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民族と歴史に関するskam666のブックマーク (68)

  • 日本vsアイヌ…という単純な話ではない?「シャクシャインの戦い」について解説 - 草の実堂

    江戸時代 日vsアイヌ…という単純な話ではない?「シャクシャインの戦い」について解説 江戸時代 アイヌ, 北海道, 松前藩 コメント: 1 投稿者: 草の実堂編集部 2022/2/10 現在の北海道が日人による統治を迎えたのは日歴史の中で見れば比較的最近のことで、1885年(明治18年)のことである。 それまでは、日人(和人)は「松前藩」にとどまり、また外の藩からは交易という形で現地の人々「アイヌ」と関わりを持ってきた。しかし、交易は双方の利害に関わることであり、片方が損失を被るような交易はもう一方への敵対心を煽ることになる。そしてそれがこじれれば戦争に至ることもある。 比較的文明の進んだ国が、自己の勢力下にない場所で現地住民と「交易」という名の不平等な取引を持ちかけ、最終的にその地を支配するというやり方は人類の長い歴史においていくらでもその事例が挙げられる。 今回は、北海道に住

    日本vsアイヌ…という単純な話ではない?「シャクシャインの戦い」について解説 - 草の実堂
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    skam666 2022/02/12
    "シャクシャインやメナシクルと関係が悪かった部族も多く、中立を表明し蜂起に参加しなかった部族もいた。それどころか松前藩の味方として戦闘に加わるアイヌもおり、日本対アイヌという単純な図式とはならなかった"
  • Afrohairarchive.com

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    skam666 2021/10/27
    “We begin our journey by exploring the rich traditions and cultures of Africa. Once you have taken that first step you realise that the more you discover, the more there is to be discovered.”
  • 渡来人、四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ 日経サイエンス - 日本経済新聞

    私たち日人は、縄文人の子孫が大陸から来た渡来人と混血することで生まれた。現代人のゲノム(全遺伝情報)を解析したところ、47都道府県で縄文人由来と渡来人由来のゲノム比率が異なることがわかった。弥生時代に起こった混血の痕跡は今も残っているようだ。東京大学の大橋順教授らは、ヤフーが2020年まで実施していた遺伝子検査サービスに集まったデータのうち、許諾の得られたものを解析した。1都道府県あたり50

    渡来人、四国に多かった? ゲノムが明かす日本人ルーツ 日経サイエンス - 日本経済新聞
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    skam666 2021/06/29
    “九州北部では上陸後も渡来人の人口があまり増えず、むしろ四国や近畿などの地域で人口が拡大したのではないか”
  • 【日本語の歴史】アイヌ語だけではない日本先住民の言語史【縄文語→弥生語】

    古代日語といわゆる「縄文語」の実態に関する世界一詳しい動画です

    【日本語の歴史】アイヌ語だけではない日本先住民の言語史【縄文語→弥生語】
  • 1000年前のアイヌ語を再現する (Pre-)Proto-Ainu language

    アイヌ語の歴史の深層です 関連 千島アイヌ語 https://www.youtube.com/watch?v=zqVTzhzMTvg

    1000年前のアイヌ語を再現する (Pre-)Proto-Ainu language
  • 幻の「千島アイヌ語」を復元する [Kuril Ainu Language]

    伝説のコロボックルの言語の復活です 参考 州アイヌ語:https://www.youtube.com/watch?v=4xinneD9hjY

    幻の「千島アイヌ語」を復元する [Kuril Ainu Language]
  • 幻の「本州アイヌ語」を復元する [Emishi/Honshu Ainu Language]

    失われたエミシの言語の世界をのぞいてみましょう 参考 千島アイヌ語 https://www.youtube.com/watch?v=zqVTzhzMTvg 参考 アイヌ祖語 https://www.youtube.com/watch?v=OTetvScvzos 参考 隼人語 https://www.youtube.com/watch?v=DUUZrCk8864 追記メモ アイヌ語で「貝」は sey だが、伊豆大島方言で「カメノテ」を「セイ」と呼ぶらしい。非常に古い借用かもしれない。

