そのゲームセンターは、都内某所にあった。 90年代にゲーマーだった、友人Aさん(34歳)とBさん(30歳)に、連れていってもらった。マニアの間では、有名なゲームセンターだという。その理由 は、「その昔、このゲーセンのそばに、アーケードゲーム専門雑誌編集部があって、そこのライターが出入りしてたから」らしい。しかしその雑誌は、今は廃刊 してしまったらしい。 中に入ると、ムワーッと部室の匂い。ホコリや人間の匂い。でも、決して嫌な匂いではなく、なんとなく懐かしいような。
FC2からLivedoorに移転し半年くらい(2009年9月30日~2010年4月2日)やってた旧はちま起稿です。当時浪人1年目でした。(その後合格したけど大学行かずに上京してます) その後ちょっとした事情があってLivedoor内でサイト移転してます。 当時を思い出す自分用のアーカイブとして鍵かけてます。ごめん。
空席が目立つゲームセンター。携帯ゲーム機の台頭で苦戦している=2日午後、大阪市中央区(竹川禎一郎撮影) 「スペースインベーダー」「プリクラ」など、かつては一大ブームを作ったゲームセンターが苦境に直面している。携帯ゲーム機の急伸と、不況で外出を控えて自宅で過ごす“巣ごもり消費”により、市場規模が減少。業務用ゲーム各社は、センターの従業員教育の強化や、携帯ゲーム機との差別化など対抗策を打ち出している。 大阪・キタの繁華街にあるゲームセンター。かつては夜ともなると、帰宅途中の若いサラリーマンや大学生らの若者でにぎわっていたが、ここ数カ月で客足が急速に遠のいた。 管轄する曽根崎署によると、営業の届け出があったゲームセンターは5年前には53店あったが、今年2月時点で41店に減った。全国的にも、警察庁の調べでは、平成19年は約8600店と前年より約500店減っている。 「最近は常連客ばかりが目につくよ
都市部のアミューズメントパークと呼ばれているようなところではない、町でまだ活きこの子っている小さなゲーセンに行くと、いまだにリッジレーサーやレイブレーサーの筐体が残っていることがあります。しかし、「ああ、まだあるんだ」とは思いつつも、あまり感慨はわきません。それは自分が乗った回数が多いのと、全国にまだ残っている店が多いためかも。 しかし、考えてみればこれってけっこうすごいのですよね。私がゲーセン通いを最もしたのは1995年前後ですが、その頃に『ダライアスII』や『ナイトストライカー』の筐体が置いてあった店に驚いたものです。しかし、これらのリリースは1989年、つまり5年前後しか経っていないわけですよね。しかし、レイブレーサーのリリースは1995年、つまり13年も経っているわけです。 いや、ビートマニアの筐体(特にミニタイプ)は今でも稼働中のところがわりとありますが、あれも1997年くら
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