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恋愛と性に関するImamuのブックマーク (14)

  • Aセクシャルの定義がいつの間にか変わっていたんだけど

    一昔前は「性欲を持たない者」だった気がしたけど、どうやら今は違う定義が流行っているっぽい。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%80%A7%E6%84%9B他者に対して恋愛感情や性的欲求を抱かない人をいう。(中略)「他者に対しての恋愛感情は有り得ても、性的欲求を恒常的に抱かない」性質のことはノンセクシュアル(非性愛者)と言い、Aセクシュアルとノンセクシュアルは、同一ではない。(中略)なお、性欲自体がないことを指してWSD(Without Sexual Desireの略)という言い方があるどうも2chのAセクシャルスレの定義がWikipediaに記載されている模様。http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gay/1244458857/WSDと言うのもこのスレ住人による造語。一掲示板のローカル定義をさも一般的な定義であ

    Imamu
    Imamu 2010/06/07
    「一昔前は「性欲を持たない者」だった気がしたけど~「他者に恋愛感情及び性的欲求を感じないが性欲はある」人もAセクシャルに入るらしい。…それって、女のオタクだと全然珍しくないのでは?と思った。」
  • Ohno blog(2007-03-20) なぜ売春婦差別をするのか

    ここでは自宅サロンを開業するまでの流れを3つのステップで解説していきます。この流れに沿って見て頂ければ、自宅サロンを開業するまでの最適な道のりがきっと見えてくると思います。まず3つのステップは以下のようになっています。自宅サロンの具体的イメージを固める自宅サロンのメニューを考える自宅サロンの開店準備...

    Ohno blog(2007-03-20) なぜ売春婦差別をするのか
    Imamu
    Imamu 2007/03/21
    「性とお金」に対してのある種のタブー視⇒『性欲を「愛」に保障してもらわないと不安になる』『「愛」に保障されないセックスにおいて、非対称性は前面化する』
  • 想像力の問題としての恋愛――君は「ごっこ遊び」ができるか - umeten's blog

    Mammo.tv >> 今週のインタビュー(2001.07.09号 Part2)伏見憲明 さん ――恋愛は「男と女はカップルにならなくてはいけない」といったことを前提にしています。こうしたテーマはなぜ自明なことだとされるのでしょう。 まあ、特別な才能やパワーを持って生まれた人じゃなければ、性愛以外には自分の人生をドラマティックに感じる「経験」もないでしょうから(笑)、そのことがドラマなどでの主要なテーマになりがちであることは仕方ないと思います。恋愛は、もっとも安直な人生の暇つぶしとも言える。 でも、人はそれぞれの生き方がありますから、男女でつがわなくてはならないわけでもないし、恋愛しなくてもいい。セックスがさほど必要でない人もいれば、恋人的な関係が煩わしいと感じる人もいる。 「恋愛」=「ドラマ」 「ドラマ」=才能やパワー、経験 「自分で「ドラマ」を充足できれば、「恋愛」はいらない」という説

    想像力の問題としての恋愛――君は「ごっこ遊び」ができるか - umeten's blog
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    Imamu 2007/02/03
    重要。『性の価値の低下こそが必要』『「恋愛体質」=「他人に対する志向」』ビジネス書も自己啓発書でも「他者への好奇心・興味の重要性」をひたすら説いてる。だから僕は引き篭もる。そして人を殺すことを考える
  • FC2Blog - Forbidden

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    Imamu
    Imamu 2007/01/20
    面白ひ。良いまとめ。『「性欲」は自然に発しつつもかなりの程度構築されるものだとも』/男性の二項対立観念『「自然(性欲)/主体=自由=選択」』/観念『「性交/暴力」』
  • 『部屋に入るな→じゃああなたとは友達にならない』に納得できない - はてな匿名ダイアリー

