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科学と宗教に関するLhankor_Mhyのブックマーク (5)

  • Has the modern world discovered the ancient truths of Buddhism or simply invented a new version?

    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2022/11/22
    それは魔境では?
  • 原理主義だけが正しい宗教、狂信以外は信仰じゃない

    【この記事はだいたい5分で読めます。】  人並みにマルクスなんか読みまして 「貧困は社会問題だ!政府のせいだ!国家の責任だ!」 と考えておりました若かりし頃の「えらいてんちょう」。 もやい や TENOHASHI (TENOHASHIでは炊き出しの手伝いのみを行っておりますので、誤解を招かぬように削除します。詳細:追記を参照。2017.6.5) でボランティアの経験を積むと、てんちょうに頼めば生活がなんとかなるらしい、と噂を聞きつけた若い生活困窮者が集まるようになりました。今回はそんな彼らのケーススタディー。  先に断っておきますが、生活保護者の大半は真面目につつましい生活を送っていることも存じており、生活保護は全員クズだとか、そういったことを言いたいわけではありません。 貧困は社会問題といっても、大半は人の責任で、国家は立派にその役割を果たしている 、というのが今回の趣旨です。   【

    原理主義だけが正しい宗教、狂信以外は信仰じゃない
    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2017/06/17
    宗教やってる人間としては分かる話。宗教が世俗におもねったら終わり。ただ、先般の記事は文化人類学との「適度な距離」をとったものであるとは読めなかった。ムスリムは文化人類学を修めてはいけない、ぐらいの勢い
  • 天理教信者の科学者 村上和雄氏が提唱するサムシング・グレートSomething Great (SG)を巡る意見

    あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 教科書はなかなか目にする機会がなくて、実態がよくわからないのだけど、サムシング・グレート(IDに似てるけど、言い出した村上さんは天理教)みたいな妙な概念が、公民の教科書に出てくるというのはまずい状況で、理科と整合しないんじゃないかな twitter.com/yamtom/status/… 2015-09-07 11:58:46 山口智美 @yamtom これは育鵬社公民教科書に今も健在で残っているサムシング・グレートに関する項目。すでに以前のバージョンからネットには流れていたものだが、せっかくだから載せておきます。p.31より。 pic.twitter.com/ip4P0u2eqD 2015-04-26 21:23:43

    天理教信者の科学者 村上和雄氏が提唱するサムシング・グレートSomething Great (SG)を巡る意見
    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2015/09/12
    ID説ってつまりは創造論のことなわけで、出自を問わずとも本質からして宗教教育だよね。学校で「生命ってのは進化したんじゃなくて誰かすごい人が作ったんだよ」と教えるのはどうかな、と思うよ。
  • 書き換え可能な神話としての自然科学 - 地下生活者の手遊び

    2008-11-17を元にネタ的な書き物をば。 上記エントリでの議論に興味を持たれた方、科学論に興味のおありの方には、以下のブログエントリのシリーズ記事をマジにお奨めさせていただきますにゃ。 「科学的」とはどういうことだろう(その1) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 - Yahoo!ブログ 「科学的」とはどういうことだろう(その2) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 - Yahoo!ブログ 「科学的」とはどういうことだろう(その3) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 - Yahoo!ブログ 「科学的」とはどういうことだろう(その4) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 - Yahoo!ブログ 「科学的」とはどういうことだろう(その5) ( その他自然科学 ) - さつきのブログ「科学と認識」 -

    書き換え可能な神話としての自然科学 - 地下生活者の手遊び
    Lhankor_Mhy
    Lhankor_Mhy 2008/11/22
    一瞬納得したが、逆に考えて「システムを自ら再構築できるモノが科学」と再定義すると筋悪な気がする。宗教が再構築しないということもなさそうだし。ただ、視点としては面白いと思うのでこの先に何かあるかも。
  • 科学と宗教(試論):Chromeplated Rat

    ニセ科学に関連して、宗教に言及すべきだとは以前から考えている。でも、ぼくの思考能力の限界の低さもあってさっぱり簡潔にまとめることができない。テーマがでかすぎるのだ。でも、good2ndさんの「穏健な宗教」と云うエントリを読んで少し感じたことがあったので書いてみる。自分の中でしばらく出そうにない結論に向かっての、途中のステップとして。 以前にも書いたけれど、ぼくは科学も宗教も「世界を理解し、その中に自分自身を含む人間と云うものを位置づけるためのメソッドとツールのセット」であると考えている。その意味では、「信じること」から始めるのは宗教の質ではない。科学も宗教も、来は「疑うこと」から始まっている、はずだ。 ひとが生きていく、その過程の中で、神や霊魂の実在を感じることは実際に発生する。それが科学的事実かどうかはともかくとしても、感じることはあるのだ。神とか霊魂とか云う云い方がまずいなら、シン

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