    幻の「本州アイヌ語」を復元する [Emishi/Honshu Ainu Language]
  • 「明治ごろアイヌの文化の話」その1 蝦夷史 | 小中興昔話

    昔の蝦夷人を、今はアイヌと言う。 その種族は全身毛深いが故に、また毛人とも称する。風俗は素直で礼儀に厚い。 男も女も髪をかぶって、耳にわっかを貫いている。男はひげが美しい。木の皮を使って織った衣を左前に合わせて着ている。外に出るときにもくつをはかない。雨の日にも傘を使わない。 常に弓矢を携えて、手槍を持ち、腰に小刀を帯びている。 女は布を使って額の上を包み、胸に「シドキ」という鏡をかけている。 人のとなった者は、口の端と手の甲に、刺青をする。 肌を出すことを恥じて、水を渡るときにさえ、衣服のすそを持ち上げない。 子供に乳を飲ませるときも、布をたらして上より覆う。 婦人の役割は、薪を取り、「アヅシ」を織り、鳥・獣を飼うことをつとめとして、夫の漁猟を助けている者もある。 アイヌの性質はおおむねゆたかで、鋭くはないけれども、いつわり飾ることがないのは、当に愛すべきである。 名を重んじることも

    「明治ごろアイヌの文化の話」その1 蝦夷史 | 小中興昔話
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    skam666 2018/12/20
    “明治の教科書から、アイヌの文化風俗を記述した文。 明治25年出版 中学読本首巻より”
  • 「江戸時代の人が尋ねたアイヌの話」その1 小島紀成 | 小中興昔話

    文化五年(1820年代)卯月三日、船出する。 目覚めて見れば、尻屋崎(しりやざき)も過ぎた。 四日、エリモの沖に来た。鯨が多い。ここにもあそこにも、背中をもたげて潮を吹く。 この島では鯨を捕らない。だからであろう、船近くに出てきても、船人も驚かない。 八日、朝霧立ち込める山を見れば、雪がとても深く、風は冬よりも寒くて、波が非常に高い。人々は起き上がりもしない。 九日、夜が明けて、風は止んだものの、舟はなおも揺れる。事も取らずに皆寝る。病に伏した様な人よりも、様子が劣っている。 十日、島人が魚をとろうと、小舟をこぎ出して来た。その姿かたちを見れば、人ではありながら怪しいこと限りない。 頭はおどろの如く乱れ、眉の分け目もなくて、顔は恐ろしげである上、さか髭がとても汚く生えて、ただ目ばかりが見えている。 手も足も熊のような毛が生えていて、木の皮の衣を着ているものもある。獣の皮を着ているものもあ

    「江戸時代の人が尋ねたアイヌの話」その1 小島紀成 | 小中興昔話
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    skam666 2018/12/20
    “蝦夷日記 著者、児島紀成”
  • 中国の歴史書に出てくる周辺謎民族好きな奴wwwwwww : ガバガバ歴史速報

    ガバガバ歴史速報 主に歴史関係のスレをまとめて紹介するまとめサイトです。 主なカテゴリ:なんJ世界史部、なんJ史部、なんJ中国支部、なんJ生物部 主なタグ:戦国時代、織田信長、豊臣秀吉、元寇、江戸時代、幕末・明治維新、三国志、楚漢戦争、キングダム、古代ギリシャ、古代エジプト、太平洋戦争、第二次世界大戦他

    中国の歴史書に出てくる周辺謎民族好きな奴wwwwwww : ガバガバ歴史速報
  • 北海道異体文字 - Wikipedia

    発見と研究[編集] 東京人類学会の会員であった荘司平吉は北海道においてアイヌの民具などを収集していたが、その中には文字の記された古器物が存在していた。1886年(明治19年)9月6日の『陸奥新報』と同月12日の『奥羽日日新聞』にその一部である樹皮と帯が紹介され、榎武揚が千年ほど前に蝦夷が用いた文字であろうと鑑定している。また同年12月の第25回東京人類学会では、文字の記された古器物として獣皮・六角四面の石片・和紙・鞘袋が荘司により出品された。 人類学者の坪井正五郎は、翌1887年(明治20年)2月の『東京人類学会報告』第12号において「コロボックル北海道に住みしなるべし」を発表し、自身のコロボックル説に基づき荘司の収集した古器物に見られる「異様の文字」について、後述する手宮洞窟の彫刻や忍路環状列石と同様にコロポックルのものであるとした。 また坪井は同年8月の『東京人類学会雑誌』第18号に

    北海道異体文字 - Wikipedia
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    skam666 2018/04/15
    “1886年(明治19年)頃に北海道で発見された文字。アイノモジ、アイヌ文字とも呼ばれる”
  • アイヌへの最古の公式文書発見|NHK 北海道のニュース