    もう一生女なんて信じない関連。 pal-9999の日記 - セックスする友達というのなら文句は言わんがのはてブコメントとか読んでて納得いかなかったので書いてみた。 寝室というパーソナルスペースと「親密フラグ」心理学に「パーソナルスペース」と言う概念がある。 http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/personal.htm 腕を伸ばして届く範囲ぐらいが「親密なスペース」と呼ばれ、フツウは恋人や家族のような「触られても気にならないほど親密な関係」以外の人に入られると不愉快に感じる。 反対に、そのスペースに入るのを許すことは「あなたと私は親密な関係だ」と暗に認めていることにならないだろうか。相手に自分の「親密なスペース」に入ることを許すこと。これを仮に「親密フラグ」と呼ぶことにする。 一人暮らしの部屋なんて、大抵はワンルームでベッドがある。私はベッドがあ

    『部屋に入るな→じゃああなたとは友達にならない』に納得できない - はてな匿名ダイアリー
    Imamu
    Imamu 2007/01/19
    『「親密なスペース」に入ること=「友情」という勘違い』/『人間は「惹かれる」という本能的感情を、「恋愛」という文化で解釈している』/『「親密フラグ」を立てておいてセクシャルな関係を拒む女』
  • 惚れたが悪い - 烏蛇ノート

    今回ははてな匿名ダイアリーのこちらの記事から。 俺と話す時はすごいうれしそうな顔してて しばらく会わなかったらメールで「ねえ、私のこと覚えてる?忘れてないの?」 とか送ってきやがって 「彼氏にしたい人は家族みたいにいっしょにいて落ち着ける人」とか言いやがって それでこれは99%大丈夫として告白したら 「他に好きな人がいるの」だと。「君の事は大事な友達のつもりだった」だと。 この記事には100件を超えるはてなブックマークが付けられ、それらの大部分がこの相手の女性を非難する論調のものでした。もしこれが「非モテ」の総意なのだとすれば、個人的には何とも暗な気分にさせられます。 (※ この部分について追記しました。) この記事に関連する発言の中で、唯一完全に同意できたのがjituzon氏の記事でした。 勝手に99%いけると思い込んで告白してんじゃねーよ。いや、まあ告白するのはいいとして失恋は失恋と

    惚れたが悪い - 烏蛇ノート
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    Imamu 2007/01/17
    『「恋していること」が「恋愛感情を表明すること」のエクスキューズにならないのと同様、「性的に欲情すること」も「性的行動」のエクスキューズにはなり得ない』
  • ★ 電脳ポトラッチ: 弱者論争したいわけじゃないからね?

    弱者論争したいわけじゃないからね? ● 先日のエントリは久々に時間をかけてちゃんとまとめたせいか(いつも散文的でスマン)、はてなの方でもたくさんの反響がありました。どーもです。ついでなので、コメントに少し反応してみる。 2006年12月28日 rAdio 考えさせられる。だけど、これと同様の理屈で非モテ男を擁護することも可能なので、そこにも考慮して欲しい。そういう女性を *最も* 抑圧しているのは、少なくとも非モテ男性ではない事だけは確かなのだから…。 「あんたは強者だ。それは強者の論理だ」という視点から非モテに論難されることが多かったので、いやまってくれそうとは限らない、非処女・非童貞であるとか、カレカノがいる(いた)というだけで有無を言わさず「強者」認定されるのか?という不満がずっとあって、今回まじめに考えてみたわけなんですよ。抑圧のない人間なんてこの世に居るんだろうかと。 「今時の女

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    Imamu 2006/12/30
    『強者と「見なされる」抑圧を訴えている割には、逆に女性を(恋愛)強者と「見なしている」ことには無自覚な人が多すぎる』
  • 前回の補足 - どうでもいいことかもしれない

    コメント欄に書くにはあまりにも長くなってしまうのと、「ナツ氏に個人的に物申す」という事でもないので、ここに補足の意味も込めて改めて書く事にしました。 前回の記事で私は「男性への抑圧」に関して書き、女性への抑圧には言及しなかったが(注釈を付けたものの)、これは女性への抑圧はないとか、どうでも良いとか思っている訳ではなく、女性への抑圧というのは、これまでにも様々な人が書いたり訴えたりしてきて、現代ではわりと自明の事になりつつある事と、それに対して男性への抑圧があまりクローズアップされていなかった為である。 つまり、加害者であり、抑圧する側として見做されている男性も、被害者であり抑圧される側である事を言いたかった訳だ。 で、私個人の感覚としては男性の方が「抑圧がキツイ」と思っているのだが*1これはあくまでも私の個人的な見解であって、質的にはどちらがどうであるというのは、不毛な議論である。 もち

