1984年、福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。福島大学うつくしまふくしま未来支援センター特任研究員。専攻は社会学。学術誌のほか、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポ・評論・書評などを執筆。 著書に『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)、『地方の論理 フクシマから考える日本の未来』(同、佐藤栄佐久との共著)、『フクシマの正義 「日本の変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)『「原発避難」論 避難の実像からセカンドタウン、故郷再生まで』(明石書店、編著)など。 第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞。 大震災から2年目の「今」を見つめて この3月で東日本大震災から丸2年が経つ。被災地の報道も極端に少なく
去年3月の原発事故で放射性物質がどのように放出したかを調べるのに重要な原発周辺の放射線量について、公表されていないデータが存在することが分かりました。東京電力は未公表の理由について「調査中」としていますが、この中には、事故から5日後の去年3月16日午前に一時的に急上昇しているデータもあり、専門家は「原発で何かが起きた可能性を示しており、詳しく調べる必要がある」と指摘しています。 福島第一原発の事故で放出された放射性物質については、東京電力がことし5月に最新の解析結果を公表し、去年3月15日に2号機から翌16日には3号機から、大量に放出されたとしていますが、具体的な放出経路などは明らかになっていません。 この未解明の謎に迫ろうと、NHKが原発周辺で観測された放射線量について改めて調べたところ、第一原発から南に12キロにある第二原発の値に不自然な点があり、問い合わせた結
野田佳彦首相は7日、東京電力福島第1原発事故直後に現場で対応にあたった東電や協力企業の社員ら8人と、福島県楢葉町の拠点施設「Jヴィレッジ」で懇談した。海外メディアから「フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)」と称賛された社員らは、当時の苦境を生々しく証言した。 当時1〜4号機のユニット所長だった福良昌敏さんは「2カ所の中央制御室にそれぞれ20人近くが交代無しで48時間持ちこたえた。食料は乾パンと水しかなかった」と過酷な実情を語った。1号機の爆発の際には、中央制御室の天井板が全部落ち、ほこりで真っ白になったため、全面マスクをして作業を続けたという。 電源設備の責任者は炉心冷却用の電源が失われ、「万事休す。もうだめじゃんと思った」という。それでも電源復旧のため、部下に現場へ行くように指示。部下から「現場に行って、本当におれたちは戻ってこられるのか」と詰め寄られた。「お願いだから行ってくれ」と
枝野官房長官(当時)「メルトダウンは分かり切ったことで言わなかった」 1 名前: ◆PENGUINqqM @お元気で!φ ★:2012/06/02(土) 21:24:37.09 ID:???0 福島第1原発事故当時に官房長官だった枝野経産相が27日(2012年5月)、事故の検証を進めている国会の国会事故調査委員会に参考人として呼ばれ、聴取に応じた。菅政権のスポークスマンの役割を担っていた枝野だが、この日に問われたのはその情報発信のあり方だった。 ■やっと認めたのは3か月後に海外向け メルトダウンを政府が認めたのは国際原子力機構に報告した昨年6月で、事故から3か月もたっていた。公表の大幅な遅れについて問われると、枝野は「炉心損傷の 可能性については、3月13日午前中の記者会見の段階で、『十分可能性があるということで、 その想定のもとに対応しております』と申しあげた」と開き直った。 委員から「
(車両のサーベイを受けている。サーベイに当っているのは、中国電力から応援にきた放射線管理員。Jヴィレッジ・除染場) 反貧困の社会運動に長年とり組んできた大西さん(仮名)が、現在、福島第一原発と第二原発の事故収束作業に従事している。 その大西さんから、昨年末から今年2月にかけて、お話を聞いた。 〔インタビューはいわき市内。掲載に当たって、特定を避けるための配慮をした。〕 お話が多岐にわたる中で、編集上、4つの章に整理した。 【Ⅰ】【Ⅱ】【Ⅲ】では、高線量を浴びる現場で、放射線管理員として作業に携わっている状況の報告。被ばく労働、雇用や就労、地域との関係などの実態が語られている。 【Ⅳ】では、原発労働者の立場から、反原発・脱原発の運動の現状にたいして、鋭角的な問題提起が行われている。 事故収束作業に従事する労働者へのインタビューや、ライター自身が中に入るという形で書かれたルポはある。しかし、原
