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ブックマーク / www.goethe.de (4)

  • ダダとパンク・ロック

    1920年代のダダ、1960年代のネオ・ダダ、それらに並ぶダダ的運動があるとすれば、それは1970年代末から1980年代初頭にかけてのパンク・ムーヴメントだろう。 パンクのフライヤーやレコードジャケットに見られるタイポグラフィとコラージュは、シチュアシオニストを経由してダダを連想させるし、何よりそれまでの音楽を否定し、切断し、破壊しようとする姿勢が、ダダを名乗らずともダダの精神と近似していた。 日のパンクロック史は、1978年からスタートした東京ロッカーズという運動体や、関西NO WAVEと呼ばれる関西の動きを起点とすることが多い。ただ、ダダという視点から考えると、のち美術家となる大竹伸朗が結成したパンクバンドJUKE/19が代表格といえる。聴く人を積極的に不愉快にさせる騒音は、当時の東京地下音楽の総山であるフリースペース・吉祥寺マイナーにさえ出演を断られたという、反音楽の象徴だ。加え

    ダダとパンク・ロック
    skam666
    skam666 2016/09/20
    “1920年代のダダ、1960年代のネオ・ダダ、それらに並ぶダダ的運動があるとすれば、それは1970年代末から1980年代初頭にかけてのパンク・ムーヴメントだろう”
  • 「ダダは初歩的な禅の亜流に過ぎない」

    既成の価値観を否定し、それまでの美術史を切断した芸術運動「ダダ」。この動向に日でもっとも早く反応したのは、美術家ではなく詩人だった。 1916年2月にスイス・チューリッヒで起こったダダが日に紹介されるのは、約4年半後の1920年8月15日。新聞『萬朝報』の「文藝」欄で取り上げられたのが最初である。具体的な作品の紹介はないが、ダダの特徴として〈文字の組方が同じ頁の中に縦に組まれて居たり横に組まれて居たり甚だしきに至つては斜に組まれたりして居て、内容よりも外形に重きを置いてゐるやうな傾向がある〉ことについて言及されており、かえって読者の想像力を刺激しただろう。 ©篠原有司 この記事でダダを知った詩人の高橋新吉は、すぐにダダ詩を書きはじめ、日で最初のダダイストとなる。1923年2月に出た高橋の詩集『ダダイスト新吉の詩』は日のダダ詩の誕生を告げる一冊で、中原中也や遠地輝武をはじめとする日

    「ダダは初歩的な禅の亜流に過ぎない」
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    skam666 2016/09/20
    “1916年2月にスイス・チューリッヒで起こったダダが日本に紹介されるのは、約4年半後の1920年8月15日。新聞『萬朝報』の「文藝」欄で取り上げられたのが最初である”
  • Tokyo - 催し物カレンダー - Goethe-Institut 

    ゲーテ∙インスティトゥートは、ドイツ連邦共和国を代表する文化機関として、世界各地で活動を展開しています。活動の中心となるのは、海外におけるドイツ語教育の推進と、国際的な協力に支えられた文化活動です。

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    skam666 2015/07/30
    “宮島達男(中略)氏と山本和弘氏の対談(中略)テーマは、70年代、80年代に芸術と政治の関係を徹底的に探索した先駆者、ヨゼフ・ボイス”日時:2015/10/22(木)17:30-21:00 場所:港区赤坂7-5-56東京ドイツ文化センター 入場無料
  • Goethe-InstitutDesigntrends - ドイツの新しいトレンドをお届けする月刊ウェブマガジン -

    4月25日(木)-27日(土) ラヴィッシュ・ジョイ ~ 音・爛漫 アメリカ出身のパーカショニスト、ロビン・シュルコフスキーとジョーイ・バロン、二人のパーカッショニストが来日、日のコンテンポラリーミュージック界を代表する傑出した演奏家たちと共に、新しい音を探求し、音と共生する発見の旅に出ます。それ自体目的をもたず、そこにただあるだけの何の変哲もない日用品のオブジェから、いまだ聞いたことの豊かで多彩な音が生まれ、lavish joy(溢れんばかりの喜び)を運んできてくれるでしょう。

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    skam666 2014/04/28
    “クラウトロックというのはかつて蔑称だった。当のドイツのバンドは、60年代の終わりに生まれてポップ史に名を残すことになるこの「クラウトロック」の呼称で呼ばれるのを嫌がっていたものである”
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