんでいました。48年ぶりの内部公開とのこと。 塔の後ろ側に

    「太陽の塔」内部が48年ぶりに公開されるので見に行ってきましたフォトレポート
    laislanopira
    laislanopira 2018/03/18
    予約2か月以上待ち
  • これは楽しみ!巨大な芸術、岡本太郎「太陽の塔」のドキュメンタリー映画が2018年9月公開 : Japaaan

    1970年に開催された大阪万博の終了後も大阪のシンボル、時代のアイコンとして愛され続ける太陽の塔は芸術家・岡太郎氏の代表作の一つ。太陽の塔をテーマにした記録映画「太陽の塔」が、2018年9月に全国公開されることが決定しました。 2016年10月にスタートした修復工事も終了し、2018年3月19日には内部一般公開が開始される太陽の塔。映画『太陽の塔』は、日中が熱狂した大阪万博から半世紀近くを経た今でも、多くの人の心を惹きつけてやまない巨大な芸術作品に迫るドキュメンタリー映画。 公募で選出された監督は、国内外のCMやMVで活躍し、カンヌ国際広告祭など国際的なクリエイティブアワードで受賞歴を持つ関根光才氏。オムニバス映画BUNGO~ささやかな欲望~ 告白する紳士たち』でもメガホンを取っています。 大阪万博のテーマ館の一部であった「太陽の塔」を、テーマ展示プロデューサーであった岡太郎氏が、

    これは楽しみ!巨大な芸術、岡本太郎「太陽の塔」のドキュメンタリー映画が2018年9月公開 : Japaaan