Stanfordの政治学出身であるが、その後カメラマンとなり、Appleを取材に行ったところをジョブズたんに見込まれたらしい。
ジョブズよ、なぜ、語ってくれていなかったのか・・・ ジョブズは、2011年に亡くなっている。私が取材してきた「新版画」とのつながりについて、本人が直接話したり、書き残したりしたものは見つかっていなかった。 「ジョブズが直接、新版画に言及しているカギカッコがないことが最大の弱点でしたね」 これは、英語番組を一緒に制作した同僚の言葉だった。マッキントッシュの開発チームのメンバーやアップル社の幹部でさえ、誰も知らない。そう思わざるをえないほど、新版画とジョブズとのつながりは極めてプライベートで、ベールに包まれていた。 けれど、“状況証拠”はある。ならば、それを積み上げていくしかない。アメリカ取材に必ず行く。ビル・フェルナンデスさんがいるニューメキシコ州のアルバカーキがロケの最終目的地だ。50分の日本語番組は、きっとできる。 前年のリポートから番組まで一緒に仕事をしてきた荒木真登あらきまさとディレ
やりたいことがあっても、 壁にぶつかり、突き返されてしまう。 そんな悩みを抱えたことは、誰しも、一度や二度ではないと思う。 記者歴30年超の私もしかり。2015年から4年かけて調べていた、スティーブ・ジョブズと「新版画しんはんが」との結びつきについて、アメリカ取材を目指して番組提案をするも、採用されなかった。 しかも、次なる機会をうかがっているうちに、世界はコロナ禍に突入。齢よわい五十六。定年まであと3年半、もう残された時間は多くない。でも、あきらめてたまるもんですか。 前編はこちら アップル初期のメンバーも知らない2020年3月11日、WHO・世界保健機関は世界のコロナ感染症の流行を「パンデミック」と認定。ニュースもコロナ関連一色になりつつあった。アメリカ取材に行ける状況ではなかったが、何もしないわけにはいかなかった。 関係者の連絡先を見つけては、「ジョブズ」と「新版画」との結びつきを問
iPhoneやマッキントッシュなど、革命的な製品を次々と生み出したスティーブ・ジョブズの「美の原点」に、彼が10代の頃に親友の家で目にした日本の美術品「新版画」があったことは、去年7月のWEB特集で紹介した。 その後、ジョブズの日本での足跡をさらに取材すると、彼が焼き物に大変な興味を持ち、ギャラリーや窯元をよく訪れていたことが分かった。 ジョブズは、焼き物から何を感じ取っていたのか、どんな影響を受けていたのか。 (国際放送局WorldNews部 佐伯健太郎) 定休日の画廊のブラインドの隙間から、内部をうかがう4つの目…。 1996年4月10日、水曜日の昼下がり。 京都の昔ながらの静かなたたずまいが残る東山区の骨とう街。 たまたま2階の住まいから降りてきた店の人が外国人の男女に気付き、中に招き入れた。 すると、男性は入ってくるなり「コレとコレとアレ」と、いきなり3点の焼き物を指さした。 この
“シリコンバレーを作った人物の1人”と称され、故スティーブ・ジョブズ氏が頼りにした人物がいる。 レジス・マッケンナ氏。 半導体関連の企業で働いたあと、70年代にみずからのマーケティング会社を設立した、マーケティングのプロだ。 あるときマッケンナ氏は、うわさを聞きつけたジョブズ氏から電話でコンタクトを受け、ジョブズ氏、そしてエンジニアのスティーブ・ウォズニアック氏との打ち合わせにのぞんだ。 相談は「アップルII」(1977年発売)というコンピューターのマーケティングについて。 ジョブズ氏らは、製品についての記事を雑誌に載せる方針を明かした。 マッケンナ氏は、その内容があまりに専門的で、一般の消費者には受け入れられないと感じ、「市場を広げたいなら、自分と同じようなタイプの人たちに発信するのではだめだ。記事は書き直すべきだ」と助言した。 ところが2人はその意見を気に入らず、部屋を出ていってしまっ
ITの傑作商品を次々と開発して世界を変えたスティーブ・ジョブズ。惜しまれたその死から、ことし10月で10年になる。彼が生み出した製品は、いまも、その機能性と共に、美しく斬新なデザインでも世界を魅了している。 ジョブズの美的センスには日本文化の禅が影響を与えたことが知られているが、実は、禅に触れる以前、子どもの頃に見た日本の「新版画」、特に川瀬巴水(かわせはすい)から大きな影響を受けていた。ジョブズが巴水から学んだシンプルな美への探求をたどる。 文末には、ジョブズが購入した新版画作品のリストも記した。 (国際放送局・佐伯健太郎) スティーブ・ジョブズが川瀬巴水の作品と最初に出会ったのは、彼がまだ10代の頃に知り合ったカリフォルニア州サニーベールに住む親友ビル・フェルナンデスの自宅だった。 2人は互いの家を行き来し、電子機器をいじって遊んでいた。ビルは後年、アップル最初のフルタイムの社員になる
Drawing from some of the most pivotal points in his life, Steve Jobs, chief executive officer and co-founder of Apple Computer and of Pixar Animation Studios, urged graduates to pursue their dreams and see the opportunities in life's setbacks -- including death itself -- at the university's 114th Commencement on June 12, 2005. Transcript of Steve Jobs' address: http://news-service.stanford.edu/ne
故スティーブ・ジョブズの誕生日に合わせるようにアップル社は同社の新本社の名前「Apple Park」を発表した。 そしてその少し前、日本のSEIKOとナノ・ユニバースは1982年に発表されたロングセラーの腕時計「セイコー・シャリオ」の復刻を発表。3月から本数限定での発売となる。 もう35年も前の時計ではあるが、実は若い人たちの目にも触れている可能性が高い。 なぜならウォルター・アイザックソンによる故スティーブ・ジョブズの評伝のハードカバー版の背表紙でジョブズが身につけているのがまさにこの時計だからだ。この時計はジョブズにとってかなりお気に入りだったようでGoogleで「Steve Jobs 1983」、「Steve Jobs 1984」といったキーワードで検索をすると、かなりの確率でこの時計を身につけている写真を見つけることができる。実際にジョブズの人生におけるターニングポイントでもある1
