松本和寅 @Takatora_desu 授業に毎回出席していた真面目な子ほど就活がうまくいかず、出席コードを友達内で回しまくってほぼ出席しないような不真面目な子ほどコミュニケーション能力や情報力を駆使して就活無双しているのを見るとなんともやるせない気持ちになります。 2023-12-08 21:11:15
リモートワーク・テレワークの導入や飲み会文化の変化などにより、最近は同じ会社で働く同僚とも、特別な機会がない限り交流の機会は少なくなりがちです。このことは、無理な人間関係の解消にもつながり、これまで歓迎すべき事柄として語られることも多かったように思います。 他方で、こうした人間関係の変化に対し、「さみしさ」や「孤立感」を覚える人も少なくないはずです。また、転職や部署異動などで新たな人間関係が生まれる場面において、以前のように他人と「信頼関係」が築けず、モヤモヤした思いを抱えている人も多いのではないでしょうか。 社会学者の石田光規さんは、個人の選択が尊重される現代社会は一見「自由」で生きやすそうに思えるけれど、孤立や人間関係の格差を招いてしまう側面も持ち合わせている、と語ります。 人と顔を合わせる機会が少なくなった今、私たちが再び人間関係を築いていくためにはどのような姿勢が求められるのか、お
牛蒡 @gobobiyo 職場に絶対挨拶返さないマン👴🏻がいるんだけど、新入社員の女の子が「おはようございます!…おはようございまーす!!あれ?おはようございます!!!」って挨拶返されるまで挑み続けてるのが、少々狂気じみてるけどメンタル強くて良い。 2021-05-26 19:00:53
ヤバい思想、と言われると皆さんが思い浮かべるのはなんでしょうか。ファシズムや全体主義?差別主義?優性思想?それとも宗教的原理主義? この世に数多ある危険思想のなかで、ユダヤ人哲学者・思想家のハンナ・アーレントが最も重大視したのは「無思想」でした。 無思想、ノンポリ、無宗教…という「無属性」なステータスを自認していることは私たちの国では取り立てて珍しいものではありません。実際、多くの人は自分は「偏った考え方」に染まっておらず、「普通の感覚を持った/普通の日本人」であるというふうに考えています。よく異文化から揶揄されるように私たちは、「他の人と違う」ことに漠然とした恐怖を持っており、「普通であること」、そして「特定の立場や意見を主張しないこと」によって他の人たちとの温かい連帯関係の中に存在できます。 しかし実のところ、この「自分は普通の感覚を持っている」という自認こそが危険な状態だ、というのが
拙宅三兄弟は育ちざかりなので、やはり日中ずっとお家にいると鬱積して兄弟げんかを始めて大変なことになります。狭い飼育ケースにカブトムシのオスを複数飼うのと状況はさして変わりありません。 なので「オラ行くぞ」と音頭を取って近所の公園や広場に子どもたちを連れだして周囲と充分距離を取りながらジョギングさせるのが日課です。将来は西浦博さんのように8割おじさんをやりつつマラソンで完走するような人物に育てたいと思っております。 もっとも、私は持病があるため、あまり長い距離を走ることはできません。運動ってね、子どもたちにとっては必須であると同時に、優れたボスであることの証明でもあるのですよ。いつもは面倒くさい親父を家庭内で演出していても、外で走るときは「お前らは20周しろ。ワイは5周だけどな」とやると、途端に子どもたちが「ズルい」となります。お前な、大人には大人の事情というものがあるんだよ。 仕方なく子ど
「君は、物怖じせずに意見を言えるところが素晴らしいよね」 インターンしていた職場で言われたことがある。当時にしてはTwitterのフォロワーが多く、取材もしてもらったりしていた学生の私は、だれかに対して意見を述べることに人よりも慣れていた。 それからも、フラットで自由な会社に入り、1年目から自分の意見を求められる環境に身を置いていた。「ただの『決めてください』というレポートはナンセンス。自分は沢山調べてこういう選択肢があると発見し、その中でコレが良いと思いますがどうですか?と聞いてほしい」という上司の発言をどこかの記事で見かけたことがある。若いからという理由だけで誰かに黙らされた記憶も勿論ない。 "若いうちから、発言を許される"こと自体が羨ましがられるどこか奇妙な世の中で、「自分の意見がないと、仕事は進まない」と学べる会社にいることは私の幸運だと今も思う。 ただ最近思うのが「"はっきり意見
