「意地悪してやろうとか、虐待してやろうというつもりはなかったと思います。でも今から思えば、ネグレクト(育児放棄)でした」 父親は物心ついたころにはいませんでした。 母親はたまにしか家に帰ってきませんでした。 小4で初潮を迎えると生理が大きな問題となりました。 でも、誰にも言えませんでした。 (ネットワーク報道部 吉永なつみ) 「いつも周りの大人の顔色をうかがって、好かれようと必死でした」 原田いくみさんは子どものころを振り返って、そう話しました。 2歳のときに父親が失踪。母親とともに祖父母の元に身を寄せて暮らしていました。 母親は1~2週間、家に帰らないことがよくあったそうです。 面倒を見てくれる祖父母や同居していたおじ、おばに対していつも気をつかっておどけていたといいます。