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京都に関するshig-iのブックマーク (384)

  • 震災伝える記念館、野ざらし状態…存廃の岐路に : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    発生から7日で90年となる北丹後地震を伝える丹後震災記念館(京都府京丹後市峰山町、府指定文化財)が、老朽化で4年以上も閉鎖され、存廃の岐路に立たされている。 所有する京丹後市は「貴重な施設だ」と認めるが、数億円かかる保全費用の捻出が困難なためだ。4日は地元で震災の記憶を伝える催しも行われたが、館は使用されず、野ざらし状態が続く。 記念館は地震から2年後の1929年、府などが義援金の残金を基に建設した。当時は珍しい鉄筋コンクリート2階建てで、壁には洋画家・伊藤 快彦 ( やすひこ ) 氏(故人)が被災直後の様子を描いた3枚の「震災実況模写油絵」が掲げられている。 54年に旧峰山町に無償譲渡後、図書館などとして活用。発生時刻で止まった時計や火災で溶けた硬貨など地震の資料を展示する「丹後震災記念展」の会場としても使われてきた。

    震災伝える記念館、野ざらし状態…存廃の岐路に : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • お知らせ : 京都新聞

    File Not Found. 該当ページが見つかりません。URLをご確認下さい。 お知らせ 事件・事故のジャンルを除き、過去6年分の主な記事は、インターネットの会員制データベース・サービスの「京都新聞データベース plus 日経テレコン」(http://telecom.nikkei.co.jp/public/guide/kyoto/)もしくは「日経テレコン」(社・東京 http://telecom.nikkei.co.jp/)、「ジー・サーチ」(社・東京、 http://www.gsh.co.jp)のいずれでも見ることができます。また、登録したジャンルの記事を毎日、ネット経由で会員に届ける会員制データベース・サービス「スカラコミュニケーションズ」(社・東京、http://scala-com.jp/brain/) も利用できます。閲読はともに有料です。 購読申し込みは下記のページから

  • お知らせ : 京都新聞

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  • 小さな寺の仏像 実は朝鮮半島伝来の貴重な仏像か | NHKニュース

    京都市の小さな寺にある、江戸時代のものと思われていた仏像が、実は、仏教が日に伝来して間もない頃に朝鮮半島で作られた極めて貴重な仏像の可能性が高いことが、大阪大学などによる最新の調査でわかりました。専門家は「こうした貴重な文化財は、ほかにも埋もれている可能性がある」と指摘しています。 この仏像について、大阪大学や東京国立博物館の研究者が改めて鑑定したところ、額に刻まれた模様や装飾品の龍のデザインなどが6世紀から7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像や出土品の特徴と一致していました。さらに、仏像にX線を当てて金属の成分を詳しく調べた結果、銅がおよそ90%、スズがおよそ10%で鉛はほとんど含まれていませんでした。こうした割合は日中国の仏像にはなく、7世紀ごろに朝鮮半島で作られた仏像である可能性が極めて高いことがわかったということです。 この時代は、日に仏教が伝わってまもない時期に当たりますが

    小さな寺の仏像 実は朝鮮半島伝来の貴重な仏像か | NHKニュース
    shig-i
    shig-i 2017/01/08
    “「蛍光X線分析」”
  • 一杯呑むごとに皿を捨てていた…「今昔物語」の舞台、藤原為元邸跡から大量の皿が出土

    京都市中京区にある平安時代の貴族、藤原為元邸跡から酒宴に使われた酒器の小皿などが出土し、民間調査会社「国際文化財」(東京)が20日の地元住民向け説明会で公表した。為元は、平安後期に編集された説話集「今昔物語」で泥棒に入られたことが記述されている。出土した皿は数千枚にもおよび、華やかな藤原一族の暮らしぶりがうかがえる資料になりそうだ。 マンション建設に伴う発掘調査で出土した。 今昔物語では、大みそかに近い日に為元邸が盗みに入られたが、目撃者の話として、泥棒は位の高い女性を人質に取り、馬で逃走したことなどが紹介されている。 後に為元邸は火災に遭いながらも、現在の警察庁長官にあたる検非違使(けびいし)別当の藤原顕長(あきなが)、さらには左大臣、藤原実定(さねさだ)の手に移っていることが古文書などから判明している。 数千枚の小皿が出土したことについて、国際文化財の辻広志主任調査員は「皿の形から為元

