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bookとBL・801に関するImamuのブックマーク (3)

  • それは<制度>の外の「教育」だった……『密やかな教育<やおい・ボーイズラブ>前史』 - さかさまつげ

    やおいやJUNEに教養主義の一面があることは、読者であったことのある人にとっては意外なことではありません。しかし、その意味、つまり、JUNEが登場する70年代以前の、もっぱら男性によって占有されてきた教養と何が違うのか、といったことになると、ほとんど言葉にされてこなかったような感じがします。この『密やかな教育』は、やおいやJUNE的教養のバックグラウンドとして常々その名を挙げられるヘッセ、ヴィスコンティ、三島、足穂から、24年組の少女マンガ家や栗薫に至る流れの中で何が変わり、何が受け継がれたのかを、作品そのものや肉声(竹宮惠子・増山法恵・佐川俊彦3氏へのインタビューを併載)をもとに具体的に示してくれるであり、前提とするにせよ批判的に読まれるにせよ、これからの議論のベースとなっていくだろうです。 男性たちのものとしての「教養」(それがしばしばホモソーシャルな絆の拠り所として機能してきた

  • 永久保陽子『やおい小説論―女性のためのエロス表現』 - Eskandar d’Esfahan

    博士(文学・専修大学)学位請求論文。 やおい小説研究にまがりなりにも入りかけた人間として、やおい小説研究はついに博士号が出るまでになったかという感慨をいだかざるをえない。しかも書は、これまで多々出版されてきた読者と作者をめぐる社会学的分析、クラスタ的分析ではなく、テキスト分析の方法による論文である。これまでの作者・読者をめぐる社会的コンテクストに準じての議論の多くは、当にやおい小説=テクストを読んだのか?という疑問を抱かせるものであったし、読んでいたとしても安直な思いつきじゃないか?と疑わせるような結論に失望せざるをえなかった。そして文学的な視角からはほとんど無視されてきたのがやおい小説であり、やおい小説をめぐる研究は、社会学の独壇場であったといえよう。論文は浅薄な社会批評とは一線を画し、方法としてのテクスト批評にかなり自覚的である。当然、やおいマンガとやおい小説の差異についても考慮

    Imamu
    Imamu 2006/11/27
    「女性は「性の政治学的に「性的客体」たらしめられ」「<受>が徹底的にジェンダー的女性性を付与されて描写」「<攻>の視点をもち「性的主体」として、男を「犯す」立場に」「二重に同一化しうるエロ・メディア」
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    うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かししてを読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…

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