「主語が大きい」という表現がある。 このあいだ、故郷のお菓子を説明する時に「地元の人は全員好き」と説明したら「全員じゃない むしろそうでもない人の方が多い」とおこられた。ただおいしいと言いたかっただけなのに…。 と、無意識に主語の大きさを変えているらしいのでいっそくじ引きで指定してみたらどうなるかと考えた。実験してみます。 言えそうな「主語」を洗い出してみる 今回は大小さまざまな「主語」を箱に入れ、引いた言葉を主語として話してみるという実験である。 「パフェをおごる」というので来た友人の郡司さん。「いつもは『私』か『僕』だけど、主語大きい時…あるかな…?」 こちらは山宮さん。「『俺』って言っちゃうけど、他の主語意識したことない」という。 とりあえず、箱に入れる「主語」を洗い出すことにした。 「『私は』が最小かな?」「いや『沖縄県出身のよざひかるは〜』が最小じゃない?」「最大はじゃあ『宇宙人
家庭内暴力は放置すると殺傷事件にまで発展しかねない危険な側面を持っています。しかし、適切に対応すれば、そのほとんどは解決することが可能です。ここには、当院での指導の基本方針を記しておきますので、お子さんの家庭内暴力にお悩みのご家族は参考にしていただきたいと思います。 家庭内暴力そのものは診断名ではありません。不登校などと同様、ひとつの状態をあらわす言葉です。それが常に病的なものとは言えませんが、もちろん中には病理性の高いものも含まれています。ここで述べる家庭内暴力は精神病、すなわち幻覚や妄想などをともなわないもので、治療的対応によって解決が可能なものを指しています。 些細なこと、時には理由もなしに突発する暴力は、家庭の雰囲気を荒涼とさせずにはおきません。家じゅうを不自然でこわばった沈黙が支配し、家族は本人のちょっとした表情、しぐさにもおびえながら生活する日々を強いられます。とりわけ母親が暴
36のおっさんになると「最低賃金を最低ちんちんに聞き間違えたよ、ガッハッハッ」って言っても、誰も叱ってくれないからな。誰も、叱ってくれないんだよ。— 蝉川夏哉の自宅療養 (@osaka_seventeen) 2019年5月15日 上掲ツイートは他人事ではないと感じる。 10代や20代の頃、間違いをやらかしている時や危なっかしい時には先生や先輩が叱ってくれた。ときには「お前、何やっているんだ!」的な、まず怒りが飛んでくるみたいな場面もあったし、理不尽を感じる場面もあったが、ともかく、自分のやっていることをまずいと思っている人がいると肌で感じられる場面があり、それが私の行動を軌道修正してくれた。 しかし30代になり、さらに40代にもなるとそういう機会は減った。今、私のことを叱ってくれるのは、若い頃から私のことを知ってくれている先輩や友人ぐらいのものだ。 私だけが叱られにくくなっているわけではな
今回の話、諸事情から色々なフェイクが混じりますが勘弁してください。 職場に、後輩からの質問をえらい面倒がる部下がいます。 後輩や新入社員から何か聞かれると、露骨に顔をしかめる。 同僚や私に話しかけられた時に比べて、異様に口数が少なくなる。 目を合わせない、モニターを見たままいかにも面倒そうに答える。 要は、「俺は君に時間を割きたくない」というのが相手にダイレクトに伝わるような態度なのです。 当たり前の話なのですが、新入社員からすると「質問をする」ということ自体がまずハードル高いので、本来可能な限り気軽に質問しやすい環境を作ってあげないといけません。 これが例えば、後輩の態度がよろしくないとか、質問が不明瞭過ぎて何を答えればいいか探りだすこと自体が高コストだとか、そういう事情があればまだ話は分かるのです。 勿論不明瞭な質問の一度や二度はあったかも知れませんが、それについては私からも指導してい
私の経験上愛想がなくてコミュ障でも社交的な人と結婚した増田さんは間違いなく美人。ブスで愛想なかったり気が使えなかったらそもそも土俵に上がれないから… そういう取っつきにくいけど美人な増田さんを落としたっていう手腕を友達に自慢したかったんでしょ。写真だけで十分なんだけどね。さらに人見知りな嫁が頑張って俺の友達と仲良くしてる姿を見たかったけど見れなかったから逆ギレしちゃった感じかな。 コミュ障だから話さないし手伝わないのかもしれないけど、ブスのひねくれ目線だと"私にはブスかおばさんが話題振って当然だしもちろん手伝いなんかしない"って見下してる風に感じちゃうんだなあこれが。 つーかそういう感じ悪い美人って今までいっぱいいて嫌な思いしてきたから重ねちゃったわ。ごめんな。 私は人見知りのブスだけど、職場の花見とかまぐれで付き合った人の関係とかでそういう場たくさん経験して愛想のいいブスにはなれたと思う
ダメ就活生、「自分らしい服装」で四苦八苦する 「自分らしい服装でお越しください」 就職活動に身を投じたことがある人なら、誰もが聞いたことがある言葉だろう。Google検索で「自分らしい服装」と打ち込めば、「“自由な服装”の正解って?」「スーツ? 私服?」「色つきのシャツは大丈夫?」などのウェブ記事が大量にひっかかる。企業の指すものがわからずに右往左往している就活生が、とてつもなく多いということだ。 2012年——大学院に合格していたものの、「やっぱり本にかかわる仕事がしたいな」という気持ちが捨てられずに留年覚悟で就活を始めた私の身にも、この罠はふりかかってきた。 大好きなアニメ系雑誌を擁する出版社。書類選考、筆記試験をどうにか通過した後の一次面接。案内メールの「自分らしい服装でお越しください」を読んだ私は、「自分らしい」の咀嚼の結果として、夢見る乙女に愛用されているロリータ系ブランド「MI
