タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

ハーレムメーカーに関するImamuのブックマーク (4)

  • ハーレムメイカーは、物語の時間性を奪うか?(1) 何を語って、何を目的としているのか?議論の前提を振り返る - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    かなり前の書いて、うち捨ててお蔵入りになっていた記事です。少々議論としては古いのですが、まーせっかくなので、ハーレムメイカーを考えるヒントとして、載せておきますので、興味がある人は見てください。 ■直線的な時間感覚から、回帰的な時間感覚へ 基的に、定義をはっきりさせようと考えているのだが、たぶんそれは難しい作業になるのではないかな、という予感がします。なんか、やっていて難しんですよね。なので、ちょっと議論を、大きなベースに戻してみましょう。 「日常」と「非日常」のダイナミズムの中で、「日常」によっていくことは、回帰の時間感覚(=目的LESS)の方向へシフトすることだ、というのが僕の議論の大元です。ここに置いて、日常世界のノスタルジー喚起というドラマツゥルギーを固定化する手法を採用しようとする時に、「関係性の固定化を繰り返すという」手法が繰り返されます。このことを言いかえると、「時が止まっ

    ハーレムメイカーは、物語の時間性を奪うか?(1) 何を語って、何を目的としているのか?議論の前提を振り返る - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
    Imamu
    Imamu 2009/09/27
    『直線的時間性-非日常/回帰的時間感覚(いまここ)-日常・・・ハーレムメイカー→回帰的な時間感覚→並行世界の物語という類型→倫理的に「止まることが間違っている」という告発』
  • 「誰でも助ける」主人公の生まれ方 - ピアノ・ファイア

    「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア 先日の日記からの発展ですが。 なぜこういうタイプの主人公が作り出されるのか? というと、ある種の快楽原則に基づいた制作上の需要からだという理由も考えられますね。 観客は、誰からも感謝される「いい人」でありたいと思っている(自分がそうであるかは別として) 翻せば観客は、できれば誰も傷つけたくないと思っている 観客は、誰でも助けるような人物の味方(=視点)に立ちたいと思っている 翻せば観客は、誰かを見捨てるような人物を見たくないと思っている 前半は主人公に自分を重ねて共感するような場合の快楽原則、後半は主人公を「眺める側」についた場合の快楽原則で、どちらも同じ行動原理を主人公に求めることになります。 こういう快楽原則の要望に応える人物がセーフティでオーソドックスな「主人公」と呼ばれる人物造型なのかもしれ

    「誰でも助ける」主人公の生まれ方 - ピアノ・ファイア
    Imamu
    Imamu 2009/09/27
    『内在する人格によって自律的に行動するのではなく、外在する期待に応えるために他律的に行動するようだと、キャラというよりも一種の現象とも呼べる』
  • 「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア

    原稿書きのあいまをぬって更新。 http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090115/p3 ■根拠も動機もなく「誰でも助ける」という性格は、ハーレムメーカーなのだ! 「誰でも助ける」ってのは、「助けられた人の人生の根幹にかかわる」ということを意味するので、相手は、助けた人に惚れるよね。 ちなみに、ここで「根拠がない」というのも重要で、根拠があった場合には、それはトラウマ(=そういう人格になった原因)なわけなので、それを解決して昇華することがイコール彼の人格の「救済」となるので、その時には、彼の相手は、「その救済が可能な人(まぁたいてい女の子)」という風に、オンリーワンの関係を形成してしまうので、物語が終息へ向かってしまう。 そう、、、なんとなくヒント的に感じるんだが、この「主人公の動機の根源に触れない」という設定を置いた瞬間に、ハーレム構造が成立でき

    「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア
  • ハーレムメーカーは時を止める〜動機の根源に潜む宝箱を開けることは、、、、 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    ■根拠も動機もなく「誰でも助ける」という性格は、ハーレムメーカーなのだ! 『とある魔術の禁書目録』の主人公である上条当麻とインデックスの関係を、ルイさんと話していて、おおっ!と思い当たることがあった。この演出がよくなかったと思った最大のポイントは、「誰でも助ける」という主人公の動機を、物語の脚・演出の中で、説得的に描けなかったからなんだ。えっ?なんで、「誰でも助けるの?」って、疑問に思ってしまう。 ところが、同じ質問を、僕は、西尾維新さんの『化物語』を読んだ時にしているんだけど、『傷物語』(3冊目)まで読んで、そんなこと全く気にならなくなった!と思っているんだよね。今に至るまで、主人公は「誰でも助ける」という動機がどこから来たのか説明されていないし、今後もされないようなのだが、「そういう存在である」ことがとても、素直に受け入れられている(少なくとも僕は)。この差は何なんだろう?。どういう

    ハーレムメーカーは時を止める〜動機の根源に潜む宝箱を開けることは、、、、 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
    Imamu
    Imamu 2009/01/16
    『「誰でも助ける」という人格ドラマトゥルギー~「相手の動機の根源には触れる」のに、「自分の動機の根源には触れにくい」』『「主人公の動機の根源に触れない」という設定を置いた瞬間に、ハーレム構造が成立』
  • 1