文化と雑学と人に関するagrisearchのブックマーク (4)

  • 往生 - Wikipedia

    往生(おうじょう)とは、大乗仏教の中の成仏の方法論の一つである。 現実の仏である釈迦牟尼世尊のいない現在、いかに仏の指導を得て、成仏の保証を得るかと考えたところから希求された。様々な浄土への往生があるが、一般的には阿弥陀仏の浄土とされている極楽への往生を言う。これは極楽往生(ごくらくおうじょう)といわれ、往とは極楽浄土にゆく事、生とは、そこに化生(けしょう)する事で、浄土への化生は蓮華化生という。 化生とは生きものの生まれ方を胎生・卵生・湿生・化生と四種に分けた四生(ししょう)の中の一つ。 胎生 人間や獣のように母の胎(からだ)から生まれる事 卵生 鳥類のように卵から生まれる事 湿生 虫のように湿気の中から生まれるもの 化生 過去の業(ごう)の力で化成して生まれること。天人など 極楽浄土への往生は、そこに生まれる業の力で化生すると言う。蓮華化生とは極楽浄土の蓮華の中に化生するという意味。

  • 歎異抄 - Wikipedia

    この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年9月) 『歎異抄』(たんにしょう)は、鎌倉時代後期に書かれた日の仏教書である。作者は、親鸞に師事した河和田の唯円とされる。書名は、親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった親鸞の真信に違う異義・異端を嘆いたものである。『歎異鈔』とも。 作者について[編集] 作者については、現在では唯円とするのが一般的だが、他説として如信説・覚如説がある。また、近年では、覚如以後の願寺関係者が作者であるとする説もある[1]。 如信説については、香月院深励が提唱。論拠は、覚如がまとめたとされる『口伝抄』などの書物に、親鸞より如信に口伝が行われ、更に覚如がそれを授けられたとあることによる。 唯円説については、主に妙音院了祥

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    agrisearch 2020/08/15
    「この親鸞がやっていることは『(罪悪深重の我々衆生が助かる道は)ただ念仏して弥陀の本願に救い取られる以外にない』という真の仏教の師・法然上人の教えに従って念仏している以外に何もない。」
  • 回向 - Wikipedia

    回向(廻向、えこう、梵: Pariṇāmanā, パリナーマナー)とは「転回する」「変化する」「進む」などの意、その漢訳である「回向」は、「回」は回転(えてん)、「向」は趣向(しゅこう)の意であり、自分自身の積み重ねた善根・功徳を相手にふりむけて与えること。 自分の修めた善行の結果が他に向って回(めぐ)らされて所期の期待を満足することをいう。寺院や僧侶に読経をたのむときに、「廻向料」などと表書きするのは、この理由による。 上座部仏教においては、十福業事のひとつである。 大乗仏教において[編集] 善行の報いは来自分に還るはずだが、大乗仏教においては一切皆空であるから、報いを他に転回することが可能となる。善行の結果を人々のためになるよう期待し、それを果すのを「衆生回向」といい、善行の結果を仏果の完成に期待するならば、それを果すことは仏道への回向である。 回向の心をもって修行する段階を十に分け

  • 悪人正機 - Wikipedia

    悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「“悪人”こそが阿弥陀仏の願(他力願)による救済の主正の根機である」という意味である。 阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生[1]である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。 悪人と善人[編集] 「悪人正機」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは「阿弥陀仏の視点」による善悪である。 法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。[2]

    悪人正機 - Wikipedia
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    agrisearch 2020/03/05
    浄土真宗「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」
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