東京電力福島第一原子力発電所の事故で設定された福島県の避難区域内で、自宅などに取り残されて餓死した疑いの強い人が少なくとも5人いることがNHKの取材で分かりました。 警察や遺体の状況を調べた医師は、自力での避難や助けを求めることができず、取り残された可能性があると指摘しています。 やせ細った状態で 東日本大震災で、福島県内では津波による「溺死」やがれきに巻き込まれて1605人が亡くなっています。 NHKが、福島県内の自治体や警察などに取材したところ、こうした人たち以外にも、原発周辺の避難区域内の自宅やその周辺で、自力では逃げることができず、食事や水をとれないまま餓死した疑いの強い人が少なくとも5人いることが分かりました。 このうち原発からおよそ5キロの住宅では、去年3月下旬、70代の男性が2階部分で遺体で見つかりました。 関係者によりますと、住宅は1階が津波の被害を受けていたということです
江崎玲於奈氏 「除染費用1兆円を被災者に渡して移住させる選択肢も」 1 名前:影の大門軍団φ ★:2012/01/07(土) 09:03:35.31 ID:???0 日々進化し続けるこの世界での現状維持は後退を意味すると主張するのは、 ノーベル物理学賞受賞者の江崎玲於奈氏(86)。革新的な精神で新たな創造に向かうことの必要性を唱える江崎氏は、東日本大震災からの復興についても提言を行なった。 科学の研究においては、言うまでもなく、数世紀にわたり先人たちが積み重ねて来た 知識と整合性をもって進められますので、その特徴は「進歩を続ける」ことが内蔵されていることです。科学・技術からの知恵により進化を続ける今日の世界においては現状維持は後退を意味します。 われわれ人間は誰でも、故郷を愛し、伝統を大事にしたいと願う保守性と、世界に飛躍して新しいものを創造したいという革新性を併せ持っています。しか
東京電力は3日、福島第1原発2号機で検出された放射性キセノンについて、核分裂が連鎖的に起きる「臨界」によるものでなく、一定の割合で自然に起きる「自発核分裂」が原因と判断したと発表した。東電の松本淳一原子力・立地本部長は「臨界ではなかったという評価はできた」と述べた。 東電は、2日に明らかになった微量のキセノン検出を受けて、日本原子力研究開発機構の分析も併せ、原子炉内で臨界が起きたかどうかを判断するための分析を続けていた。 東電や経済産業省原子力安全・保安院は、溶融した燃料で局所的に臨界が起きた恐れは否定できないとしていた。 松本氏は「(自発核分裂は)停止中に見られる原発でもみられる現象だ」とした。
津波に無力だった非常用発電機 東京電力福島第一原発が40年前、竜巻やハリケーンに備えて非常用発電機を地下に置く「米国式設計」をそのまま採用したため、事故の被害が大きくなったことが関係者の証言でわかった。原発は10メートル以上の津波に襲われて水につかり、あっけなく全電源を失った。 風速100メートルに達する暴風が原発に襲いかかる。周辺の大木が根こそぎ吹き飛ばされ、ミサイルのように建屋の壁を突き破り、非常用電源を破壊する――。1960年代初頭、米国ではこんな悪夢のシナリオを想定して原発の災害対策が練られた。非常用発電機は原子炉建屋ほど壁が厚くない隣のタービン建屋に置かれた。「木のミサイル」から守るためにより安全なのは地下だった、と東電関係者は解説する。米国ではハリケーンに男女の名前を交互に付ける。津波よりも身近な災害だ。 東電初の原発だった福島第一の1号機は、ゼネラル・エレクトリック(G
福島県南相馬市からの報告を続けよう。福島第一原発から20キロ、30キロの線で市域が3つに分断されてしまった街である。 「地震・津波」と「原発災害」の2つの被災地(死者・行方不明者は福島県で最多)であるこの街を訪れるにあたって、聞いておきたいことがあった。東京その他の全国で流れているマスコミの報道について、地元の人たちがどう思っているかである。そして、「東京」を筆頭とする他の地域の人々が「被災地」「被災者」に向ける視線についてどう思うか、である。 私がびっくりしたのは、南相馬市の市役所を取材に訪れた時だ。取材が終わり、担当の男性職員と軽い雑談になったときだ。 「NHKも朝日新聞も(南相馬市から)撤退してしまった。こないだ朝日はファクスで取材の問い合わせ来てたよね? あれどこだった?(福島市の電話番号だと同僚が言う)ほら、福島市ですよ。福島市から電話とファクスで取材してくるんだよなあ」 福島市
2011年5月23日参議院行政監視委員会における小出裕章氏の発言の文字おこしです。委員会の冒頭での発言です。エネルギー政策としての問題点、高速増殖炉が絶対にできない理由、福島原発事故の政府の不適当な対応、もんじゅに1兆円つぎ込んだ責任者は詐欺罪として1万年の刑期に相当するなど、舌鋒鋭く鮮やかに原子力政策を否定しています。 http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=260093&page=3&id=62504878 (文字おこし、始め) 「今日はこれまで原子力をすすめてきた行政に一言いいたいと思ってうかがいました。私は原子力に夢を持って原子核工学科に入った人間です。なぜそうなったかというと原子力こそ未来のエネルギー源だと思ったからです。原子力は無尽蔵にあるが、石炭や石油は枯渇してしまうから将来は原子力だと信じて入ったのです。」 「しかし、入ってみて分かったのは原子
