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思想とV系に関するImamuのブックマーク (5)

  • 源氏物語からX-JAPANまで−『Endless Rain』 - kuriggen’s diary

    X-JAPANの示しているセンスとは奇妙なもののように見える。この奇妙さが表現し訴えているものとは何なのだろうか。時々その見掛の姿は不思議さを催すかもしれない。しかしよく分析的に見てみれば、日人の歴史にとって、センスにとって、あの演出あの化粧とは別に不思議なものではないことに気づくはずだ。あのセンスとは、日人にとってとても見慣れたものなのだ。だからこそエックスの支持とは、日でとても根強い。 X-JAPANのメジャーシーンにおける最初のアルバム、89年に出た『BLUE BLOOD』は確かに傑作アルバムに仕上がっている。日のロックとして何か独特の歴史的結晶が、ハードロックのうちに形式美として根ざしたことが、あの独特の見栄えを生んだのだろう。ロックがあの形に綜合化していることは、一方では何かのあの世界への近寄り難さを生じさせているのだろうし、もう一方では強烈なる熱狂的な求心力を生んでいる

    源氏物語からX-JAPANまで−『Endless Rain』 - kuriggen’s diary
    Imamu
    Imamu 2009/05/12
    「硬直する勃起性の根元にあるのが、どこまでも繊細で柔らかなヴァルネラビリティである」「巨大なるヒステリーの儀式」「ヨシキのセンスほど、三島的なものを忠実になぞったものもない」
  • (X=)JAPAN精神分析Ⅱ - kuriggen’s diary

    1. 5月3日の夕暮れに東京ドームの中に入り、エックスのステージの巨大セットを眺めながら会場の全体を見渡し考えた。しかし彼らもよく、千葉の館山から出てきてここまで大きくなって出世したのだなと。デビューになる以前に、ヨシキは元気が出るテレビで紹介されていてその映像が残っている。若い頃のヨシキの姿が面白い。 2. 僕が高校の時に、クラスに中森明菜と清瀬の中学で一緒だったという女の子がいた。それで、中森明菜が地元中学のツッパリ系不良グループとどんな関係だったかという話を聞いたことがある。ヨシキも中学と高校で不良になったらしいが、彼の場合もきっと中森明菜と同じような不良の関わり方をしたのではないかと思ったのだ。 ヨシキとトシの進学した高校は、館山の安房高校というところで、県立で偏差値こそさほど高いとはいえないが地元では伝統的な高校であって、卒業生には、戦後左翼思想として、戦後主体性論を著した梅

    (X=)JAPAN精神分析Ⅱ - kuriggen’s diary
    Imamu
    Imamu 2009/05/12
    「ヨシキの多重人格的な攻撃性とはそのヴァルネラビリティから来ている」「改めてエックスの音楽を聴くとき、成る程、この音楽の基底には、キッスとクイーンというハードロックの基本形が原理的に生きている」
  • (X=)JAPAN精神分析 - kuriggen’s diary

    1. 今月の3日はよく晴れた初夏のいい日だったが東京ドームに行っていた。マイミクさんがまたライブに招待してくれたからだ。こんどはX-JAPANのライブである。御蔭で噂には聞くところのエックスのライブを初めて体験することができた。 調度よい気温の心地よい風がいつまでも吹いていて止まない。五月にとって典型的な日和の夕刻だった。外はまだ明るく多くの人手が流れ途切れることを知らないように賑わっていた。後楽園の地下鉄で降りてドームに向かう。目に入る人々の群れはエックスというライブの現象を聞いていた通りに裏付けている。コスプレ大会的な祭の模様である。パンクス、メタル、ゴシック、ロリータといったヴィジュアル系の衣装で着飾った人の群れと幾つも擦れ違う。 こういう現象の意味が以前から不思議だったのだ。それはライブでありながらも集会といった意味がある。集会という意味は慣用的な用法として、政治的な集会、特に左翼

    (X=)JAPAN精神分析 - kuriggen’s diary
    Imamu
    Imamu 2009/05/12
    「メンバーは~ヤンキー文化の内部~ではない」「美とセックスとロックを巡る妄想的想像力を、最初から意識的に活用して、美学的なイメージとして立てている領域」「ファシズム」「ヨシキのドラムソロにおける退屈さ」
  • 美学的、病痾的 - 女の子の怒りについて

    http://po-m.com/inout/200606yarita01.htm ↑詩人でもあるヤリタミサコ氏の論考。これを読んで、一部の男子の女性化願望というのは、この種の「怒り」「悪意」「敵意」を欲望しているのではないかと思った。ヴィジュアル系に引きつけて言うなら、ヴィジュアル系の男性が女性的な装いをするのは、単なる差異化ではなくてある種の「怒り」「悪意」「敵意」を纏うためなのではないか。何故、わざわざ男性がジェンダー規範を侵犯してまでその種の装いをしなければならないのかと言うと、女性の生理的な条件を持たないがゆえに、その欠如から欲望が産まれているのではないかと考えられる*1。逆にこの種の装いを敢えてしている男性を女性ファンが肯定するのは、その男性が欠如を抱えながら女性的条件による「怒り」「悪意」「敵意」を、同情や良心からではないにせよ、理解しようとしているからではないか。*2 もちろ

    美学的、病痾的 - 女の子の怒りについて
    Imamu
    Imamu 2007/02/12
    『一部の男子の女性化願望というのは、この種の「怒り」「悪意」「敵意」を欲望しているのではないか』
  • 惑星開発座談会 - 新興宗教オモイデ教 (前編)

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    Imamu
    Imamu 2006/11/26
    世紀末シンドロームとお化粧系ブーム。「賤民意識の裏返しとしての選民意識」[ガングロ-地下室系の白塗り。「美意識過剰」「昭和レトロ」
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