    今から240年前の江戸時代に松前藩からアイヌの有力者に宛てて出された公式文書がロシアで見つかり、調査に参加した専門家は「公式文書の原としてはもっとも古いものとみられ、貴重な発見だ」と話しています。 この文書は東京大学史料編纂所がロシアのサンクトペテルブルクで行った調査で見つかりました。 文書は240年前の1778年、安永7年7月に松前藩の「蝦夷地奉行」から現在の根室市にあった「ノッカマップ」というアイヌの集落の有力者、「ションコ」に宛てて出されました。 文書では「ションコ」に対して、アイヌの人と和人が交易などを行う拠点施設の「運上小家」の管理を徹底することや、和人が海で遭難したときは手当てをした上で、周辺のアイヌの集落と協力して松前まで送り届けることなどを求めています。 北海道博物館によりますと、松前藩の文書は、幕末の混乱などで多くが失われていて、今回の文書は松前藩からアイヌの有力者に宛

    アイヌへの最古の公式文書発見|NHK 北海道のニュース
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    skam666 2018/01/08
    “文書は240年前の1778年、安永7年7月に松前藩の「蝦夷地奉行」から現在の根室市にあった「ノッカマップ」というアイヌの集落の有力者、「ションコ」に宛てて出されました”
  • 松前武家地跡でガラス玉が出土、アイヌ向け交易品か | 2017/8/26 函館新聞社/函館地域ニュース - e-HAKODATE

    【松前】町豊岡の旧武家屋敷ごみ捨て場跡で19~25日、弘前大学文化財論ゼミ(関根達人教授)の発掘調査が行われ、陶磁器、古銭など当時の生活をうかがわせる遺品のほか、穴のあいたガラス製小玉14点が発見された。関根教授によると武家地での出土例は過去になく「アイヌの人々との交易用に武家屋敷内で制作されていた可能性がある」としている。 発掘調査は、公益社団法人たばこ総合研究センターの助成を受けたプロジェクト「酒とタバコからみた蝦夷地の内国化に関する研究」の一環。発掘地は正行寺墓地裏手の48平方メートル、江戸時代には中堅武家の屋敷が立ち並んでいた一角。 今回発見されたガラス玉の大きさは7ミリ前後、青が12点、ピンクと緑がそれぞれ1点ずつ。アイヌの人々が珍重していた「タマサイ」と言われる首飾りに使われていたものによく似ている。同ゼミは、今回出土したガラス玉は遺跡年代から江戸時代後期のものと推定する。町教

    松前武家地跡でガラス玉が出土、アイヌ向け交易品か | 2017/8/26 函館新聞社/函館地域ニュース - e-HAKODATE
    skam666
    skam666 2017/08/26
    “近世のアイヌは主に和人からガラス玉を入手していたが、生産地は不明で、主に江戸や大坂などで生産されたのではないかと思われていた。今回の発見はアイヌ向けガラス製品が松前で制作されていた可能性を示す”
  • ロシアにおけるアイヌ - Wikipedia

    樺太アイヌ(ブロニスワフ・ピウスツキによる撮影) ロシアにおけるアイヌではロシア連邦の領内における先住民族としてのアイヌ民族の歴史および現状について記す。 概要[編集] サハリン州、ハバロフスク地方、カムチャツカ地方に居住している。ロシア語ではアイヌ(Айны)、クリル(Куриль)、カムチャツカ・クリル(Камчатские Куриль)、カムチャツカ・アイヌ(Камчадальские Айны)、エイン(Ейны)などと呼ばれ、6つの集団に分けられる。2010年の国勢調査ではロシア国内で自らがアイヌであると回答した人数は100人程度であるが、少なくとも1,000人はアイヌを祖先に持つと考えられている。アイヌを名乗る人数が少ないのは、連邦政府に「現存する」民族集団としての承認を受けられていない結果であると考えられる。アイヌを祖先に持つ人が最も多いのはサハリン州(樺太)であるにもかか

    ロシアにおけるアイヌ - Wikipedia
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    skam666 2017/08/12
    “ロシアにおけるアイヌではロシア連邦の領内における先住民族としてのアイヌ民族の歴史及び現状について記す”
  • アイヌ:印付き皿の破片、本州初出土 居住の可能性高まる | 毎日新聞

    青森県南部町教育委員会は25日、北東北最大の戦国大名、三戸南部氏の居城だった国史跡「聖寿寺館跡」(同町小向)で、中世アイヌのシロシ(印)が施された染付皿の破片が、州で初めて出土したと発表した。南部氏がアイヌと交渉を持ち、アイヌが聖寿寺館に住んでいた可能性が非常に高まった。州アイヌ研究の進展に貢献するもので、南部氏の領国経営や北海道アイヌとの関係を考える上でも大きな発見だという。 見つかったのは、15世紀後半~16世紀前半に流通していた中国産の染付皿底部片(底径7.2センチ)。シロシはアイヌの所有物であることを示す印で、底部に5センチ×4.3センチの「×印」が刻まれていた。聖寿寺館に持ち込まれた染付皿を居住していた州アイヌが入手し、シロシを施した可能性が高いという。

