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サブカルと映画に関するImamuのブックマーク (3)

  • ヤンキー回帰としてのポニョ - 犬惑星

    『ジブリの森とポニョの海』を立ち読みしていたら、ロバート・ホワイティングとの対談で「ポニョは笑えるような映画じゃありませんから」と断言していた。*1「ええっ!? そうなの?」と驚いてしまった。少なくとも、劇場で観ていると何度か観客がドッと笑う場面がある。とりあえず日テレの戦略と鈴木Pの演出により、観客がポニョに期待するものは「家族揃って観賞できる、微笑ましくも感動の物語」といったところだろう。しかし、そもそもその前提が間違っているということだ。作った人はそんなことを考えていない。 さらに、ポニョ評で散見される意見として「宮崎駿は、あんなのを理想の家族と思っているのか? 時代錯誤もはなはだしい左翼野郎め!」みたいなのがある。そもそも「ジブリは人畜無害なファミリー・エンターテイメント」という偏見に縛られているのは、こういう自称アナーキーな映画評論家たちだったりする。 思わず購入してしまった『

    ヤンキー回帰としてのポニョ - 犬惑星
    Imamu
    Imamu 2008/08/17
    『ポニョに登場するキャラクターの多くは欲求に素直で、情緒不安定で、感情的な存在』『『恋空』とかに感涙するティーンズに共通するものを感じる。そして文化系の思考回路にはむしろ理解がしにくい』
  • クワイエットルームにようこそ - 成馬零一が考えていること。

    Imamu
    Imamu 2008/07/08
    (クドカン)「サブカル病連にようこそ」「あなたは面白い国の住人で、私は面白くない国の住人だから」「壊れないのは「笑い」という神様を信じて疑わないからだ」
  • オタク・サブカル・エヴァンゲリオン - 萌え理論ブログ

    オタクとサブカルの差異 オタクとサブカルの違いは何か。サブカルはメインに対するカウンター性があるが、オタクにはそれほどない。また、サブカルはメジャーに対してマイナーではあるが、市場からはみ出す個性と表現性を重視する。一方オタクは、個々の作品の制作者の個性よりも、お約束すなわちそのジャンルのコードを重視する。ただしその約束事はマニアックなまでに追求する。例えば、コミケの絵柄がハンコ絵でも、その微妙な差にこだわる、という感じだ。つまり、サブカルは革新的ならオタクは保守的なところがある。 エヴァンゲリオンの境界性 そのように両者は相容れない。しかし、大流行したアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』は、オタクとサブカルの境界線上にあった。その境界性がオタク・サブカルさらに一般にまで浸透させた力だと考える。大雑把に、エヴァは物語の前半がオタク的で、後半がサブカル的だろう。後半特に終盤の破綻は、作家の表現を

    オタク・サブカル・エヴァンゲリオン - 萌え理論ブログ
    Imamu
    Imamu 2007/09/05
    『エヴァ終盤から劇場版が、オタク的約束からサブカル的表現への脱出なら、新劇場版の「ヱヴァンゲリヲン」は、サブカル的表現からオタク的消費への回帰になる、という流れが予想できる』
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