    一杯呑むごとに皿を捨てていた…「今昔物語」の舞台、藤原為元邸跡から大量の皿が出土
  • 「琵琶湖の水止めたろか!」を実際にやったらどうなるかシミュレーションしてみた結果

    風霊守 @fffw2 瀬田川洗堰を全閉して「琵琶湖の水止めたろか!」をシミュレーションしてみた結果、沿岸部と水田地帯がことごとく水没して、甚だしい経済損失が発生した… pic.twitter.com/YJ3lTswzsz 2016-10-17 22:40:51

    「琵琶湖の水止めたろか!」を実際にやったらどうなるかシミュレーションしてみた結果
  • 記憶遺産の「東寺百合文書」所蔵、資料館が閉館 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    昨年、世界記憶遺産に登録された「東寺 百合 ( ひゃくごう ) 文書」など数多くの歴史資料を所蔵する京都府立総合資料館(京都市左京区)が13日、53年の歴史に幕を下ろす。 老朽化に伴い、近くに新築された文化施設「京都学・ 歴彩 ( れきさい ) 館」に機能が統合されるためだ。同館は来年度にオープンする予定だが、関係者からは総合資料館の名前が消えることを惜しむ声が上がる。 総合資料館は、地上4階、地下1階の鉄筋コンクリート造り(延べ床面積約1万4000平方メートル)で1963年に開館。一般図書約37万冊のほか、京都にまつわる古文書や行政文書、絵画や工芸品など約35万点を所蔵する国内有数の総合文化施設で、研究や調査などのため年間7~9万人が利用している。 建物は、府立文化芸術会館(上京区)などを手がけた建築家・富家宏泰氏の設計で、「天橋立」を模した中庭は、日の造園学を形成し、京都大名誉教授を

    記憶遺産の「東寺百合文書」所蔵、資料館が閉館 : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)
  • 金閣寺発掘調査で巨大な塔の一部とみられる破片 | NHKニュース

    京都の金閣寺で行われた発掘調査で、室町時代の将軍、足利義満が建てたと伝えられる七重の塔の一部とみられる破片が見つかりました。当時の金閣寺に巨大な塔があったことを示す手がかりだとして注目されています。 青銅で作られ金メッキが施されていたということで、塔の先端に付けられた「九輪」と呼ばれる飾りの一部とみられています。 室町時代の将軍、足利義満は金閣寺の一角に「北山大塔」と呼ばれる七重の塔を建てたと文献に記されていて、研究所は、この塔の一部と考えられるとしています。 また、この塔は京都の相国寺にあった高さ110メートルともされる七重の塔を再建したものと記されていますが、見つかった飾りは直径およそ2メートル40センチと推定され、研究所は元の塔と同じような巨大な塔があったことがうかがえるとしています。 京都市埋蔵文化財研究所の山雅和係長は、「当時の様子を知るための貴重な資料になる」と話しています。

  • お知らせ : 京都新聞

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  • 平安京跡に南海トラフ地震の痕跡 倒壊した築地塀が出土:朝日新聞デジタル

    平安京の皇嘉門(こうかもん)大路跡(京都市下京区)で、大量の瓦片が2列に並んだ状態で見つかった。京都市埋蔵文化財研究所は、9世紀に築かれた築地塀(ついじべい)が南海トラフを震源とする887年の仁和(にんな)地震などで倒壊した跡とみている。地震の痕跡が明確にわかる平安京の遺構は珍しいという。 京都市中央卸売市場の整備に伴う発掘調査で、皇嘉門大路東側から盛り土が幅約3メートル、長さ約24メートルにわたり出土。塀の両側の側溝跡で、平安時代初期の9世紀のものとみられる瓦片の列が見つかった。 側溝に堆積(たいせき)していた土からは、地震の際に起きる液状化現象に似た痕跡が確認された。山崎断層を震源地に868年に起きた播磨国地震(平安京で推定震度4)や仁和地震(同震度5強)など、9世紀後半~10世紀に相次いだ地震で倒壊したとみられるという。がれきをそのまま埋めたため、良好な状態で残されたらしい。 現地説

