みずほ銀行は3日夜、機器の不具合でネットワークが一時途切れ、東京都や千葉県、大阪府などにあるATMが29台止まる障害が起きたことを明らかにした。最大3時間続き、この間に預金を引き出そうとした利用客のキャッシュカードなどが29枚取り込まれる状態になった。4日午前10時までに約
「システム障害の前の晩いってたわ。みずほは3人の自分だって。第一勧業銀行としての自分、富士銀行としての自分、日本興業銀行としての自分。その3人がせめぎあっているがみずほなのよ。人が持つジレンマをわざと残したのね」
戦争体験のトラウマ(心的外傷)の悲惨さはベトナム戦争から帰還した米兵の事例で注目されたが、日中戦争や太平洋戦争に従軍した日本兵もまた、同様に苦しめられていた。精神障害の発症者は戦時中、千葉県の国府台陸軍病院を中心に収容され、戦後も偏見からほとんど顧みられることはなかった。戦後75年がたち、トラウマを抱えた元軍人らの家族が体験を語り合う活動も出ており、忘れられた戦争被害に光が当たりつつある。 【写真】自宅敷地内の交流館で「駄目人間とレッテルを貼り、俺は父の姿を見誤ったのではないか」と話す黒井秋夫さん ≪隣デ私ヲ殺ソウト相談シテイル声ガ聞コエマス。衛生兵ニ殺サレルヨリムシロ自決シマス≫ 九十九里浜に近い同県東金市の浅井病院に、精神障害を発症した日本兵約8千人分の「病床日誌」が残る。戦闘の恐怖や部下を死なせた自責の念から追い詰められ、心が壊れていく様子が記されている。 初代院長の故浅井利勇氏は戦
世間から見た障がい者のイメージは、どのようなものだろうか。私が聞いたものは「怖い」「迷惑」「可哀想」「ガイジ」などだ。 そのことをネットで、障がい者の家族の前で、そして本人の前で言う人がいる。私はそれが嫌で、許せなくて、理解もできなかったのだが、この夏の経験を通して、自分の考えがいかに薄っぺらく、偽善的であったかを思い知った。 私には広汎性発達障害の弟がいる(以下H。)私が小学二年生のときに生まれた子で、「H君、成長遅くない?」と友人に言われたときも、私はHをずっと「普通の子」と思っていた。なので母から、私を含めた兄姉に弟の障がいのことを伝えられたとき、心底驚いたし、また「普通」じゃなかったことにショックを受けた。 けれど当時小学生だった私は、「弟君のお世話、偉いねぇ」という周りの評価に誇りを感じていた。その枕詞に「障がい者の」がつくことが明らかだったからだ。周りの大人が私とHの関係をもて
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