    前回の補足 - どうでもいいことかもしれない
    Imamu
    Imamu 2006/12/30
    『自分の性の在り方そのものが、「暴力であり、罪である」と思うが故に、恋愛に対して抵抗を持ってしまう事』/『アセクシャル(常に他者を拒絶し、否定するという「ある種の暴力」を内包している訳だ)』
  • 「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート

    田透の「電波男」以来、「恋愛至上主義」ないし「恋愛主義」こそが「非モテ」の根問題である、という認識が「非モテ」議論の暗黙の前提とされるようになりました。「革命的非モテ同盟」の古澤克大氏もまた、そうした「恋愛至上主義」を最大の問題の一つと考える「非モテ」論者の一人です。 今回は、この「恋愛至上主義」の実体とは何か、を考えつつ、古澤氏を初めとする多くの「非モテ」論者が陥っている「落とし穴」について述べていきたいと思います。 「非モテを苦しめているのは恋愛至上主義である」 という主張に対しては、古典的かつそれなりに有効な反論として 「世間は非モテ達が言うほど『恋愛』一辺倒ではない」「恋愛至上主義に陥っているのは実は非モテ自身である」 というものがあります。Paris713氏やまりねこ氏、ナツ氏の議論はこうした「反論」の典型的なものです。 これらの指摘は、ある面では全く以て正しい議論です。

    「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート
    Imamu
    Imamu 2006/12/23
    とりあえず便宜的に「恋愛資本主義(交換可能性)/恋愛至上主義(交換不可能性)」ということは解った。
  • イケメンは女性に優しい。(非モテにまつわる抑圧の話) - どうでもいいことかもしれない

    バラエティー番組などでグラビアアイドルとかが、男性お笑い芸人に「キモイ」と言う。 そう珍しくもない光景である。私も何度か目にした。 一方イケメンタレントが、女性お笑い芸人に「キモイ(ブスとかでもいいけど)」とか言っているシーンはあまり見ない。少なくとも私は見た事が無い。イケメンタレントが女お笑い芸人に迫られても、ちょっと困った顔をしつつ優しく接する所しか見た事がない。 この差は一体なんだろう? 「女はいつも女という種として(性的な存在)として見做される」この様な言説はブログを読んだり、書いたりしている人なら誰しも(嫌という程)目にしてきたであろう。そしてこれは、おおむね事実である。*1 女として性的な視線に曝されるのは、なにも「若く美しい女」だけではない。 世間には様々な「性的な視線」が存在する。 例えば「人フェチ」や「熟女専」「デブ専」 これらはそれを専門とする風俗店が存在する程度には

    イケメンは女性に優しい。(非モテにまつわる抑圧の話) - どうでもいいことかもしれない
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    Imamu 2006/12/22
    男性学「女性ファッション誌が描く「イイ女」は必ずしも男性にとって都合の良い「イイ女」ではないのに対して、男性ファッション誌が描く「イイ男」というのは、女性にとって都合の良い「イイ男」である場合が多い」
  • APLAC : 「非モテ」について

    ESSAY 282 : 「非モテ」について 写真は、シティのタウンホール。”オーストラリアの桜”ともいうべきジャガランダが咲き誇ってきています。 最近日では知らないうちに「非モテ」という言葉が市民権を持つようになっているようですな。わはははは!いや、いきなり笑って失礼。その昔、「負け犬」なんて言葉が流行ってると聞いたときも笑ってしまったけど、「非モテ」はもっと笑える。 なんで笑っちゃうかというと、こんなことイチイチネーミングをしてうざうざ考えたり、自己規定してみたりするようなことかい?って。「ヒマなんだなあ」って部分で笑ってしまったわけです。いや、真剣に悩んでいる人だって多数おられるだろうから、笑い飛ばすのは不謹慎だとは思いますよ。でも、笑い飛ばした方が救われる場合もあるわけで、これなんかその典型じゃないかと。 いや、しかし、ネットで「非モテ」で検索するとドドドと、まるで決壊した揚子江の

