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映画とロシアに関するskam666のブックマーク (9)

  • 反プーチンのロシア人監督が危険を冒して迫った北朝鮮の実像~『太陽の下でー真実の北朝鮮ー』 -- 朝日新聞GLOBE

    © VERTOV SIA,VERTOV REAL CINEMA OOO,HYPERMARKET FILM s.r.o.ČESKÁ TELEVIZE,SAXONIA ENTERTAINMENT GMBH,MITTELDEUTSCHER RUNDFUNK 2015 シネマニア・リポート Cinemania Report [#26] 藤えりか 北朝鮮でドキュメンタリーをいわば「撮り逃げ」する――。あの国のありようを考えれば、それがいかに大変なことか想像してあまりある。21日に公開のチェコ・ロシアドイツ・ラトビア・北朝鮮ドキュメンタリー『太陽の下で―真実の北朝鮮―』(原題:В лучах солнца/ 英題: Under the Sun)を撮ったロシア人監督ヴィタリー・マンスキー(53)に東京でインタビューし、プーチン体制への批判を背景にした渾身の撮影について聞いた。 『太陽の下で―真実の北朝

    反プーチンのロシア人監督が危険を冒して迫った北朝鮮の実像~『太陽の下でー真実の北朝鮮ー』 -- 朝日新聞GLOBE
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    skam666 2017/02/03
    “ドキュメンタリー『太陽の下で―真実の北朝鮮―』(原題:В лучах солнца/英題:Under the Sun)を撮ったロシア人監督ヴィタリー・マンスキー(53)に東京でインタビュー”
  • ソ連発のカルトSF『不思議惑星キン・ザ・ザ』、デジタル・リマスター版で15年ぶりに劇場公開へ

    1986年に発表されたソ連発のSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』のデジタル・リマスター版が、8月20日より新宿シネマカリテほかにて公開されることが決定した。 作は、思いがけず“空間移動装置”のボタンを押してしまい、キン・ザ・ザ星雲の惑星プリュクにワープしてしまった男2人が、“クー”としか言わない異星人たちにダマされながらも、地球に帰ろうと奮闘する姿を描いたSF映画。1986年の公開当時、国ソ連では1570万人の動員を記録し、日では、1989年に初公開され、2001年にはリバイバル公開を果たした。 メガホンを取ったのは、『私はモスクワを歩く』『アフォーニャ』などで知られるロシア映画監督ゲオルキー・ダネリア。音楽をグルジア人作曲家のギア・カンチェリが手がけている。今回のリマスター版での公開は、15年ぶりの劇場公開となる。 ■公開情報 『不思議惑星キン・ザ・ザ』≪デジタル・リマスター版≫

    ソ連発のカルトSF『不思議惑星キン・ザ・ザ』、デジタル・リマスター版で15年ぶりに劇場公開へ
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    skam666 2016/05/26
    “1986年に発表されたソ連発のSF映画『不思議惑星キン・ザ・ザ』のデジタル・リマスター版が、8月20日より新宿シネマカリテほかにて公開”日時:2016/8/20(土)~ 場所:新宿区新宿3−37−12新宿NOWAビルB1Fシネマカリテ
  • 1930年代のソビエトで映画の効果音に使われていたシンセサイザーとその斬新な再生方法 | soundrope

    映画には欠かすことのできない効果音。現代の映画には、シンセサイザーから作られた効果音が多用されていますが、1930年代にはこのサウンドを使用したトーキー映画がすでに存在していました。まだ音声を合成する技術が確立されていなかった時代に、これを可能にしたシンセの斬新な手法とは?この開発に関わった3人の人物が、海外メディアの「Dangerous Minds」で紹介されています。 トーキー映画をヒントにしたシンセサウンド 1929年にソビエト初のトーキー(音声が同期した映画)「The Five Year Plan for Great Works」が製作されました。このトーキーの音と映像のシンクロの可能性は作曲家のArseny Avraamov、アニメーターのMikhail Tsihanovsk、そしてエンジニアのEvgeny Sholpoの3人の先駆的人物に影響を与えます。彼らは光学式のサウンドト

    1930年代のソビエトで映画の効果音に使われていたシンセサイザーとその斬新な再生方法 | soundrope
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    skam666 2015/06/11
    “Variophoneは「オーナメンタルサウンド」と呼ばれるシンセサウンドを作るための紙製のディスクをカッティングして、これをセットして回転させることで、連続的にシンセサウンドを作り出すことができた”
  • “記憶”の国家発注 | ロシアNOW

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    skam666 2015/05/12
    “第二次世界大戦(大祖国戦争)(中略)に関する考え方は変化してきた。そして、映画はその変遷を反映している――たいていは、国家がイメージを改変すべく介入することで”
  • 禁じられた映画 | ロシアNOW

    ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した最初の映画「僕の村は戦場だった」は、ソ連の映画館の朝の部でしか上映されず、児童映画扱いされていた。=写真提供:kinopoisk.ru ソ連の映画監督は、自分の考えを伝えることができていたのだろうか。それともソ連のシステムをただ反映させていただけなのだろうか。過去の例をたどれば、監督と検閲の相互関係を知ることができる。 宗教はタブー アンドレイ・タルコフスキー監督は、ソ連時代に5作品しか製作できなかった。1作品の制作に平均1年かかるとして、タルコフスキー監督は16年間無職だったことになる。ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した最初の映画「僕の村は戦場だった」は、ソ連の映画館の朝の部でしか上映されず、児童映画扱いされていた。この映画が西側で反戦映画と解釈されたことは、ソ連政府を困惑させた。冷戦とキューバ危機の時代、ソ連の外交政策に反した作品であった。 タ

    禁じられた映画 | ロシアNOW
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    skam666 2014/10/17
    "検閲は消えずに復活して(略)今は『公開承認書の非発給』と言う(略)新しい法律は、映画の一般公開を決める権利を役人に与えている。禁止されている表現を使用した作品を制作することに、国は罰金を科そうとしている"
  • アレクセイ・ゲルマンインタヴュー『もう、うんざりだ』(インタビュー翻訳記事)

    ロシアの今をチェマダン=トランクのように詰め込んだ、若手研究者によるオンライン雑誌 chemodan.jp 今回、工藤なおさんに、昨年、惜しまれつつも逝去したアレクセイ・ゲルマン監督のインタビュー記事の翻訳を寄せていただきました。なお、この夏までペテルブルクに留学されていた工藤さんは、ご自身でもたいへん充実したブログを開設してらっしゃいます。是非、そちらもご覧ください: http://pokayanie.blogspot.jp/ −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 【まえがき】 以下に訳出したのは、『映画芸術』誌2013年の第3号(ゲルマン追悼号)に短縮して掲載されたアレクセイ・ゲルマン監督のインタヴュー記事の全訳である〔初出は同誌1996年第10号。ロシア語原文は以下のサイトをご参照ください:http://kinoart.ru/archive/2013/03/aleksej-g

    アレクセイ・ゲルマンインタヴュー『もう、うんざりだ』(インタビュー翻訳記事)
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    skam666 2014/09/14
    “『映画芸術』誌2013年の第3号(ゲルマン追悼号)に短縮して掲載されたアレクセイ・ゲルマン監督のインタヴュー記事の全訳”
  • ソ連映画のヌードと官能シーン | ロシアNOW

    1924年に『革命的プロレタリアートのための12の性的戒律』というが出版され、一夫多制や性的過剰の慣習が非難された。それ以来、ソ連の検閲は、あらゆる形態の芸術、特に映画におけるセックスを厳重に監視するようになった。ソ連の文化では、まるでセックスが存在しないかのように、セックスを表現したりそれに言及しないことが適正であるとされた。「ソビエト連邦にはセックスは存在しない」という有名な表現がこの概念をきわめてよく言い表しているが、これはエカチェリーナ・フルツェワ文化大臣の発言として誤って伝えられているものだ。 無声映画でも表現豊かなシーン  ソ連映画における最初のヌードシーンは、最終的にはカットされた。それはアレクサンドル・ドブジェンコ監督による無声映画、『地球』の1シーンである。裕福な農家の息子によって殺害された社会主義農業労働者の婚約者は、放映時間にして1分間以上、彼の死を裸で熱烈に悼ん

    ソ連映画のヌードと官能シーン | ロシアNOW
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    skam666 2014/07/07
    “1930年代後半から1960年代にかけてのソ連映画は(略)米国映画とは対照的に、はるかにヌードの露出度が高かった。ソ連の検閲者にとって「官能的」の定義は「ヌード」ではなく「性的行為に直接的に関連する内容」”
  • ロシアのカルト映画TOP5 | ロシアNOW

    1. 『カーニバルの夜』(コメディーミュージカル、1956年、4,900万人の観客動員数) 文化会館のスタッフが新年パーティーの準備をする中、もったいぶった老年の官僚オグルツォフはパーティーを退屈な講義に変えて、楽しみを台無しにしようとする。 今ならこの筋書はありきたりに見えるが、1956年当時、これは画期的とみなされた。 3年前のスターリンの死後、「雪解け」として知られる政治的寛容の時代がやって来た。 映画監督たちには、ようやくある程度の表現の自由が許されるようになった。『カーニバルの夜』は、このような新たな時代の到来を告げる作品の一つだった。 楽しみは常にロシア気質のきわめて重要な一部であったため、  オグルツォフは古い時代の否定的なシンボルになった。 ソビエト映画の観客は、1930年代以来初めてジャズバンドを耳にすることができた。40年代と50年代初めには、ジャズは公式に「有害な」音

    ロシアのカルト映画TOP5 | ロシアNOW
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    skam666 2014/03/29
    1『カーニバルの夜』(コメディーミュージカル'56年)2『砂漠の白い太陽』(東部劇'70年)3『イヴァン・ヴァシリーヴィチは職業を変える』(コメディ,SF'73年)4『連絡場所は変更不可』(探偵物'79年)5『ブラート(兄弟)』(犯罪物'97年)
  • ロシア映画のニュートレンド | ロシアNOW

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    skam666 2013/07/08
    “ロシアの伝記映画には、尊敬される有名人になるには国家と手を組まねばならないという別のモラルが見え隠れしている”
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