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日記書いたと虐待に関するyuhka-unoのブックマーク (11)

  • 「もしも、自分が障害のある子を授かったら....みなさんはどう思いますか」・・乙武(h_ototake)さんの連続ツイート

    乙武洋匡 @h_ototake 1.身体障害者人が、みずからの障害をどう捉えるか。それは、親の態度が大きく影響するのではないかというのが、僕の持論。「こんな体に生んでしまって申し訳ない」と考える親のもとに生まれれば、きっと当人も「自分は不幸の身に生まれたのだ」と十字架を背負わされたかのような心持ちになる... 2011-10-08 17:02:29 乙武洋匡 @h_ototake 2.逆に「別に指なんて何だっていいわよ」という、おおらかな親のもとに生まれたら、おそらくみずからの境遇に悲観することなく、障害を重たい十字架と感じることなく生きていけるのではないか。少なくとも、僕はそういう親のもとに生まれ、みずからの障害をとくに悲観することなく生きてきた。 2011-10-08 17:09:24 乙武洋匡 @h_ototake 3.もちろん、どちらが正しく、どちらが間違っているということはな

    「もしも、自分が障害のある子を授かったら....みなさんはどう思いますか」・・乙武(h_ototake)さんの連続ツイート
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2011/10/09
    自分が障害者を受け入れているわけでもないのに、障害者の家族に「明るく優しく幸せな障害者の家族像」を押し付ける社会の人たちにも問題があると思うよ。親だけの責任じゃない。
  • 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。→その通り! -自由人PENGの再チャレンジ日記-

    2024年01月 « 1234567891011121314151617181920212223242526272829 » 2024年03月 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110901/1314876472) 他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話 - yuhka-unoの日記(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20100827/1282907901) コメントを残そうかと思ったけど長文になってしまったので、トラックバックすることにした。 とても分かりやすく読みやすい記事なので、是非ご一読を! このブログ記事には長文のコメントもたくさん入っていて、しかも、否定的、肯定的なコメントに分かれています。 このブログやタイトルに

    yuhka-uno
    yuhka-uno 2011/09/06
    いやもうほんとその通り。母は「結局、自分がそうしたいからそうしたのだ」という点を認めない。認めたら自分の責任になるから。だから「普通」や「常識」に固執し、身内を誘導し、責任回避に努める。
  • なぜ虐待は起こる?

    yuhka-uno
    yuhka-uno 2011/06/28
    うちの母の場合はアルコール依存症以外全部当てはまる。でも父はあんまり当てはまらないような気がする。父親不在・母子密着型のケースはだいたいこれだろうけど。
  • Togetter - 「橋下府知事(t_ishin)の教育についてのツイをきっかけに乙武 洋匡さん(h_ototake)が「僕が教員時代に最も頭を悩ませた問題でもあった」とツイート」

    橋下徹 @hashimoto_lo さて、話は変わりますが、大阪維新の会が6月議会で成立させた君が代起立斉唱条例に関して、毎日新聞が記者の目と言う記事で「教育現場に強制はなじまない」との主張をしていました。もう僕と180度価値観が違うので論理的な論争とはならないですが、敢えて言います。教育とは2万%、強制です。 2011-06-12 13:35:02 橋下徹 @hashimoto_lo 価値観の問題ですら論理ではありません。生まれたての赤ちゃんから大人になるまで、教育は強制そのもの。もちろん、子どもが成長するにつれ強制の度合いが弱まり、子どもの自立に軸足が移るでしょう。それでも教育の基は強制。社会のルールを教えるというのは強制そのもの。 2011-06-12 13:37:09

    Togetter - 「橋下府知事(t_ishin)の教育についてのツイをきっかけに乙武 洋匡さん(h_ototake)が「僕が教員時代に最も頭を悩ませた問題でもあった」とツイート」
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2011/06/12
    橋下知事って、かなり抑圧された子供時代を過ごしてしまったんじゃなかろうか。強制的な育てられ方した人は子供の自由が許せない。→http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110606/1307356650/「自由vs強制」ではなく「自立vs適応」の話
  • 「良かれと思って」の罪深さ

    「良かれと思って」の罪深さ (03/01/31) 親は子に言う、「お前のために良かれと思って言っているのだ」と。 は夫に言う、「あなたのために良かれと思ってこうしたのだ」と。 教師は生徒に言う、「おまえたちのために良かれと思って先生はこれをするのだ」と。 人が誰かのためを思って何かをすること、それ自体は美しい行為である。相手のことを考え、こうすればきっと良い結果が返ってくるだろうと思えばこそ、人は「良かれと思って」と口にするのだ。そして、現実に人にとっても良い結果となるならば、言われた時には理解できなかった人も「ああ確かにあの時『良かれと思って』言ってくれたのはその通りだった。有難かった」としみじみ振り返ることができるだろう。お互いにとってこれほど幸いなことはない。 しかし、「良かれと思って」したことが常に良い結果に結びつくとは限らない。 それは当たり前のことだ。けれど、あろう

    yuhka-uno
    yuhka-uno 2011/02/13
    "それがどんなにつらいことでも、苦しいことでも、いやなことでも、「あなたのためなのよ」「良かれと思ってこうしているんだ」の一言はその行為を無条件に許し受け入れることを強要する。"
  • 自己中心的な自分を変える3つの方法・人のせいにする癖の見直し方 [ストレス] All About