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    Imamu 2006/11/26
    モテ第三者評価/非モテ自意識問題「異性体との関係機会に乏しい個体」『「普通」クセモノ』「"suit yourself"(好きにすれば)」「人間の99%はモテない」「普通にしてたらモテるbut普通の状態ではモテないのが当たり前」
  • 烏蛇ノート - 性的視線(3)

    「革命的非モテ同盟」の古澤克大氏から新たに言及があったこともあり、もう少し「非モテ」と「性的視線」の話を続けてみます。(「電車男」の話は脇道に反れるので、とりあえず保留にしておきます。) まずは古澤氏の議論を引用しつつ、捩れを解いていくところから始めましょう。 確かに、女性からの侮蔑の多くは男性としての価値を否定するような形での侮蔑になるであろう。しかしながら、このような侮蔑は女性からのみもたらされるのではなく、広く男性から、また社会構造からもたらされるものである。直接的にはモテ男性からの「恋愛が出来ない男はダメだ」という言説や、遠まわしには「努力すれば恋愛出来る」といった言論の問題点は多くの非モテ論壇にて問題視されてきたものである。しかしながら、ここで一つ考えなければならないのは、女性からの視線は対象たる非モテ恋愛対象にならないという宣告であり、男性からの視線は恋愛が出来ないという事へ

    烏蛇ノート - 性的視線(3)
    Imamu
    Imamu 2006/11/07
    「不当な性的扱い」(性別カテゴリー装置に常にはめ込もうとする暴力)//「恋愛対象にされないこと」
  • 山本弘氏、「人類は異質の知性を受け入れなければならない」と語る

    11月4日、「アキバ・ロボット運動会」会場にて、「ハヤカワSFセミナー・SFにおける人間とロボットの愛の歴史」と題してSF作家の山弘氏による講演が行なわれた。司会は早川書房「S-Fマガジン」編集長の塩澤快浩氏。 山氏は今年5月、ロボットや仮想現実を扱ったSF『アイの物語』(角川書店)を出版した。舞台は数百年後、機械に支配された地球。アイビスという名前の戦闘用女性型アンドロイドが人間の少年に対して「物語」を語るという形式をとった連作短編集だ。ロボットが知性を獲得していった経緯や、なぜ人類が衰退していったのか、アイビスがなぜ女性型で戦闘用ロボットなのかといった謎は、徐々に明らかにされる。バラバラの時期に発表された短編を一のストーリーとしてまとめたこの作品は、SFファンや評論家たちから高く評価されている。 人間そっくりのロボットを作りたいという物語は、昔から繰り返し語られてきた。「ロボット

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    Imamu 2006/11/07
    『未来のイブ』『メトロポリス』『愛しのヘレン』『アンドロイド』『ボッコちゃん』『アンドロイドお雪』『わがセクソイド』
  • すべての男は非モテである - umeten's blog

    ―― 男性学的なるもの ―― 1、すべての男は非モテである――あいまいな男の私結論をいおう、すべての男は非モテである。 すべての男は生まれながらにして欠如を抱えている。不確かであいまいで不透明で、そして透明な存在。それが男だ。「男という病」だ。そして、それこそが非モテなのだ。 非モテにまつわる語りの量の男女間の非対称性。それは、非モテがそもそも男性性に起因するのだと考えなければやはり理解できない。男女の性の非対称性に基づく、身体と精神の問題。それが先鋭化したものが、非モテなのだ。もちろん、女の非モテという問題もある。 だが、あえていおう、問題は「男は存在しない」という点である、と。 男自身として語られるペニスは、陽根や力の源泉や権力の象徴などと、プラスの意味合いで語られている。が、その実体は、なんら所有を意味しないものなのではないか。むしろ、それは欠如の象徴とでもいうべきものなのではないか

    すべての男は非モテである - umeten's blog
    Imamu
    Imamu 2006/10/02
    以前引用させて頂いた
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