ZEPPELIN ドイツ腕時計ブランドの"ZEPPELIN"とのコラボレーションウォッチパートナ... 詳細を見る
By Christine ローマカトリック教の聖職者であり、カリグラフィーの権威としてMacのタイポグラフィにも大きな影響を与えたロバート・パラディーノ神父が、2016年2月26日にアメリカ・オレゴン州の自宅で死去しました。83歳でした。 Rev. Robert Palladino, Scribe Who Shaped Apple’s Fonts, Dies at 83 - The New York Times http://www.nytimes.com/2016/03/06/arts/design/rev-robert-palladino-83-scribe-who-shaped-apples-fonts.html RIP Father Palladino, Master of Letter Forms | Sallyportal | Reed Magazine http://www.
スティーブ・ジョブズといえば、言わずと知れたiPhoneの生みの親ですが、その短い生涯のなかでAppleを去った事実があることはご存知でしょうか?その苦い過去の事を貴重な体験だったと語るなど、iPhoneが成功した背景には様々な挫折があったことはファンの間では有名な話です。 今回、ジョブズがAppleを離れている間に創業したNeXT Computer社において、ワークステーション「NeXTcube」を発表するフル動画が見つかったと、ニュースメディア『BGR』が伝えています。 若かりし頃のジョブズ、やはりそのプレゼンは天才的 スティーブ・ジョブズは、自らがAppleに招き入れたジョン・スカリーによって同社を追放されてしまいますが、その後立ち上げたNeXT Computer社においては、実に自由な創作活動を行っていました。 その1つとして、1988年から1993年の間に開発・発売されたワークス
1995年に記録されたスティーブ・ジョブズの幻のインタビュー動画が発見されました。Appleに復帰する前年で、まだWebが本格的に利用されていない時期に、ジョブズはネット社会の到来を的確に予言。Web上によってパソコンがコミュニケーションの手段となること、さらにeコマースの隆盛、スタートアップ企業の出現なども見通しています。(この動画は2013年に公開されたものです) 【スピーカー】 ITジャーナリスト ロバート・クリンジリー 氏 アップル社創業者 スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs) 氏 【動画もぜひご覧ください!】 映画「スティーブ・ジョブズ 1995~失われたインタビュー~ 」特別映像 1995年、当時40歳のスティーブ・ジョブズへ行われた幻のインタビュー ロバート・クリンジリー氏(以下、クリンジリー):ロバート・クリンジリーです。テレビシリーズ『Nerd(オタク)た
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs モナ・シンプソン (Mona Simpson) 2011年10月30日 私は母子家庭の一人っ子として育てられました。 貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、 父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。 裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。 のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、 だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。 私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。 二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。 25歳になってその人に出会いました。 それが兄でし
なんかもうこうなるのが痛いほど分かるんですよね。 出版社に片足を突っ込んでお仕事をさせてもらっているデザイナーとしては、「スティーブ・ジョブズ」日本語版のデザインを見ながら、営業担当、編集、出版局の上層部の面々、デザイナーが悩んで出した結論を、ああ、こうなったのね。と深いため息と共に見ていたわけです。 Apple信者はどんなんだって買うんだからもうそっちには向いてないんですよね。問題はそこではない広い層を取り込めるかどうか。を試行錯誤した結果なんだと思います。 でもね、Steve Jobsが好きだった人ほど納得の行かないデザインになっているのも事実で、 Isaacson said he warned Jobs there would be things he would not like in the book. But the only input the Apple boss aske
ジョブズ氏が好きだったすしを握る高橋一郎さん。カウンターの一番奥が1人で来た時の定位置だった=米カリフォルニア州パロアルトの陣匠で、堀山明子撮影 米アップルの共同創業者、故スティーブ・ジョブズ氏(5日死去、享年56)が死期を予感し、ごく親しい友人を招いて“お別れ会”を繰り返したすし屋が米カリフォルニア州シリコンバレーのスタンフォード大近くにある。2人のすし職人、金子典民さん(46)と高橋一郎さん(39)が共同経営する「陣匠(じんしょう)だ。高橋さんが取材に応じ「決して泣き言を言わない人だった」と病と闘う姿を語った。すし職人が見たジョブズ氏とは。【パロアルト(米カリフォルニア州)で堀山明子】 「この巻物のトロ、何時にたたいた?」 08年夏のランチタイム。1人でふらりと来てカウンターに座った男性客は、やたらと質問が多かった。「このサバはどこから来たの?」「冷蔵庫の魚は、カウンターのと同じもの?
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