    うまくいかないときに「必ずしも自分だけのせいではない」と考えれば、自分の気持ちを少し楽にすることができます。それも一つの方法ですが、いつも「○○のせいでこうなった」という考え方をしていると不満がたまり、現実に即した冷静な考えができなくなってしまいます。 自己中心的な考え方は、ストレスから自分を守る盾になります。「自分は悪くない。他人や社会が悪いのだ」と思うことができれば、「自分にも責任がある」と考えなくてすむからです。しかし、その考え方が強すぎると、さまざまな弊害が生じてしまいます。 一つは、他人を見下してしまうことです。これが続くと、他人と協調することが難しくなり、傲慢な態度で他人に接してしまうこともあります。すると、チームワークで仕事を進め、仲間と苦労を分かち合う力が身につきにくくなるため、社会に適応していく力が育ちにくくなってしまいます。 また、自己中心的な考え方をしていると、学校や

    自己中心的な自分を変える3つの方法・人のせいにする癖の見直し方 [ストレス] All About
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2011/02/04
    いやいやいやwww急増してないから。若者に限らないから。全世代的にいるから。「若者は甘やかされてわがままになっている」と言うのは、年長者の「自己愛」の表れだよなー。
  • 「『閉じこもり』から抜け出すには 不登校・ひきこもり・出社拒否のカウンセリング」 - 都心で働くママの日記〜育休後、復帰編〜

    都心で暮らし、働きながら、保育園児育児に奮闘するひさこの日常をつづります。4月から仕事に復帰しました。 現在、日には“引きこもり”の人口が50万人とも100万人とも言われているそうで、 子どもを育てる親として、他人事とは思えない社会現象のように感じています。 その原因の多くは、幼少期の子育て環境や親子関係にあると指摘している専門家も いらっしゃって(すべての原因がそうだとは言えませんが)、ここ最近 引きこもり関係の書籍を読み漁っています。 そのうちの1冊。著者の前川哲治さんは、心理職として法務省に就職された後、各地の 少年鑑別所などでご経験を積まれた後、カウンセラーとして独立された方です。 臨床経験豊富なので、その言葉にとても重みがあります。 前川さんが、引きこもりではなく、あえて「閉じこもり」というワードを使う理由は、 職場に行かれない出社拒否の人や、主婦で家事拒否に

    yuhka-uno
    yuhka-uno 2010/09/20
    "幼い頃からマナーやルールを守るよう親からやかましくいわれて、本人も「守らなければいけない」と頑張りすぎた人がとても多いのです。"
  • 小学校の「お世話係」について(追記あり) - PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)

    なにかご存知の方、情報あるいはご意見をお知らせください。 [追記20100820:利用目的が不明確とのご指摘をいただいた。ごもっともなので簡単に追記。学校評議員としての活動に生かしたい、そのためにももっと実態を知りたい。それ以上のことまではまだ考えていないが、Webに事例や意見が集まれば、あちこちで議論の喚起に役立つのではないか、とも思う。念のため書き加えると、集めて出版などということは考えていない。その場合は、いつごろのどこでのことか、といった情報が不可欠ではないかと思う。今ふと、連載中の九段下総研で採り上げることができないかと思いついたが…時事性に乏しいかなあ…] [追記20100828:エントリを立てて1週間。コメントやトラックバックへの往信がそのままになっていて申し訳ありません。いただいた反応に逐一ていねいにコメントできるほど健康が回復していなかったようで、誠に情けないです。標題の

    小学校の「お世話係」について(追記あり) - PSJ渋谷研究所X(臨時避難所2)
    yuhka-uno
    yuhka-uno 2010/08/19
    この「お世話係」問題、大人社会でも家庭内でもあるよ。本来責任を負うべき人間(教師)が、自分の役割や責任を弱い立場の者(子供)に丸投げしているという構造。
  • 自分をたいせつにする心理学 - 抑うつ気質

    人間関係の質を決める脳とこころのしくみを知って、 自分を大切にするための、 認知行動セルフ・カウンセリング。 うつ病を発症しやすい性格がある、と以前から指摘されています。よく知られているのは、「メランコリー親和型」と「執着気質」です。 几帳面で真面目、ルールや規範に従順、人に気を使う、物事にこだわる、人や物事へのかかわりは、熱中しやすく、凝り性、関心が一つの事柄に化集中され、他の事柄には無関心からの大雑把、一度喚起された感情がいつまでも静まらず、長く続く、融通が効かず、認知的柔軟性に乏しい、といった特徴があげられています。 完全主義であり、「何々すべき」といった表現をよく使い、責任をひとりで背負い込み、弱音を吐くのが苦手、また状況の悪い面のみを拡大解釈するために、情報の処理が偏る、といた傾向が顕著です。 真面目で仕事熱心であることから、社会での評価は悪くありませんが、これが裏目に出ると、「

  • 「過保護」という概念は安易に使われすぎていまいか?: 久留米フォーカシング・カウンセリングルーム

    あなたの「街のカウンセラー」をめざしています。 TEL & FAX 0942 48-8797 email:kurumefocusing@live.jp これは、前の記事に続き、この後に予定している記事への伏線になる内容なのだが、そちらの記事でこのことまで一気に論じると長大化し過ぎるし、独立したトピックとして敢えて立ててみても大いに意味がありそうなので、こうして「先行掲載」する道を選んだ。 一般の皆様は驚かれるかもしれないが、心理の専門家の間で、「過保護」という概念が使われることは滅多にない。 そしてそれは「親に甘えている(甘やかしている)」という言い方を心理専門家が可能な限り排除するのと、実は共通の背景がある。「甘え」という概念が専門家と一般の皆様との間でどのくらいギャップがあるかは、すでにこの記事で詳しく論じた通りである。 wikipediaの「過保護」の項は、この点についての配慮が行

    yuhka-uno
    yuhka-uno 2010/07/21
    "つまり「親子間の葛藤がない」かに見えるのは、子供の側から、必死になって「平和を支えてきた」からこそというべきケースが多いように思える。"
  • 04. うつ病と性格 -- メランコリー親和型 -- | 山竹伸二の心理学サイト

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