    平安京跡に南海トラフ地震の痕跡 倒壊した築地塀が出土:朝日新聞デジタル
    shig-i
    shig-i 2016/04/30
    仁和地震
  • 小さな寺の涅槃図、平安の作だった 重文指定へ 京都:朝日新聞デジタル

    京都の小さな町寺に伝わる「仏涅槃図(ぶつねはんず)」が、国の重要文化財に指定されることになった。近年まで「現役」で法要に使われていたが、数少ない平安時代後期の作とわかったためだ。激しい傷みを格修理するめどが立ち、関係者は喜びをかみしめている。 西念寺(さいねんじ、京都市下京区)の仏涅槃図(縦172・5センチ、横206センチ)は入滅する釈迦を弟子や動物が取り囲み、嘆き悲しむ様子を描く。2009年まで毎年2月の涅槃会の法要に掛けられていたが、同年8月の学術調査で評価が一変した。 釈迦が横たわる台の足側の側面が描かれ、衣部分の截金(きりかね)文様の滑らかな曲線や全体の色調の柔らかさなどが平安仏画の特徴を備えていた。高野山金剛峯寺の国宝「応徳涅槃図」(1086年)や東京国立博物館所蔵の重文の仏涅槃図(12世紀)にも匹敵する涅槃図と判明。調査した京都国立博物館の大原嘉豊(よしとよ)・保存修理指導室

    小さな寺の涅槃図、平安の作だった 重文指定へ 京都:朝日新聞デジタル
  • 平安京オーバーレイマップ

    このページは、京都市平安京創生館(京都アスニー1階)で公開されている「平安京跡イメージマップ」を、現在の地図上に配置したものです。このマップは、同館に常設展示されている平安京復元模型が現在の京都とどのように重なっているかを示したものです。 凡例にある※ご注意を確認の上、ご覧ください。利用にあたっては個人の責任でご使用下さい。 表示したプロット情報は、平安京および京都の歴史文化を学ぶために、大学および公共機関で作成され、すでにWEB公開されているものを扱っています。 地図画面の右上にあるスライダーを左右に移動させると、平安京マップの透明度を任意に変更できます。

  • お知らせ : 京都新聞

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    shig-i
    shig-i 2015/12/25
    待賢門院璋子、崇徳天皇
  • 希少「はね」字の和同開珎発見 京都・長岡京跡で3枚:話題のニュース:中日新聞(CHUNICHI Web)

  • 一大勢力、出雲氏の建物跡か 京都・上京遺跡から出土(1/2ページ)

    飛鳥時代から奈良時代にかけて京都市北部の賀茂川西岸で勢力を誇った出雲氏の屋敷とみられる建物跡が、京都市の上京遺跡から出土したことが11日、分かった。出雲氏にまつわる格的な建物跡が複数見つかるのは珍しく、調査を行った民間の発掘団体「古代文化調査会」は、遷都以前の京都の歴史を知る上で貴重な資料になるとみている。 調査地は京都市上京区にある上御霊(かみごりょう)神社北西隣のマンション建設予定地。約300平方メートルを調べた結果、北西隅と南東隅から一辺約60~70センチの方形の柱穴が計5カ所出土した。ともに出た土器などから、出雲氏が全盛を誇った7世紀後半に建てられたとみている。 出雲氏は、弥生時代に島根県の出雲地方から移住してきたとされ、これまで同神社の境内などから、出雲氏が創建した氏寺(うじでら)・出雲寺のものとされる奈良時代前期の瓦片が多数出土している。

