標題は単なる語呂で選んでるだけです(挨拶。 ここんところの死刑談義などを見ていて、何となく「復讐権」みたいなものが気になっていたりします。まぁある意味、穂積陳重的なレベルの議論ってのは現代にあって聊か古典的過ぎるかなぁと思われますが、ある程度この問題に関するスタンスの背景としてこのパラダイムは根本的な部分を握るのではないか、とは思われるだけに。 基本的に、確かに国家が刑罰を管理するのは「私権としての復讐権を振りかざす人が出てきたら困る」というのが結構大きい部分を占めるのではないか、とは思われます。要するに、復讐はその本質として連鎖性が強いので、世にあるコミュニティとしては復讐権を表向きな自然権として是認しがたい部分はあるのですが、仮に法的に復讐権を拒否したところで、輿論が「自力救済」としての暴力を支持する蓋然性は常に一定以上あると考えられ、その場合のコミュニティの維持は結構大変な作業になる