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恋愛とセクハラに関するyuhka-unoのブックマーク (2)

  • おっさんと若い女の恋愛云々の話が出ると必ず槍玉にあげられる「恋は雨上..

    おっさんと若い女の恋愛云々の話が出ると必ず槍玉にあげられる「恋は雨上がりのように」。 (追記 女子高生は子供であり、若い女ではないという指摘があった。完全にその通りなので、記述を改めた。 ただ、指摘されるまでの自分と同じく18歳以上の若い女と女子高生を混同している人間が、おっさんと若い女の子恋愛の話の延長でこの作品に言及することはあるため、一文目については変更しない。) あれが映画化したときは読んだこともないフェミからは叩かれ、同じように読んだこともないおっさんが俺たちにもまだ希望はある!と歓喜した。 原作を読めばわかるが、「恋は雨上がりのように」は確かにおっさんと女子高生の恋愛を描いている。それは間違いない。女子高生の美少女が、おっさんを好きになる。 しかし、ここで注意してほしいのは、恋雨はおっさんと女子高生の恋愛を描きつつ、それを結論として否定している作品であるということだ。「おっさん

    おっさんと若い女の恋愛云々の話が出ると必ず槍玉にあげられる「恋は雨上..
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2020/08/11
    "軽率に女子高生と真剣交際ができると思っているおっさんは、そもそも女子高生から好かれない。女子高生から好かれるようなおっさんは、女子高生と付き合おうと思わない。"
  • いつから恋愛は不可能になったか<ミグタウについて>|小野ほりでい

    中学生や高校の時分には、よく「学生の分は勉強だ」などと勉強以外の遊び、なかでも色恋ざたを咎めるようなことを言われ、大人たちに釘を刺されるものだ。そうして、それを真に受けた学生たちは浮ついた青春を繰り広げる周囲を尻目にを読んだり勉強したりして、今に見ていろ、「将来」こっちのほうが正しかったと分かるんだから、と歯をいしばる。 ところが大人になり、社会に出てみると、我慢したわりに何も楽しいことなどなく、怒られ、馬鹿にされ、非難され、ようやく「これからも暮らせる」程度の金銭が得られる。もしも何か「これのために頑張れる」と思えること、楽しいことや大切なものがあればそのために「暮らせる」かもしれないが、その楽しいことは「分ではない」と学生の時代に置いてきたのだった。慌てて失くした青春を取り戻そうと各々のタイミングで努力を始めるが、そこでようやく気付くのは、大人に恋愛能力などもはやないということ

    いつから恋愛は不可能になったか<ミグタウについて>|小野ほりでい
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2019/10/09
    パワハラ・アルハラするなと言われて「もう部下とコミュニケーション取るのは不可能になる」と言う上司みたいな。心配しなくても、他の人はパワハラせずに信頼関係築くし、セクハラせずに恋愛するよ。
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