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社会と物語に関するImamuのブックマーク (6)

  • ヒーローはいつも間に合わない | WIRED VISION

    ヒーローはいつも間に合わない 2011年3月22日 社会カルチャーメディア コメント: トラックバック (0) フィード社会カルチャーメディア (これまでの 小田切博の「キャラクターのランドスケープ」はこちら) チェルノブイリ原子力発電所の事故は、東日大震災の渦中にあるいまから25年前、1986年4月26日に起きた。 それから1年が過ぎた1987年、アメリカの大手コミックス出版社、DCコミックスの人気タイトル『Justice League』誌で、バットマンをはじめとするスーパーヒーローたちがロシアの原子力発電所の危機を救おうとするストーリーが展開されている。 この物語は87年春にリニューアル創刊された同誌の2号から3号にかけて掲載されたもので、現在は『Justice League International』Vol.1に収録されており、比較的簡単に読むことができる(英語でだが)。 当時の

    Imamu
    Imamu 2011/03/23
    『現実の不幸に対して物語のヒーローたちは常に「間に合わない」ものだからだ』「解釈や論評((先取りされた物語))の多くは宙に浮いたまま忘れ去られ」
  • 現実を至高のものとする価値判断は正しいのか? | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    西洋近代の自己同一性問題と物語を生きる人間について~ロマンティシズム宣言 http://ameblo.jp/petronius/theme-10002674514.html >人間は、物語を生きる存在であり、 物語と現実というのは質的な部分で区別がつかないものなんです 前回、こう書いた。これは僕の信念であり、現実という過酷な海を渡る僕の羅針盤となっている考え方で、抽象的な概念ではなく、僕の生き方の指標なんで、これを学問的抽象的に批判されることがあっても揺らがない。ことの正しさはどうでもいい次元の話だからだ(笑)。 ■体内で信念と化したものと、ただの記号の違い 「知」は、 ①その信念を胸に抱き体内に飲み込んでい生きるモノ と ②ただ単にロゴスの世界に浮かんでいる抽象的なモノ と二つがあるように僕はいつも感じられる。 ②の世界は、相対主義の世界。真っ白な秩序も構造も順序もない世界に、記号が浮

    現実を至高のものとする価値判断は正しいのか? | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
    Imamu
    Imamu 2007/05/25
    面白ひ。重要。(現象学的社会学-シュッツ)『至高の現実(paramount reality)」論//多元的現実(multiple realities)』→『現実と虚構に差がないと考えるならば現実を選択しなければならない理由はどこにあるのか?』
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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    Imamu
    Imamu 2007/04/21
    重要。フィクション/ノンフィクション。『多くのマスコミはフィクションを倫理の名で規制し、ノンフィクションをマスコミがフリーハンドで野放しにできることを望む。でも、私は、これは逆だと思う。』
  • 『ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』 - logical cypher scape2

    この記事の目次 外観 装丁や文体(?)に関して 全体要約 書の全体について 「メタリアルフィクションの誕生」との比較 書のもとになった連載記事との比較。特に、削除されてしまった柄谷行人に関する議論について 大塚英志 書と大塚英志の関係 コミュニケーション 書と宮台真司の関係 自然主義的読解と環境分析的読解あるいはポップ文学とメタリアルフィクション 書と仲俣暁生の関係、並びに阿部和重を環境分析的読解する試み メタ物語的な詐術とセカイ系と青春小説オタク」の生を肯定するか否か、あるいはポストモダンの実存文学としてのメタリアル青春小説?? 自分の考えとの接合 個人的なメモに近いが、自分の理論と書の関係 「限界小説書評」「小説の環境」 書に関係する、若手の評論の紹介 外観 書の内容について入る前に、いくつか。 講談社現代新書はリニューアルに伴って明らかに装丁が悪くなったが、書の

  • 「不死身の身体」から遠く離れて - heuristic ways

    先日、書店で大塚英志氏の『サブカルチャー文学論』が文庫化されているのを見かけ、思い立って購入した。文庫版にして700ページ以上ある大部のなので、ぼちぼち拾い読みしているところだが、「キャラクター小説の起源、起源のキャラクター小説」という章を読んでいたら、栗薫の『ぼくらの時代』『ぼくらの気持』や新井素子『あたしの中の…』が取り上げられていたので、不意に懐かしさが込み上げてきた。すっかり忘れていたが、私は中高生の頃(1980年代初め)、栗薫さんや新井素子さんのをかなり熱中して読んでいたのだ。もともと私は中学生の頃、星新一や小松左京、筒井康隆や平井和正のSFが好きだったので、その流れから栗薫さんや新井素子さんといった「美人作家」に飛びついたのだと思う。 大塚氏の論考が面白いのは、栗薫や新井素子といった作家の登場を、田中康夫や村上春樹を始めとする「’80年前後に登場した作家にとって領域

    Imamu
    Imamu 2007/03/06
    「資本主義化された企業戦士」→『「不死身の身体」*4へと自分を変えていくほかないように』~「死に至るイデオロギー」-『新井素子さんが「記号的リアリズム」の方法によって「耐えようとしていた」「現実」も』
  • レジデント初期研修用資料 医療機器の祭具的側面

    レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 奈良県の母体死亡事例。 どうして止血剤を使わなかったのか どうしてCT スキャンを撮らなかったのか 医療者側と、患者側、一方が「意味がない」と断じ、もう一方が「絶対そんなことはない」と信じる、 そんな断絶の考察。 魔法使いは杖を持つ 古代ケルト魔術のドイルドをはじめ、魔法使いの多くは杖を持った姿で登場する。 杖は老人が使う道具。年長者の知恵と経験を象徴している。 杖を持つということは、知恵や権威を身にまとうという象徴的な行為だから、科学的には意味がない。 それでも、この状態でかけた魔術は効果が高くなる。 魔術も科学も、対象に「納得してもらう」ための技術という点では、そんなに変わらない。 単純に投げるとか、あるいは火薬で吹き飛ばすとか、どんな方

    Imamu
    Imamu 2006/10/30
    『魔術も科学も、対象に「納得してもらう」ための技術』『信頼のイメージを裏切らないように行動』『分かりやすい物語』
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