    アイヌ:印付き皿の破片、本州初出土 居住の可能性高まる | 毎日新聞
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    skam666 2017/07/31
    “三戸南部氏の居城だった国史跡「聖寿寺館跡」(略)で、中世アイヌのシロシ(印)が施された染付皿の破片が、本州で初めて出土(略)南部氏がアイヌと交渉を持ち、アイヌが聖寿寺館に住んでいた可能性が非常に高まった”
  • 劇訳表示。 : 英紙「日本人に侵略される前のアイヌ達の姿を見てみよう」【海外反応】

    2017年05月14日00:00 英紙「日人に侵略される前のアイヌ達の姿を見てみよう」【海外反応】 カテゴリ歴史・history 失われたアイヌの生活・・・ これがTokyoによって植民地化される以前のアイヌ人たち 彼等はロシアと日の間で生活を送っていた先住民だTokyoからの植民地支配によって、その生活は永遠に葬り去られた1908年、現地入りしたカメラマンの手によって収められたこの写真が、当時の彼らの生活を浮き彫りにしている現在の日に暮らす彼らの子孫は2万5000名程度とされるが、実際の数は20万人近くいるとも言われているTokyoが彼らの土地を受け継いだ時、アイヌの人々は日国籍を与えられた彼等が独自の言語や文化を持った民族として扱われるようになったのは、2008年になってからの事だった Owen Hilton イギリス ↑133 ↓6 これは貴重な写真の数々・・・ かなり興味深

    劇訳表示。 : 英紙「日本人に侵略される前のアイヌ達の姿を見てみよう」【海外反応】
  • 隼人 - Wikipedia

    隼人の楯 隼人(はやと)とは、古代日において、阿多・大隅(現在の鹿児島県土部分)に居住したとされる人々[1]。 概要[編集] 隼人駅前に展示された隼人の盾 日神話には海幸彦が隼人の阿多君の始祖であり、祖神火照命の末裔であるとされる[2][3]。「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「(犬のように)吠える人」の意味とも[4]、「ハヤブサのような人」の形容とも[5]方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも[6](あくまで隼人は大和側の呼称)。 風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。やがてヤマト王権の支配下に組み込まれ、兵部省の被官、隼人司に属した。百官名のひとつとなり、東百官には、隼人助(はやとのすけ)がある。現在は、日人男性の人名としても用いられる。 歴史[編集] 熊襲との関係[編集] 古く熊襲と呼ばれた人

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  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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    まとめよう、あつまろう - Togetter
    skam666
    skam666 2017/02/24
    “最近の歴史研究では、実はアイヌにはそもそも土地が分配されなかったことが分かっている”
  • ETV特集「今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」

    アイヌ語は、もともと文字に表す習慣が無く、歌や語りなどは代々口伝えで受け継がれてきた。しかし明治維新後の政府の同化政策で話せる人が急速に減り、今ではほとんど使われなくなった。その中でこのレコードは、アイヌ文化を語る上で学術的に大変貴重なものだという。当時の歌や語りの名人と言われたアイヌの先達たちはどんなことを語り、現代の我々にどんなメッセージを投げかけるのか? その音源をめぐる物語を紹介する。

    ETV特集「今よみがえるアイヌの言霊~100枚のレコードに込められた思い~」
  • 日鮮同祖論 - Wikipedia

    日鮮同祖論(にっせんどうそろん)は、「日人と朝鮮人の祖先は同じである」とする論。日朝同祖論(にっちょうどうそろん)、日韓同祖論(にっかんどうそろん)ともいう。 概要[編集] 「日朝両民族はその祖先を同じくし、兄弟あるいは家と分家に擬せられる間柄であり、来一体となるべきである」という主張。「日韓国併合、朝鮮統治は歴史的に合法なものである」と説明するために喧伝された。 今日は渡来人概念と結びついて駅として主張されることもある。 沿革[編集] 近代以前[編集] 日鮮同祖論の枠組みが形成されたのは古く、少なくとも江戸時代中期の国学にまで遡ることができる思想である[1]。 平田篤胤らの国学者は神国主義を背景に『古事記』や『日書紀』を研究して、「古来密接であった日朝関係において日は支配的な立場にあった」と主張した[1]。日鮮同祖論の骨格を作りあげ、「半島の支配者はもともと日人である」と

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    skam666 2016/10/19
    “日朝両民族はその祖先を同じくし、兄弟あるいは本家と分家に擬せられる間柄であり、本来一体となるべきであるという主張。日本の朝鮮侵略、朝鮮支配が歴史的に合法なものであると説明するために喧伝された”