1920年代のダダ、1960年代のネオ・ダダ、それらに並ぶダダ的運動があるとすれば、それは1970年代末から1980年代初頭にかけてのパンク・ムーヴメントだろう。 パンクのフライヤーやレコードジャケットに見られるタイポグラフィとコラージュは、シチュアシオニストを経由してダダを連想させるし、何よりそれまでの音楽を否定し、切断し、破壊しようとする姿勢が、ダダを名乗らずともダダの精神と近似していた。 日本のパンクロック史は、1978年からスタートした東京ロッカーズという運動体や、関西NO WAVEと呼ばれる関西の動きを起点とすることが多い。ただ、ダダという視点から考えると、のち美術家となる大竹伸朗が結成したパンクバンドJUKE/19が代表格といえる。聴く人を積極的に不愉快にさせる騒音は、当時の東京地下音楽の総本山であるフリースペース・吉祥寺マイナーにさえ出演を断られたという、反音楽の象徴だ。加え
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