もっといっちゃえば「コミュニケーション能力はないんだけどコミュニケーションをとりたがるし事実とってる人たち」ね。 ぶっちゃけ自覚のないセクハラ加害者って多くはこれでしょ。コミュニケーションって双方向通信だから、片方が劣っていても、もう片方が負担を大きくすればとりあえず成立するんだよ。この負担の一形態が「たまのセクハラを我慢する」とかだったりする。地方の中小企業の偉い人とか、あれがコミュニケーションだと思ってるし、実際その人にとっては出せる数少ないコミュニケーションのカードだったりする。 そういう人は(その本人が認識していない相手側の多大な負担の上であっても)とりあえずは自分が参加してるコミュニケーションが成立しているんで、自分にはコミュニケーション能力が当然のようにあると信じ込んでいて、その能力が低いだなんて思っていない。 これは才能ある芸術家とかもそうだよね。手塚治虫の自伝とか読むと、も
「おじさんからしつこく連絡がきて困っているのですが、仕事関係の知り合いであるため、強く拒否できません。どうしたらいいですか?」 最近、知人の女性からこんな相談が寄せられました。 相談者の年齢は20代前半。相手の男性は50歳前後で、しかも既婚者だといいます。 3日に1度のペースでLINEが届くように 私は仕事柄、女性からよく相談を受けるのですが、おそらく「これ」が一番多いパターンなのです。会社に入って間もない女性社員に目をつけた男性が、「親身な先輩」の仮面を着けて近づいてくる。もしくは取引先の男性が、仕事に関係ないプライベートな連絡をバシバシ送ってくる(なお「既婚女性からしつこく連絡がくる」という男性のお話も聞いたことがあるので、男女問わずこういった問題はあるようです)。 彼女は企業相手の営業職に就いているのですが、ある日、取引先の男性(以下、Kさん)から「仕事をスムーズに行うためにも、親睦
「上司と行く飲み会でどこ座るか問題」は常に悩みの種だ。Business Insider Japan編集部の会議で、一番若い筆者(西山)が一番奥に座ると、「そこ上座」と言われてしまう。 ある日、会社のメンバーと居酒屋に飲みに行った時のこと。 大人数の飲み会ではよくあることだが、座席が決まらない。みんなテーブルの端っこでもじもじしながら空気を読みあっていた。 「座っちゃって、座っちゃって」と後ろから急かされたので、私はサッと奥の席に着いた。すると、 「そういう時は目上の人に奥に座ってもらうんだよ」 そう先輩から言われて、ちょっとムッとした。 だったら最初からそういえば良いのに。「編集長の席は奥だから、座ってもらって」と。別に私はどうしても奥でなければ嫌というわけではないのに。 なぜ「座っちゃって」と言ってから、試すような真似をするのだろうか。モヤモヤとした気持ちが残った。 「礼儀2.0」は相手
道徳的な物言いとしては、「何歳になっても、旧友を大切にしなさい」「ふるさとの同窓会にはなるべく出席して旧交を温め、関係をつないでおきなさい」というものだろう。 しかし、私は、60歳を過ぎたころから、小学校や中学校の同窓会にはほとんど出席しなくなった。50歳代でうんざりしたこともあり、出席する気になれないのだ。 だからこれから50代になる人たちには「50歳を過ぎたら同窓会には出ないほうがいい」とアドバイスしたい。 同窓会に行けば、たいてい病気と薬と副作用の話、そして昔話で会場が埋め尽くされる。 「最近、手術をしたんだよ」「オレはこの前、具合が悪くて病院に行ってきた」「こういう薬を飲んでいるんだ」「その薬は副作用があるみたいだぞ」ーー。こんな会話が延々と続いている。もう勘弁してほしい、というくらいだ。 別のグループでは、「最近、墓を買ってさ」「昔は楽しかったな」「お前、彼女とつき合っていただろ
「力関係があるからノーと言えない」って言うのも、結局は、社会からの刷り込みというか思い込みとか、 あるいは、世間知らずな子どもが騙されてるとかだと思う。 今、被害にあってる人に「ノーって言えるんだよ」って力づけていくべきだし、「力関係があってノーと言えないよね」 という前提は、今後も続く前提条件として肯定すべきじゃないと思う。 もし本当に現実世界がそうであるなら、ノーと言った「その後」を問題としていくほうが、クリアなのではないかと。 ノーと言って殴られたり、仕事干されたり、嫌がらせされるなら、それは確実に悪で、 ハラサーが言うところの「愛情あるいじり」だの「コミュニケーション」だの、そういう逃げ道はなくなるわけで。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く