アパラチコラで過ごす優雅な時間 メキシコ湾沿いの入り江に面した米フロリダ州の小さな町アパラチコラ。こじんまりした海辺のホテルに宿泊し、バーで新鮮なシーフードを味わえるほか、地ビールの醸造所もある。綿花や漁業で栄えたこの町には、グリークリバイバル(ギリシャ建築への回帰)様式の優雅な住宅が散見される。数キロの沖合に浮かぶセントジョージ島には白い砂浜が広がる。
東海第二原発、綱渡りの3日半 停止作業の詳細明らかに2011年5月15日11時51分 印刷 Check 東日本大震災で被災した日本原子力発電の東海第二原発(茨城県)では、原子炉が安定的に停止している状態になるまでに3日半かかっていた。日本原電がまとめた資料でその作業の詳細が明らかになった。津波で非常用発電機の一部が停止し、炉内の水温や圧力を下げるため、綱渡りの作業が続いていた。 日本原電によると、東海第二原発は3月11日の地震直後に停電した。このため非常用発電機3台が動き始め、非常用炉心冷却システム(2系統)が起動した。しかし地震から約30分後に高さ5.4メートルの津波が襲い、その影響で命綱の発電機のうち1台が停止。非常用炉心冷却システムも1系統が使えなくなった。 こうした状況から冷却が十分進まず、地震から7時間後の時点で、原子炉内の水温は二百数十度、圧力は約67気圧。通常の運転時とほとん
もう一度、時間を巻き戻して、あの日の前までに戻れたらとよく思います。3月11日の大震災とその後に起こったことは、私のような首都圏の片隅に生きる半端者の生活さえ一変させました。生まれて初めて体験する大きな揺れと、テレビに映し出された津波の恐ろしさ。そして休みなく流れる被災地の人々の痛ましい状況は言葉を失くすほどのものでした。さらに、原発事故の衝撃。情報の不確かさ、対策の不手際がなおさら不安を増幅します。悲しみと怒り、その二つがストレスとなって私の日々の生活をじわじわと締め付けました。 震災当日、電車がすべて不通のため、妻は都心の勤め先から歩いて帰宅の途につきました。暗くなってようやく妻と携帯がつながり、自転車で迎えに行ったのですが、千葉街道は無言のまま歩いて帰る勤め人でいっぱいでした。エジプト脱出のユダヤ人もかくやと思われる人の列の中に、妻は会社から支給された白いヘルメットを被って、それでも
フォトジャーナリスト森住卓のブログです。 掲載している写真・文の著作権は森住卓に属します。 無断使用は禁じます。 長泥の交差点の村役場の掲示板に毎日測定された放射線量が掲示されている。隣に「注意 熊出没」の看板があった。住民に「熊はでるンかい?」と聞いたら「出た事ねえ。熊は見えるけどみえねえ放射能のほうが熊より、おっかねえ」といっていた。 長い間ブログ更新出来ず皆様にご心配おかけしています。 3月15日以来、飯舘村を継続的に取材をつづけています。 飯舘村の事を考えて眠れませんでした。歳のせいかもしれませんが。 飯舘村は高濃度放射線に汚染されたままです。 役場周辺では2~3μSv/時ですが、高いところでは10から十数μSv/時あります。この放射線量はチェルノブイリ原発から4キロにある無人の町・プリピャチ市より2~4倍近くの放射線量を出しています。ここはとても人が住めるような所ではありません。
福島原発事故最大のアンタッチャブル…電源喪失は津波が原因ではなかった Tweet カテゴリ東日本大震災 1:名無しさん@涙目です。(関東・甲信越):2011/04/30(土) 17:25:37.36ID:kFkzTkNUO● 外部電源喪失 地震が原因 吉井議員追及に保安院認める 日本共産党の吉井英勝議員は27日の衆院経済産業委員会で、地震による受電鉄塔の倒壊で福島第1原発の外部電源が失われ、炉心溶融が引き起こされたと追及しました。経済産業省原子力安全・保安院の寺坂信昭院長は、倒壊した受電鉄塔が「津波の及ばない地域にあった」ことを認めました。 東京電力の清水正孝社長は「事故原因は未曽有の大津波だ」(13日の記者会見)とのべています。吉井氏は、 東電が示した資料から、夜の森線の受電鉄塔1基が倒壊して全電源喪失・炉心溶融に至ったことを暴露。 「この鉄塔は津波の及んでいない場所にある。この鉄塔
人類史上、初めての体験 溶け出した福島第一原発「第3の恐怖」 東日本大震災「終わりなき闘い」 放射能汚染列島の虚実 3号機の異変は水素爆発ではなかった。福島原発の基本設計を担当した人間は実名でこう語る。「何かもっと重大な事故が起きている。報告されていないか、あるいは正確な事態を把握できていないのかどちらかだ」。実はすでに20人以上が大量被爆、あふれ出す高濃度放射性物質のプール、そして新たな危険が迫る。 データは信用できない 「これは・・・驚いたね」 福島第一原発の基本設計を担当した米GE社の元設計士・菊地洋一氏は食い入るように写真を見つめた。 菊地氏は福島第一原発6号機('79年運転開始)工事の現場監理も務めた、原発建屋建築のプロだ。 「同じ原子炉なのに、壊れ方がほかとまったく違う。3号機だけが熱でグニャグニャに曲がっているでしょう。アメ状に折れ曲がっている。これは、明らかに水素爆発ではあ
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