植物と教育と山形に関するagrisearchのブックマーク (1)

  • 児童が描く現代版「かてもの」とは 米沢藩主・上杉鷹山の地元で誕生:朝日新聞デジタル

    大倹約令を出し、破綻(はたん)寸前の藩政を救った上杉鷹山(ようざん)が9代藩主として率いた米沢藩は、飢饉(ききん)に備えた「非常マニュアル」を配布したことで知られる。「かてもの」と呼ばれたその印刷物にちなみ、山形県米沢市で現代の「かてものカード」が誕生した。 「かてもの」とは糧不足の時に代用となるものを意味し、1802(享和2)年、米沢藩が1575冊を配布した。草木や果実約80種類のべ方や栽培方法が記されている。 米沢市の自宅周辺の森や原っぱを「森のようちえん」として開放する黒田三佳さん(56)は3年ほど前、森がある一帯は初代米沢藩主の重臣、直江兼続(かねつぐ)が菜園を作っていた場所だったと知る。 「地域の歴史とともに植物や森に興味を持ってもらうきっかけにしたい」と、現代の「かてもの」をカードにしようと思い立った。 昨年、いつも森で遊んでいる近くの市立南原小学校の5、6年生(当時)

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