    一大勢力、出雲氏の建物跡か 京都・上京遺跡から出土(1/2ページ)
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  • 文化財に液体かけられる被害 京都・二条城や奈良の寺社:朝日新聞デジタル

    奈良と京都の寺社などで油のような液体がかけられる被害が相次いでいる。7日には、京都市の世界遺産・二条城でも同様の被害があったことが分かった。奈良県警が文化財保護法違反などの疑いで捜査しており、各地の寺社や自治体は警戒を強めている。 二条城の被害は、京都府教育委員会や京都市元離宮二条城事務所が7日、取材に対して明らかにした。国宝・二の丸御殿で2月12日、見つかったという。 二の丸御殿は建物6棟が廊下でつながっており、うち最大の「遠侍(とおざむらい)」▽大名が老中職とあいさつを交わした「式台」▽将軍が諸大名と対面した「大広間」▽将軍と親藩、譜代大名が内々に対面した「黒書院」――の4棟の廊下やふすま、障子、金具など計19カ所に油のような液体をかけられた痕跡があったという。 二の丸御殿は1867(慶応3)年、江戸幕府の最後の15代将軍・徳川慶喜が大政奉還を表明した場所として知られている。武家風書院

    文化財に液体かけられる被害 京都・二条城や奈良の寺社:朝日新聞デジタル
  • ブラタモリ出演の京都高低差崖会が案内する「御土居」ツアー タモリさんが歩いた道を巡る - はてなニュース

    NHK総合「ブラタモリ」の京都編で取り上げられた御土居を巡るツアーが、4月に開催されます。ガイドを務めるのは、タモリさんの案内役として番組にも出演した、京都高低差崖会の崖長・梅林秀行さん。タモリさんと歩いた道や御土居を、収録当時の思い出話も交えつつ散策するとしています。 ▽ ブラタモリ記念:4月・御土居ツアーを開催! - 京都高低差崖会 「ブラタモリ」は、4月からのレギュラー番組復活を前に、何度も衰退の危機に見舞われたという京都の“復活巨大プロジェクト”に迫る特別編を放送しました。番組内に登場した御土居は、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉による“京都大改造”の総仕上げとして作られた土塁。高さ約5mの巨大な城壁ともいえる御土居は、全長約22.5kmにわたって都をぐるりと囲んでいました。 御土居ツアーは、ブラタモリでの放送を記念して開催。普段は入れない場所にある御土居も見学できるそうです。ガイドを

    ブラタモリ出演の京都高低差崖会が案内する「御土居」ツアー タモリさんが歩いた道を巡る - はてなニュース
  • 平安貴族別荘に土塁/宇治「源平合戦影響か」 : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    shig-i
    shig-i 2015/03/19
    基房の松殿
  • 遺跡地図にも記載された京都の「古墳」、実は… : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

    京都府宇治市は17日、同市菟道池山の「池山古墳」を発掘調査した結果、古墳の痕跡は見つからなかったと発表した。 幅広い時代の土器の破片などが出土しており、長年、墓地として利用されたらしい。市は「古墳だった可能性は低い」として、遺跡の名称変更を府教委に提案する方針。 「池山古墳」は直径44メートル、高さ5・5メートルの円丘。4世紀末~5世紀初め頃の円墳か前方後円墳と考えられていた。府教委が1972年に作成した「府遺跡地図」にも古墳と記載されている。 市が一帯約650平方メートルを発掘調査したところ、頂上部分は江戸時代に約12メートル四方の平地を造成していたことが判明。当時の瓦も見つかった。古墳の存在を示す葺(ふ)き石などは、全く見つからなかった。 一方、古墳時代後期や飛鳥時代の須恵器、鎌倉・室町時代の土師器(はじき)の破片など、様々な時代の遺物が多数出土。市歴史まちづくり推進課の荒川史主査は「

    遺跡地図にも記載された京都の「古墳」、実は… : カルチャー : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)